koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのバザ-ル 第122回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百二十二回目
13、ネパ-ル西部バイラワ地域のバザ-ル 第2回
バイラワ市内のバザ-ル 一回目

 前回から、ネパ-ル西方のバイラワ市周辺からネパ-ルガンジまでの、バザ-ルや商売の写真を見てる。
 今回から、バイラワ市内のバザ-ル写真。
 わたしは、13年前からネパ-ル生活をしてる。そのネパ-ルに借家を借りるキッカケになったのが、このバイラワ滞在。
 バイラワからの帰路、ポカラやゴルカなど経由してカトマンドゥに帰着。そこで、日本の沖縄にセカンドハウスの夢を、カトマンドゥにセカンドハウスの現実に変化することとなったのだ。この詳しい話は後ほど、機会があれば。
ネパ-ル西部のバイラワ滞在は、涼しい時期に
 1981年からネパ-ル通いをしていたわたしだが、13年前まではヒマラヤの登山とトレッキングが目的のネパ-ルだった。それが、13年前ネパ-ルのタライ平野の最西部方面の、インド国境を目指した旅に出た。ヒマラヤは遠望するだけで、3月の比較的涼しい季節を選んだのだが、これが間違い。北海道育ちのわたしには、インド国境のネパ-ル・タライの3月は灼熱地獄。毎日40度C超えに、午前中のみ行動と、午後はホテルの涼しい場所に沈殿。そして、ホテルの内外は、何処もかしこも蚊の大群に見舞われ、蚊取り線香と一緒の生活を強いられた。
 こうしてわたしは、一回目のネパ-ル西部旅行で、インドやネパ-ルの南部へ行くのは、12月~1月の北半球の寒冷な時期に限られることを知った。
 話しが横道を歩き出したので、元に戻すとする。
 バイラワへは、ネパ-ルの世界遺産見学で、お釈迦様生誕地のルンビニと、自然遺産のチトワン国立公園を訪れた時に、カトマンドゥからフライトで着陸到着した場所。
 バイラワ市は、その名称は旧姓。正式な市の名称は、シッダ-ルタナガルSiddharthnagar。この正式名称は、バイラワ市内のルンビニに由来する。ルンビニは、お釈迦様の生誕地。ブッダの名前のシツダ-ルタから旧姓ルンビニを新しい市の名前シッダ-ルタナガルにしたもの。現在でも、空港や色々な名称を、旧姓のバイラワ空港などと呼んでいるので、地元民も新名称で呼ばずにバイラワと呼ぶ。
 現在ではポカラ市がカトマンドゥに次ぐ人口第二の都市だが、少し以前までは、バイラワの人口がネパ-ル第二位だった。
 それでは、バイラワのバザ-ル写真を見てみる。
 バイラワ市内のバザ-ルに加えて、バイラワでの日曜日バザ-ルが開催されていたので、この大規模バザ-ル風景写真も追ってアップしたい。

 

バイラワの路上で焼きとうきび売り
燃えた炭の上にトウモロコシを置いて焼く
カトマンドゥでも同様のを見かける

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野菜売りバザ-ル
カリフラワ-・キャベツ・トマト・きゅうり・エンドウ豆、など

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金物鍋屋バザ-ル

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羊肉バザ-ル
一山づつ同じような部位を切り分けて、平等に
量り売り

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ミシン屋バザ-ル
ネパ-ルのヒンドゥ-教・カ-ストで、ミシン屋カ-ストがある、先祖代々祖父祖母・父母、そして自分もミシン屋さん

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