koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第31回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その三十一

カンチェンジュンガエリア・トレッキング 三回目 

前回はトレッカ-がほとんど訪れることのない地域、カンチェンジュンガエリアを説明した。

三回目のカンチェンジュンガ地域のトレッキングを写真で見てみる。

 

ヤンプ-ディンの学校の校舎

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学校の裏山は段々畑

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トレッキング初日は飛行場から2時間歩いただけ。次の2日目からは、毎日登ったり下ったりが続く

まだ低地なので、シャクナゲ街道のよう

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オムジェ・コ-ラに架かる木の橋

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カンチェンジュンガエリアの主婦・ どこの女性も花リング

主人・ ネパ-ル帽子のトピ-をかぶる

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主婦

子供達

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ドッコでダウラ(焚き木)を運ぶ家族や少女たち

この木は石楠花の木かも

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桜の木とカンチェンジュンガ遠望

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第30回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その三十

カンチェンジュンガエリア・トレッキング 二回目 

 前回はネパ-ルのカトマンドゥ到着から、目的地のカンチェンジュンガ峰へのトレッキング出発地タブレジュンのでのフライトを見てみた。カトマンドゥのトリブバンエア-ポ-トを双発プロペラ機で飛び立ち、途中のビラトナガルで乗り換えてのフライトだった。

 トレッカ-がほとんど訪れることのない地域、カンチェンジュンガエリアを少し説明する。

 世界第三位の高峰カンチェンジュンガ峰は8586mで、その両肩になるピ-ク南峰South Peak 8476mとヤルン・カンYalung Kaug 8505mの三峰からなる。そして、この山域には、6千m級と7千m級の山々が連なっている。まずカンチェンジュンガ峰の前衛峰的な山ジャヌ-峰Jannu 7710mとジャヌ-の周りの6千m級7千m級の山が4座。

 カンチェンジュンガ峰はインドとの国境の山で、ネパ-ルと接している国境はインドのシッキム州になる。そして国境はシッキム州の北側には、紅茶で有名なダ-ジリンがあるインド・西ベンガル州とも接している。シッキム州との国境沿いにも、6千m級7千m級の山が12座ある。

 他方カンチェンジュンガ峰から北へ20kmでチベットの国境になる。この国境伝いにも6千m級7千m級の山が8座もある。

 

 カンチェンジュンガエリアのトレッキングコ-スは2コ-スある。一つのコ-スは、飛行場のあるタブレジュンから少し下った街から、川までもう少し下って、その川Ghunsa Khola からこの川伝いに、川の源流のカンチェンジュンガ南面をめざす。今回は、他のコ-スの山道コ-スを写真で見てみたい。

 

飛行場のタブレジュンがら歩き出すと、ネパ-ルの最奥地に来たと思わせる人々。大人は鼻リングを付け、子供は全員イヤリング

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鼻リングとイヤリングを付けた子供が幼い子供の面倒をみる

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尾根を登ったり沢へ下ったり

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春のラリ-グラス・大木の石楠花がお出迎え

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白花の石楠花

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地元の人が一花を自分の敷地に置いてあるのをスケッチ

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大木のラリ-グラスをスケッチ

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家の建築現場

柱はコンクリ-ト  床柱は木  その他壁は石を積み上げ

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建築板のボッカ

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第29回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十九

カンチェンジュンガエリア・トレッキング 

 ネパ-ルのアンナプルナヒマ-ル、ランタンヒマ-ルに次いで、ネパ-ルの最東端のピ-ク、カンチェンジュンガ峰エリアのトレッキングを写真で見てみたい。

 カンチェンジュンガ峰 Kanchenjunga 8586mは、世界第3に高い山。一番はエベレスト峰(ネパ-ル名サガルマ-タ・チベット名チョモランマ)、二番目に高い山はパキスタンと中国の国境に聳えるK2。世界に8千m以上の山は14座ある。

