ネパ-ル人の2登山合同隊が、K2・8611mの冬季初登頂おめでとう その七回目
アンナプルナⅠ峰1991年大規模雪崩と1950年フランス隊第三キヤンプの雪崩
ネパ-ル人隊の世界第二位の高峰パキスタンのK2冬季初登頂の、おめでたいことから始まった、のが、もう7回目。
前々回からアンナプルナⅠ峰BCを襲う氷河雪崩や、1991年韓国隊の6名死亡雪崩事故の写真を見た。
今回もアンナプルナⅠ峰北面を襲う雪崩写真を見てみる。
北海道隊は1991年ポストモンス-ン季に、アンナプルナⅠ峰北面の登攀中、鎌氷河からの雪崩と北面全体の雪崩、そしてベ-スキャンプが襲われる氷河雪崩に遭うこととなった。実際には私は氷河雪崩に遭い、距離5千m前方からモクモクと雪煙を挙げて襲ってくる雪崩から一目散に走って逃げた。
それ以前にも発生した雪崩に隊員一名が埋没。登攀ル-トのC1からC2へ荷揚中、一人は一目散に逃げ無事だった隊員が、スカッフ・コ-ル。雪の中から声が聞こえた。シャベルなど無く手で声の部分を掘り出されて無事。
今回の写真は、登攀ル-トのC1からC2周囲全体が雪崩に巻き込まれる大規模な雪崩。その写真を見る。
アンナプルⅠ峰雪崩に遭遇した最初の人
1950年6月、フランス隊はここアンナプルナⅠ峰を、世界で8千m峰の初登頂をした時にも、この鎌氷河がなだれて雪崩に遭っている。フランス隊のモ-リス・エルゾ-グとルイ・ラシュナルが、登頂後の下山時に雪崩に遭遇。
モ-リス・エルゾ-グは頂上で手袋を紛失。この時はルイ・ラシュナルと合わせて手足の指30本を凍傷で失っている。
エルゾ-クはこの後、ポカラ――カトマンドゥへの帰路途中に両手指の切断手術、ポ-タ-達に担がれての、登頂凱旋となった。指を失ったエルゾ-クは、「第二のアンナプルナがある」の名言を残し、シャモニ-市長や国民会議議員・青年スポ-ツ省大臣などの人生を飾ることとなる。
フランス隊の隊員全員はフランス帰国後に、スポ-ツ活動貢献に与えられるガイ・ウイルデンシュタイン賞を受賞。エルゾ-クはネパ-ルのグルカ戦功勲章を受章。
1950年はネパ-ルが130年間の鎖国から開国した年。イギリス隊がエベレストを初登頂するのは、それから3年後。日本隊が8千m峰のマナスル峰8163mを登頂するのは1956年。
アンナプルナⅠ峰はフランス隊の初登頂以後、多くの登山隊が雪崩死亡事故に遭うことになる。
そして今日まで、8千m峰では登頂者比較では最悪の死亡事故率の山となってしまった。
アンナプルナⅠ峰についての2010年の統計では、登頂者数157名に対して死亡者数60名で38%の死亡率となる。2018年の統計では、死亡者率が少し減って266名の登頂者に対して死亡率27%の72名。
なんとアンナプルナⅠ峰は、8千m峰では断トツに高い死亡率。統計を見れば一目瞭然8千m峰14座中登頂者数は最低。
ネパ-ル・アンナプルナⅠ峰北面、ABC上部の登路から
大雪崩発生
1991年アンナプルナⅠ峰北海道隊
1950年アンナプルナⅠ峰フランス隊
アンナプルナⅠ峰鎌氷河下部ル-ト
第三キャンプで雪崩に遭遇
両手凍傷のモ-リス・エルゾ-グ
二つのタンカでカトマンドゥまで搬送されるモ-リス・エルゾ-グとルイ・ラシユナル