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ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ル登山隊K2・8611m冬季初登頂 おめでとう 第13回

ネパ-ル人の2登山合同隊が、K2・8611mの冬季初登頂おめでとう その十三回目

魔の山 K2 「K2非情の頂」の五回目                                                   

 ネパ-ル人だけの登山隊で世界第二位の高峰パキスタン・K2冬季初登頂。おめでたいことから始まったこのブログ、もう13回目。

 前回は、「K2非常の頂」の著者ジェニファ-・ジョ-ダンがK2ベ-スキヤンプで偶然に遭遇した現場。K2日本隊の登頂20周年記念パキスタン・スキムブルム峰登山隊の、氷河雪崩死亡事故の5遺体荼毘現場の様子、を記した。

 今回は、「K2非常の頂」の5回目。K2の5人の女性登頂者の内4番目の登頂者、無事に下山するが、後に全員8千m峰で死亡する物語のシャンタル・モ-デュイについて。

 フランス人のシャンタル・マリ-・アニエス・モ-デュイは、1992年に念願のK2に登頂。

 6年後の1998年プレモンス-ン季のネパ-ルヒマラヤ・ダウラギリⅠ峰8,167mで遭難死する。

 ここでは、シャンタル・モ-デュイのダウラギリⅠでの死亡原因について、触れてみたい。

 シャンタル・モ-デュイは、22歳で出場したアイスクライミング競技会で、男性25中の3位になり、一躍注目を集めてフランス山岳会に入会。1992年のK2登頂以後は、世界の8千m峰14座の女性初制覇へ向けて、10年で18の登山隊に参加。1997年にパキスタン・ガッシヤ-ブルムⅡ峰に8千m峰6座目の登頂を果たす。

シャンタル・モ-デュイのダウラギリⅠ峰、遭難死の死因

 そして、34歳のシャンタル・モ-デュイが目指した7座目のダウラギリⅠ峰、1998年5月7日アンツェリン・シエルパ高所クライミングガイドと二人、ベ-スキヤンプを出発して6600mのキヤンプ2にテントを設営。このテント場は、どう見ても上部からの雪崩の通り道になる場所で、他の登山隊はその50m手前に雪洞を掘ったりテントを建てていた。

 その後、降雪を伴う悪天候が続き、以後二人の姿を見た登山隊員はいない。5月15日になつて、50m離れたイタリア隊が雪に埋もれたシャンタル・モ-デュイのテントを掘り出したところ、二人の死体を発見。

 8千m峰での遭難死は、たいていの場合遺体の引き下ろしはしない。そのル-トは困難で、自分の身を守るのが精いっぱいで、危険を伴う遺体搬送には至らないのが普通。なので、遭難死した遺体がねゴロゴロとあちこっちにあるのが、現状のヒマラヤ。

 シャンタル・モ-デュイ遺体は、比較的低高度の6600mだったので、ベ-スキヤンプに降ろされ、ヘリコプタ-でカトマンドゥへ搬送された。そして、その遺体は空路フランスへ運ばれ検視が行われた。

 C2現場を見た他の登山隊員の情報などから、多くの関係者などからテント内の炊事用のガススト-ブやガスランタンの一酸化炭素中毒の疑いが濃厚、とされた、のだが。カトマンドゥ在住のエリザベス・ホ-リ-は、フランス警察の検視通りの頸骨骨折を採用。登山記録でも、死亡原因を雪崩から落氷による頸骨骨折に変更された。

 「K2非常の頂」の著者ジェニファ-・ジョ-ダンがカトマンドゥのエリザベス・ホ-リに質問。エリザベス・ホ-リは次の様に応えた。「それは明白でしよう。フランスで出た検視結果のとおり、シンタルャ・モ-デュイは頸骨骨折で死亡したのです」

 エリザベス・ホ-リ-は、シャンタル・モ-デュイのロ-ツェ峰8,516m登頂にも正式な登頂記録認定を下している。

 8千m峰の単独登頂が多いシャンタル・モ-デュイは、登頂時にカメラが低温でチヤッタ-が押せなかったり、で、多くの登頂疑惑をまねいていた。

 カトマンドゥに戻った多くの遠征隊は、何時何処でカトマンドゥ着を察知したのか、必ず6500m以上の山の登山隊の宿泊場をエリザベス・ホ-リ-さんが訪問する。

 「K2非常の頂」の著者ジェニファ-・ジョ-ダンは、次の様に記述してる。疑念が渦巻く中、カトマンドゥに在住するヒマラヤ登山の大御所、エリザベス・ホ-リ-がいる。「彼女が登頂したことは間違いない、登らなかったのでは、などと疑う声を私は聞いたことがない」

