ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百三十六回目
カトマンドゥ盆地より西部にある寺院と仏塔
28.ブツタの生誕地ルンビニ その三回目
前回は、お釈迦様の生誕地ルンビニLumbinikの、お釈迦様ブツタ生誕に関わる、その真実の歴史、そして、お釈迦さまの育った家や発掘された諸々の写真を見た。
唐の玄奘(げんじょう)が辿った路をわたしも歩いた
前回のネパ-ルの王宮と寺院(仏塔)二百三十五回目は、紀元前249年にアショカ王の石柱建立がインド・アショカ王のブッタ誕生地訪問を記念してのこと、そして落雷で折れた石柱を唐の玄奘(げんじょう)が636年に訪れ、その後1895年ドイツの考古学者フユ-ラがは石柱を発掘、とした。
唐の玄奘(げんじょう)は、天竺(てんじく)と呼ばれたインドで仏教経典を中国・唐に持ち帰る途中、現在のパキスタンやタジク共和国・キルギス共和国経由で帰路についた。
わたしは、唐の玄奘(げんじょう)が辿った路を1987年夏に訪れていた。1987年当時はソビエト国だったタジキスタンやキルギスタンのヒマラヤ山岳地帯をパミ-ルと称していて、わたしが7千m峰二峰登頂目指してソ連山岳協会主催のパミ-ルキヤンプに参加した。
唐の玄奘(げんじょう)(三蔵法師)が書き残した「大唐西城記」には、唐への帰路の途中に、パミ-ルを経由と記述されている。玄奘(げんじょう)の歩いた1350年後に、同様の街道をわたしも歩いたのだ。
ネパ-ルの世界遺産 ルンビニ世界文化遺産地域には、ブッタの生誕遺跡発掘地域やネパ-ル寺院がある地域と別に、広大な敷地を持つ公園内に世界各国の13寺院が建立されている。
わたしが訪れたこの時は、3月のまだ暑さが厳しくないと考えての訪問だったのだが、40度Cに達する熱さに耐えきれず全ての寺院めぐりはできなかった。そして、涼しい日本のホテルに逃げ入ることにした。ちょうどお昼でホテルのレストランに駆け込んだ。北海道育ちの人は、精々11月~2月の比較的涼しい時期に訪れると良い。
ルンビニエリアで燃え続ける公園の「平和の火」
地球の歩き方(2013~2014)より
ルンビニ・中華寺
チベット仏教僧院か
宗教法人出資の総教日本寺 2007年には建設途中で未完成だった、ネパ-ル人の管理人が居て、隣の管理棟で、せっかく入らしたのでとお茶をご馳走してくれた
日本の法華ホテル
ミヤンマ-(ビルマ)のパゴダ(仏塔)
タイ寺院
この仏舎利塔は、1985年にルンビニ開発公団発足以後の世界各国13ケ国の寺院地区とは異なる場所にある日本山妙法寺
アンナプルナヒマ-ルの麓にあるポカラの寺院と姉妹寺院
このお寺については、1931年からの生天目上人(豊)物語として後々に書くことになる
ルンピニ世界文化遺産の寺院群を訪れたネパ-ル人の一団