koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第237回  ネパ-ル西部地方の寺院と仏塔 

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百三十七回目

カトマンドゥ盆地より西部にある寺院と仏塔 

28.ブツタの生誕地ルンビニ その四回目

 前回は、お釈迦様の生誕地ルンビニLumbinikの、公園内世界13寺院などの写真を見た。

 今回は、前回見た写真の一つ、日本山妙法寺の建設現場監督者の生天目上人(豊)さんについて、少し触れ、そしてその生天目上人(豊)さんが、周り廻ってわたしと関係があることについて、色々な人々との関係写真を見てみる。 

ルンビニ世界文化遺産内に建立された日本山妙法寺についての、生天目上人(豊)物語

 ここルンビニが発掘によりブッタの生誕地として知られ、その後国際連合は釈迦生誕地周辺を聖地公園として整備する計画が立案される。

 1978年に日本の建築家丹下健三さんがプランを作成。ルンビニ入口の案内図のプランに基づき地域別開発が行われた。

 前回触れた、1985年にルンビニ開発公団発足以後の世界各国13ケ国の寺院地区とは別に、それ以前に寺院地区と異なる場所に日本山妙法寺の建設が進められた。

 今回の生天目上人(豊)物語は、日本山妙法寺建設計画とその建立に関わる物語である。

 このルンビニ日本山妙法寺、実はアンナプルナヒマ-ルの麓にあるポカラの寺院と姉妹寺院。そのテンプルの姿がそっくりで、その名前も同じ。実は世界にある同じ名称の寺院30ケ所も同じ名前なのだ。

 そもそも日本山妙法寺とは、その正式名称を日本山妙法寺大僧伽(にっぽんざんみょうほうじだいさんが)と呼び、藤井日達さんが創設した法華宗系の宗教団体日蓮宗の仏塔。    

 生天目上人さんはこの仏舎利塔建設途中の1997年7月4日に、建築資金の金銭を盗る目的の強盗団に襲われ、手製の散弾銃銃弾に倒れている。

 以下は、1998年平成10年7月発行の「生天目上人追悼集」から抜粋して、物語をお伝えする。

生天目上人追悼集

 生天目上人(豊)さんは1993年7月から日本山妙法寺の建設に着手している。が、その以前相当前から建設計画があった。

 追悼集から抜粋する。

 1931年(昭和6年)1月に遡って、行勝院日蓮大聖人がインド・ネパ-ルの御仏蹟巡礼時にルンビニの荒廃を嘆き、復興を誓ったことから始まる。

 当時のネパ-ル政府はルンビニの復興請願を認めなかった。政府と云っても宰相はラナ家の世襲で傀儡シャハ王家であった。

 1973年2月25日、いまの宝土から3マイル北方のコブラ村で地鎮祭を執り行ったが、又も王室の弾圧禁止命令により頓挫。

 1993年11月13日、国際連合が後押しするルンビニ開発計画による用地買収などが進み、地鎮祭が執り行われて建設が始まった。

 ルンビニ仏舎利塔地鎮祭には、ネパ-ル側からG・P・コイララ首相、文部大臣、工業大臣、10名の国会議員が参列している。

 上下水道や電気もない場所での建設開始であった。

 この当時のこの地域はモンス-ンの雨期時は沼地になる土地だった。

 この時、作業員などは全てネパ-ル人だったが、その計画を実行する日本側の現場監督兼資材購入係など、一切を生天目上人さん一人で携わっていた。

 ネパ-ル政府との交渉打ち合わせや、セメントや鉄筋などの資材購入のためにカトマンドゥへ度々訪れている。カトマンドゥ滞在中は、カトマンドゥの隣の市のパタン在住で友人の秋田吉祥さん宅に宿泊してる。

 わたしはこの秋田吉祥さんとはカトマンドゥで何度かお会いする機会があった。

 秋田さんの奥さんはネパ-ル人でラクシミさんといい、息子の寅吉さんと三人家族。カトマンドゥのラジンパット町の私の借りているフラットから徒歩3分の所に鈴木ユミさんが華牡丹と云うレストランを経営していて、鈴木さんの友人の秋田さんが来ていた。

 秋田さん、ピアノや笛の演奏がプロ級で、鈴木さん経営の貸間に住んでいたギタ-演奏者の上平更さんとコンサ-トを何度か開催。

 私も、サンセットビユ-ホテルの蕎麦レストランを借り切ってのコンサ-トを聞きに行ったことがある。2007年か08年だと思う。

 ここからが人の繋がりを感じることが続々と続く。生天目上人(豊)さんが、わたしまで人々が繋がるのだから面白い。

 この上平更さん、前にもこのブログで紹介した2016年11月30日(水)「ネパ-ルの世界自然遺産エベレストエリアその5・クワンデ北壁新ルート」の中川博之(札幌登攀倶楽部)と伊藤仰二(札幌登攀倶楽部)パ-ティの中川さんと繋がるのだ。