 カンチェンジュンガ峰はネパ-ルの一番東端にあり、インドとの国境が頂上になっている。カンチェンジュンガの頂上に立ち、南北に身体を向けると、片足はネパ-ル側でもう片足はインド領に立つことになる。どちらの国から登っても、どういう訳か入国審査はなく、滞在ビザも不要。

 ネパ-ルのトレッキングは、この東側のカンチェンジュンガエリアと中部山岳地帯から西側の、東西側は人気が無い。まったく人気が無い訳ではなく薄いと云える。カンチェンジュンガは世界第三位の高峰なのに、麓からそのピ-クを見上げるトレッキングをする人が、ほとんど見かけない位に少ない。実際、わたしが訪れた時は、誰一人ネパ-ル人以外の外人と出会うことがなかった。トレッキングをする人が少ないと云うことは、地元に在るはずのバティ(ホテル)やお土産屋を一軒も見かけなかった。

 宿泊施設やレストランが無いのだから、このエリアを歩くトレッカ-は当然テント生活となる。食事もコック同伴でなければ飢え死にしかねない。しかし、わたしのトレッキングはテントを持参したが、都度農家などと交渉し、宿泊場を確保した。そして、食事も泊まる農家に頼み込んで、その家で食べている食事を、ガイトとわたしたち二人の3人分を作ってもらった。

 ガイドを通じて宿泊の交渉をし、OKなら、ネパ-ルの定食ダルバ-トを作ってもらう交渉に移る。幸いにも食事作りがOKになると、1時間半はたっぷりと待つことになる。トレッキング途中のお昼ご飯も同様だ。通りかかった農家などに3人分の調理を頼むと、それから圧力釜で米を焚き、約1時間半はかかる。

 わたしの女房は、1985年から毎年の様にネパ-ル通いをしていた。1985年に小学校の息子2人とわたしの友人で大学生3人を誘い、3週間アンナプルナヒマ-ルのトレッキング後、この時のスケッチをもとにネパ-ル絵画展を開催。以後ネパ-ルを題材の絵画展を7回開催するために、ネパ-ル通いが始まる。私も子供達も家に残して、毎年の様に一か月はネパ-ルを歩ていた。

このカンチェンジュンガエリアも同様で、わたしがお供をしてのトレッキングとなった。

 カンチェンジュンガエリアはネパ-ルの東、カトマンドゥはネパ-ルのほぼ中央。カンチェンジュンガエリアまではフライトで飛ぶ。まずネパ-ルの東側で、インドの国境近くの南側のタライ平野にある東ネパ-ル中心都市のビラトナガ-ル Biratnagar まで飛ぶ。そこで一泊してから再度ヒマラヤの麓タブレジュン Taplejung まで飛ぶ。

 

ネパ-ルのカトマンドゥ

いつもの宿・ホテルマナスル

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ホテルの玄関の狛犬がお出迎え

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マナスルホテルの朝食

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ネパ-ルのエ-ジェント会社 コスモトレック㈱の事務所

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エアポ-ト国内線カウンタ-・カトマンドゥ・トリブバン空港

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カトマンドゥから約40分 ビラトナガルへ

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ビラトナガルのホテル

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ビラトナガルはタクシ-が少ない

ほとんどの人はリンタクで

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ビラトナガルのマンゴ-農園

南国のマンゴ-の木は大木  ネパ-ルでは街路樹として植えられている所もある

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マンゴ-の花

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ビラトナガルの空港

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タブレジュンは草地に着陸

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タブレジュン 空港施設はない 

わたしたち3人のトレッカ-と他のル-トを歩く10人ほどのトレッカ-

ポ-タ-志願の地元の人達が大勢で出迎えてくれる

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第28回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十八

ランタンヒマ-ル・トレッキング 十回目

 ランタンヒマラヤのトレッキングを終えた。わたしが1981年ポストモンス-ン季に、キャンジンゴンパまでをピストンしたのと、2002年にわたしの女房が最奥のランシサ・カルカ4125mから、もう一つのル-トを下った写真を見てみた。2002年のル-トはカトマンドゥ盆地に下山するル-トだ。