 シャンタル・モ-デュイの6度目のエベレスト登頂失敗後、エベレストと双耳峰に見える第3キヤンプのサウスコルから、左にエベレスト頂上、右に行くとロ-ツェ頂上のロ-ツェ登頂を目指した。商業登山隊のアメリカ人のティム・ホ-ヴァ-トとスチイ-ヴン・コッホの3人でC3を出発。7900mに二人用テントのC4を設営。翌日朝、二人は高度障害で引き返す中、シャンタル・モ-デュイ一人が登頂。C3に戻ったシャンタル・モ-デュイに、C4までの二人の同行者のコッホとホ-ヴァ-トが声をかけた。「頂上、登った?」。シャンタル・モデュイ-は「ウイッ」「イエス、イエ-ス、やったわ」。証拠のない登頂に、二人は言葉通りには受け取らなかった。15時間で往復は困難と主張。

エリザベス・ホ-リ-さん

 カトマンドゥに居るエリザベス・ホ-リ-さん、このK2登頂者のシャンタル・モ-デュイさんについても、二度「K2非常の頂」に登場する。

 わたしはネパ-ル暮らしを始めて13年間。エリザベス・ホ-リ-さんとお目にかかる機会が数度。一度目は、1982年。ネパ-ルのロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6,853m遠征時。二回目は1991年のアンナプルナⅠ峰8,091mアタック時。そして最近は、13年前からカトマンドゥに借家を借りて住む様になって、友人の会社に一月に一回くらい遊びに行くと、そこにエリザベス・ホ-リ-さんが現れる。友人の営む会社は、ネパ-ルに来る登山隊の面倒を見るエ-ジエント会社。

 エリザベス・ホ-リ-さん、2018年1月26日、カトマンドウで94歳の高齢で亡くなられた。

 エリザベス・ホ-リ-さんは、アメリカ・シカゴ生まれで、ロンドンタイムスの記者だった。

 ご自分の半生を記述した「Ⅰcall you in Kathmandu」を出版。ネパ-ル政府は、ホ-リ-さんの功績を称えて、ダウラギリヒマ-ルの6,128mをホ-リ-・ピ-クと命名

 ホ-リ-さんが必ず面談して、登頂の可否を判断する。それは、「私は登頂しました」と言っても、その可否を瞬時に判断できる真実の質問や話題があるから。時には「今年は頂上は岩でしたか」の質問。「頂上手前のナイフリッジに雪が付いていましたか」等々の質問。ホ-リ-さんは一度も高峰登山をしたことがないが、その山頂付近の形状や諸々の様子が頭に入っている。「頂上手前のナイフリッジに雪が付いていましたか」の質問は、雪が付いていたのかどうか、ではなく、真実はナイフリッジがない、のだ。「ナイフリッジなどなく、ロ-プの使用の必要もないほぼ容易な斜面でした」の答えが正解なのだ。

 ご本人のエリザベス・ホ-リ-さんが言うには、相手の目を見ればすぐに判る、らしい。

 ネパ-ルヒマラヤ登山の約70年間近くに及ぶ記録のデ-タ-ベ-スは、世界の山岳雑誌の登山史記録に提供されてきた。エリザベス・ホ-リ-さん亡き後、助手だったドイツ人クライマ-のビリ-女史が仕事を引き継ぐのだろうか。

 女性のK2の4番目登頂者シャンタル・モ-デュイが遭難死したネパ-ル・ダウラギリⅠ峰 8,167m

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2009年10月 わたしとエリザベス・ホ-リ-さん85歳

わたしは、熊谷榧さんの描いたK2絵のTシャツを着てた

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カトマンドゥのコスモトレックにて、アマダムラム峰登山のヒラオカさん達とエリザベス・ホ-リ-さん

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1991年 アンナプルナⅠ峰北海道隊の尾谷賢隊長とエリザベス・ホ-リ-さん

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1991年北海道隊がアタックしたアンナプルナⅠ峰北面 8,091m

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エベレスト 鞍部はサウス・コル、シャンタル・モ-デュイはサウスコルC3から右上しロ-ツェ峰Lhotse 8,516mに登頂する

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シャンタル・モ-デュイ登頂のロ-ツェ峰Lhotse 8,516m 右下にアイランドピ-ク6,198m

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ロ-ツェ峰Lhotse 8,516mと南壁 左の南壁から頭を出すエベレスト8,848m

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