 中川博之さんがネパ-ルヒマラヤのパリラプチャ北壁登攀の前後に、カトマンドゥへ滞在中は奥さんの愛さんと一村文隆さん三人で、私のカトマンドゥ市内の借家フラットの部屋に宿泊。この中川さんは笛を演奏するが、これもプロ級で以前にピアノを弾いていたそう。中川・一村パ-ティのパリラプチャ北壁登攀登頂祝いを鈴木レストランで行つた。そこに、ちょうど上平さんが居たので中川さんの笛と上平さんのギタ-での演奏会になった。

 中川博之・一村文隆パ-ティが完登したパリラプチャ北壁、実はその前の年に山野井泰史さんと中川さんがアタックしたのだが登れなかった山。

 この山野井泰史さん有名な登山家で、沢木耕太郎さんが2005年9月に出版している「凍」の主人公。この山野井泰史と妙子さんご夫妻も2009年10月にク-ラカンリ峰を登る前に私の借家フラットに宿泊してる。

 皆さん、私の借家のフラットに泊まった人達だが、ルンビニ生天目上人(豊)さんとパタン在住の秋田吉祥さんの関係から、次々とつながってしまつた。

 中川博之・一村文隆パ-ティがパリラプチャ北壁完登しているが、それ以前に一村さんは登山のアカデミ-賞と云われるフランスのピオレ・ド-ル賞受賞に輝いている人。

 又、沢木耕太郎さん出版の「凍」には私の友人で、ネパ-ルに46年以上住まいしている登山トレッキングのエ-ジェント会社コスモトレック㈱社長の大津二三子さんとご主人の大津昭宣さんも記述されている。

 又一方、2016年11月にカトマンドゥに住んでいる鈴木ユミさんの所に遊びに行った。鈴木さんは既にレストランを閉じて、名前があかね日本語学校の経営に携わっていた。コ-ヒ-とお茶菓子でネパ-ルの話をしていると、当時の上平更さんの話題になり、東京に住んでいる彼、キリスト教牧師の学校を来年2017年3月卒業予定。4月には故郷の札幌で牧師をするとのこと。その後、札幌市厚別区のキリスト協会の牧師さんになった。上平さんと中川さんの演奏が札幌で再び実現するかもしれない。

 ルンビニの話から、人づてや楽器演奏など、最後にわたしとの繋がりまで、横道にしばらく歩いてしまったので、元に戻します。

 新聞紙上では、ブッタの生誕地がインドかネパ-ルかの論争が2千年続いたと書かれていたが、紀元前249年にアショカ王が、紀元636年には玄奘(げんじょう)三蔵が明快にも文字でルンビニがお釈迦様の誕生地であることを証明していたことを生天目上人さんが次の様に説明した。

生天目上人追悼集より

 「人と叢(むら)の森となって残ったルンビニ園は、自然と萌え出る若葉は毎日沢山の牛や水牛が群がり、付近の婦人や子供たちは、菰(こも)の中に牛糞を拾い集めて、今やあつくならぬうちに、家路を目指して隊を組んで還っています」

 「マ-ヤ婦人堂の背後の沼地は、今枯れ果てて水一滴もありませぬ」

 「二年前から全日仏の依頼で立正大学の考古学部による発掘調査のため、マ-ヤ摩耶夫人お堂は、壊され未だ再建のめどもたっていない。木の根が邪魔でしたのでお堂そばに植わっていた菩提樹までも切り倒した。他の仏教国から避難ごうごうと起っていたにも拘わらず、強行調査を進めた」

 「そこで解明した事は、ここが釈迦の生誕地であることが確定した。そんな事は2000年の昔に、アシヨカ王がこの地に石柱を建てて証明された事柄で今更疑う余地のない事だ」

 生天目上人さんが中心になって建設された日本山妙法寺、1993年7月に始まり1997年7月に亡くなるまで、約4年の歳月をかけたテンプル、生天目上人さんが殺害された時の建物途中とその後の完成写真をご覧いただく。

ルンビニの完成日本山妙法寺

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生天目上人(豊)さんが現場監督で、建設を進めた

ここまでの建設途中で強盗団の改造ピストルの銃弾に倒れた

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サンセットビユ-ホテルの蕎麦レストランでのコンサ-ト

左・秋田吉祥さん 右・上平更さん

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手前左が生天目上人(豊)さんの友人の田吉祥さん 右が現在札幌市厚別区の協会で牧師をしてる上平更さん

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中川博之・一村文隆パ-ティのパリラプチャ北壁完登祝賀会・カトマンドゥ

左から上平更さんと右隣の中川博之さんの演奏会

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右から山野井泰史さん・妙子さん、真ん中の犬を抱く大津昭宣さんとわたし夫婦

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「岳人」2007年2月号 山野井泰史さんとパリラプチャ峰6,017m北壁

麓まで行って登れなかった記事

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沢木耕太郎著書「凍」

山野井泰史・妙子ご夫妻のヒマラヤ登山記

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