 わたしは、1981年に初めてネパ-ルを訪れた。この時は、次年の1982年にアタックするロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰の偵察行だった。ルクラ飛行場までのフライトが、有視界飛行のため気象悪化で三日間キャンセル。その為に、メンバ-の一人をルクラ行のフライト待ちさせて、他の三人がランタントレッキングとなった。

 トレッキングを終えて帰国は、タイのバンコック経由で成田経由→札幌と戻ることになる。カトマンドゥ発のフライトに、マナスル峰8163mの登頂を終えた二人が同行することとなる。わたし達が初めて利用したネパ-ルのエ-ジェントは、その当時ヒマ-ル・トレック㈱。同じ会社を利用してマナスルを登頂したのは、加藤保男さんと尾崎隆さんの二人。

 エ-ジェントの社長さん○○二三子さんが、「タモッちゃん、札幌からネパ-ル初めての三人を成田まで面倒を見てくれる」と、加藤保男さんにお願いしてくれた。

バンコクのホテルの部屋は、わたしと加藤さん、それと尾崎さんの三人。ホットシャワ-を浴びた加藤さんの両足を見てビックリ。足10本の指が無いばかりか、もっと上までない。2度のエベレスト登頂、をこの足が物語っていた。プレモンス-ンとポストモンス-ンの2シ-ズンエベレスト登頂。

帰国する次年の1982年のウインタ-のエベレストを目指す話が出る。

 

加藤保男さん

 1982年12月27日、3シ-ズン全シ-ズン、エベレスト登頂の快挙。下山は日没のためサウスコルまで降りられず。サウスコルから救援で登った小林さんとビバ-ク。帰って来ることはなかった。

 

尾崎隆さん

 2011年プレモンス-ンにエベレストアタック。頂上を目の前にして遭難。帰って来ることはなかった。

  

カトマンドゥ→成田のフライト途中、バンコクでゆっくり夕食

右手前・加藤保男さん  右奥・尾崎隆さん

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1982年12月27日 加藤保男さんウインタ-のエベレスト登頂

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エベレスト遭難の記事

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1982年正月 加藤保男さんから年賀状

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1982年10月 エベレスト出発直前に最終原稿を書いた

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加藤保男 エベレストに死す

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加藤保男さんの母親加藤ハナさん 追悼本

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第27回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十七

ランタンヒマ-ル・トレッキング 九回目

 前回は2002年当時のランタンヒマ-ルのトレッキングル-ト、キャンジンゴンパからランシサ・カルカまでを見た。

 今回は、2015年4月25日のお昼頃に発生したネパ-ル大地震の被害状況を、キャンジンゴンパの写真で見てみる。

 この地震発生時に、ランタンヒマ-ルのランシサ・リ峰をアタックしていたわたしの友人がいる。上部にキャンプを伸ばし、頂上アタック寸前で、ベ-スキャンプに滞在。ここのBCが氷河雪崩の爆風に見舞われ、恐怖を感じたと語ってくれた。キッチンテントが猛吹雪の強風で壊れた。大地震による氷河の崩壊だった。BCからネパ-ル軍のレスキュ-ヘリコプタ-で救出され、BC→キャンジンゴンパ→ドムチェ、と運ばれている。

 この彼、1991年に私とアンナプルナⅠ峰8091mをアタックし、この時も氷河雪崩の爆風に襲われていた。

この友人の彼に写真を提供してもらった。

 又一方、私の知人でネパ-ルの氷河などを研究している知人のブロクに、再建されたキャンジンゴンパの様子が写真で掲載されている。ランタン村を襲った氷河を推測し、写真にしている。このわたしの知人、北海道大学の山岳部OBで、今年の3月から5月までカトマンドゥ大学の教授を務めていた。

 

