ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 その③パタンの六回目

 ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका その③パタンの六回目。

 世界文化遺産パタンは一回目から五回目まで、パタンの旧王宮広場とその広場を取り囲む寺院や仏塔を写真で見てきた。

 今回はカトマンドゥ市内からバグマティ-川を挟んだパタン市内に点在するアショカ・ストゥパを見てみる。

 パタン地域にあるアショカ・ストゥパと呼ばれている4塚は、紀元前249年~250年に初めてインドを統一したアショカ王が、現在のカトマンドゥ盆地を訪れて建立している。

 アショカ王はネパ-ルのブッタ(釈迦)の生誕地ルンビニを訪れ、その後ブッタが現在のカトマンドゥを訪れているので、アショカ王も現在のカトマンドゥ盆地に来てスワヤンブナ-トとボダナ-トを建立し、カトマンドゥの隣の街パタンに4塚を建立している。

 紀元前のこのころ、インドの国境に近いルンビニはインド文化圏であり、その後の現在のカトマンドゥはネパ-ルと言われていたらしい。

 この仏塔はネパ-ル語でチャイチイヤと呼ばれる塚で、パタン地域のアショカ王建立4塚は地球の4つの時代を表現していると云われている。

現在では「仏塔」と呼ぶが、当時はただの土饅頭の塚であったようだ。

 私は10年間札幌とネパ-ルを行き来して、カトマンドゥ市内で借家生活をしている。その間にこの地パタン市内も見てきたが、四塚在るとされるアショカ・ストゥパのうち三塚を見るだけ。残りの一塚はどこにあるのだろうか、探し続けている。

当時の塚、3仏塔を写真で見る。

 

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1950年代のアショカ・ストゥパ、土まんじゅう型塚

パタン市内の仏塔、現在は周りが住宅や商店街で埋め尽くされているが1950年代は畑だったのだろう。

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現在のアショカ・ストゥパ その1  パタン地形図の南端

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現在のアショカ・ストゥパ2  パタン地形図の北東側

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現在のアショカ・ストゥパ3  パタン地形図の西側

パタン地域に4つのアショカストゥパがあると云われているが、3ヶ所のストゥパしか見つけられない

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