ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百四十一回目
30.エベレスト街道の寺院と仏塔やタルチョ-
前回は、「30.エベレスト街道の寺院と仏塔」の二回目、エベレスト街道の道端の巨大な石に、チベツト仏教のお経を刻んだ写真を見た。
今回は、エベレスト街道の各所に見られる、チベット仏教のタルチョ-の写真を見てみる。
カトマンドゥのアジア最大の仏塔ボダナ-トには、うるさいくらいのタルチョ-がはためいている。このボダナ-トの1950年代の写真を見てみると、なんと周りは畑で、タルチョ-はない。ネパ-ルのお土産屋には、お土産のタルチョ-が販売されているので、観光客やトレッカ-の行く先々のタルチョ-は宗教観よりは見世物の様子なのだろう。
タルチョ-について、少し調べてみた。インタ-ネット上には日本の子供の節句の鯉幟があった。
タルチョ-
チベット語のタルチョ-は、仏教の白い細長い布の幟(のぼり)で、五色の祈祷旗のこと。木や竹の竿に付けて立てる。
幟や旗には、チベット仏教の経典がプリントされているものもある。タルチョ-に経文が書かれている場合は、風になびくたびに読経したことになり、マニ車と同じ功徳があるらしい。
タルチョ-の五色の順番は、青・白・赤・緑・黄の順に決まっていて、それぞれが天・風・火・水・地を表し、仏教宇宙世界の五大を表現。
チベット仏教の悪魔祓いの役割を果たし、どの様に悪魔祓いするのかは、寄りついてきた邪悪なものをタルチョ-に巻きつかせ、風によって去らせる厄除け旗。
日本の仏教用語辞典によれば、五正色(ごしょうじき)・五大色とも呼び、青(しょう)・黄(おう)・赤(しゃく)・白(びゃく)・黒(こく)をいう。仏教徒のシンボルとしての仏旗も五色を基本とする、とある。
また、日本の5月子供の節句に揚げる鯉のぼりに由来した説明では、このタルチョ-が原形と考えられているらしい。江戸時代、中国から朝鮮半島経由で、タルチョ-が日本に伝えられた。それが、当時の江戸の気風と云おうか、単なる仏教教義が江戸市民の生活へ変容。乱世戦乱から徳川幕府の庶民安泰生活に至って、風の流れを水の流れに見立て、そこに鯉の魚を浮かせる発想、実に大胆な江戸時代のデザイン感覚。浮世絵や東海道五十三次の発想や絵心と同様、端午の節句に男の子の成長を願い祝うという意味で、これも家々の庭先で、悪魔祓いの役割を担っている、と考えるのも面白い。(インタ-ネットより)
ネパ-ルの宗派統計では、ヒンドゥ-教が79%、チベット仏教徒が10%。インドに近いネパ-ル南部地域ではあまり見かけないタルチョ-、チベットと国境を接するここエベレスト街道を含むヒマラヤ山中では多い。また、ネパ-ルの首都カトマンドゥ市内の、チベット仏教信者の家には必ず見かける。
エベレスト街道・タムセルク Thamserk 6,608mとタルチョ-
エベレスト街道・クムジユン村からアマ・ダブラム峰 Ama・Dablam 6,856mとタルチョ-
エベレスト街道・ナムチェ村 Namche 3,440mにたなびくタルチョ-
エベレスト街道・ナムチェ村 Namche 3,440mのチベット仏教壁画とタルチョ-
エベレスト街道・つり橋にも渡る危険を安全に五色のタルチョ-
エベレスト街道・村の段々畑と農家の住宅にタルチョ-
エベレスト街道・地元のポ-タ-が通るマニ石とタルチョ-
エベレスト街道・Tukla村 4,620mのエベレストで遭難死した高所ガイドなどのレリ-フとタルチョ-
エベレスト街道・ヒマラヤ峻峰とタルチョ-
エベレスト街道のタルチョ-番外編
カトマンドゥにあるボダナ-ト・ストゥ-パには、五色のタルチョ-がはためく
1950年代のカトマンドゥ・ボダナ-ト
チベットからインドとの交易途中、ボダナ-トへお詣りに立ち寄る、周りは宿泊場
この時代はタルチョ-はない。チベット仏教の教えのタルチョ-は現代の観光と相まったものか