2002年当時のキャンジンゴンパ

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2015年4月25日ネパ-ル大地震の揺れで、氷河雪崩発生、キャンジンゴンパを襲った、その猛吹雪の爆風で家の屋根・一二階全部・二階部分以上が吹き飛んでいる

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キャンジンゴンパの住民は岩陰にテントを張り避難

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2017年 再建されたキャンジンゴンパ 

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1991年 アンナプルナⅠ峰BCを襲う氷河雪崩

この氷河は、緩斜面をゆっくり動いた氷河が、ほぼ垂直の壁へせり出し、自分の重みで落下する懸垂氷河

アンナプルナⅠ峰北海道登山隊

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第26回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十六

ランタンヒマ-ル・トレッキング 八回目

 前回は2002年当時のランタンヒマ-ルのトレッキングル-ト、キャンジンゴンパからランシサ・カルカまでを見る、と予定したが。行き着けなかった。

今回こそは、ランシサ・カルカまでを写真で見てみる。

 

キャンジンゴンパ周辺の山々

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キヤンジンゴンパからチベット国境に聳えるヒマラヤ

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キャンジンゴンパのチベット仏教

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キャンジンゴンパのバティのサウニ(女主人)

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ヤク 

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ランシサ・カルカ Langshisa Kharka 4125m

雪のテント場 食事作り

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早い雪に、放牧中のヤクは前足で雪をかき分け草を探す

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ランシサ・カルカに放牧のヤク

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チベット国境のヒマラヤの山々

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ランタン・ヒマ-ルのナキウサギ

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第25回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十五

ランタンヒマ-ル・トレッキング 七回目

前回は1981年当時のランタン村からキャンジンゴンパまでを写真で見てみた。

 今回はそれから21年後の2002年のランタン村からキャンジンゴンパと、そこから家が無いヒマラヤの奥地、チベットとの国境にそそり立つ6千m~7千mに迫るヒマラヤを眺望するランシサ・カルカまでを見る。

 

ネパ-ル語の「カルカ」は、放牧地の意味。

 

 ランタン村が3500m、キャンジンゴンパは3800m、ランシサ・カルカは4125m、ちょうど水牛とヤクを掛け合わせたゾッキョやヤクの生育できる標高。

 ランタン村では多くの家畜としてのヤクやゾッキョを飼っている。春になるとそこから家畜の餌の牧草を求めて標高700m近く登る。秋の降雪前にランタン村へ戻る。

 3800mのキャンジンゴンパは、わたしがトレッキングした1981年当時はただ一軒のチ-ズ工場の小屋があった。現在では、多くのトレッカ-を受け入れるバティ(ロッジ)が建てられ、町を形作っている。2015年4月25日のネパ-ル大地震では、上部のヒマヨラの山の氷河が崩落、ランタン村は全滅、キャンジンゴンパは半壊の家が多い。懸垂氷河が地震の震動で崩落、ヒマラヤの急傾斜斜面を転がり落ちる。ランタン村は、途中の土砂を巻き込んで落下。キャンジンゴンパは粉々の猛吹雪となって襲った。

 わたしは昨年の5月までNPO法人北海道雪崩研究会の会長をしていた。長い研究生活で、この氷河雪崩の速度は時速200km以上程度だと考えられる。

キャンジンゴンパを襲った雪崩については、次回に観てみる。

今回は2002年当時のランタン峪のキャンジンゴンパ周辺を写真で見てみる。

 

1981年のキャンジンゴンパ

ヤクやゾッキョのミルクから作るチ-ズ作りの小屋が一軒あるだけ

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2002年当時のキャンジンゴンパ

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キャンジンゴンパからのランタンリルン峰 Langtang Lirung 7234m

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ランタンリルン峰から流れ下る氷河

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ランタン川を渡るゾッキョやヤクの群れ

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キヤンジンゴンパ周辺の山々

下の写真 ドルジェ・ラクバ峰

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放牧中のヤク

ヤクは毛並で分かる

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バティ(ロッジ)の家族

男経営者をサウジ 女経営者をサウニと云う

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