koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのバザ-ル 第112回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十二目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第20回
カリガンダキ川沿いのバザ-ルや商売 三回目
マルファ-村の川口慧海記念館・ミユ-ジアム

 

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真も20回目。
 カトマンドゥから西へ200kmのポカラから、自動車や飛行機で、アンナプルナヒマ-ルの奥地標高マルファ-村2,632mへ。
 マルファ-村のバザ-ル写真の二回目。
 今回は、川口慧海ミユ-ジアムの写真。
 川口慧海は、日本未伝の大乗仏教の経典を求めて、二度チベットへ行く。当時のチベットは、外国人の入国禁止で、川口はインドとチベツト交易に携わるネパ-ル人に変装して、チベツト潜入・侵入。
 第一回目は、明治30年に日本を出発、川口慧海31歳。インド経由でネパ-ル、チベツト入り。帰国は明治36年。明治37年には二度目の出発で、1914年大正四年に帰国した。
 古い地図と磁石で、国を閉ざしていたチベツトに入り、入国後は医者として名声を挙げ、ダライ・ラマに拝謁・謁見したが、日本人と見破られて脱出帰国した。
 二度のチベツト入りは、口述筆記「西蔵探検記」などの書物にまとめられ、世界的なチベツト資料として位置づけられている。1978年昭和53年に「チベツト旅行記」として出版。
 この川口慧海さんのネパ-ルでの滞在は、ここマルファ-村の一軒家に、当時の居住状態そのままに保存されている、から面白い。
 「西蔵探検記」には、インド――ネパ-ル――チベツトの滞在記があるが、現在私たちが読める「チベツト旅行記」は、ほとんどがチベツトでの様子しか触れていないため、ネパ-ルのマルファ-村の様子は分からない。
川口慧海の辿った行程
 川口慧海の著書「チベット旅行記」の「旅行の道程」では、次の様に記述されている。
 ダ-ジリン(インド)からラサ府まで大約2,490マイルばかり歩いております。まず明治32年1月5日にダ-ジリンを出発し、汽車に乗ってカルカッタを経てセゴ-リという所まで来て、ここからまた歩いて、2月5日カトマンドゥに着きました。セゴ-リからカトマンドゥまで約115マイルです。3月7日にここを立って、ポカラに着いたのが同月11日、14日にポカラを出発して、4月の16日にチベット国境からわずか18マイルを距(さ)っているロ-・ツァ-ランに着きましたが、カトマンドウからここまで歩いたのが、260マイルばかりです。このロ-・ツァ-ランに一年ほど滞在して、翌33年4月の6日にここを立って、チベット潜入の便宜上、再び前の方へ戻って来て、ド-ラギリ-山(ダウラギリⅠ峰8,167m)の東谿にあるマルパ山村に出て、6月12日にここを立って、ド-ラギリ-山の北の中腹の、殆ど二万尺の所を踰(こ)えて、西北原の方に進み、7月4日にチベット西北原のホルトショ州の山峡に達しました。ツァ-ランからマルパまで約70マイル。マルパからホルトシ州まで、大約155マイルほどあります。・・・・・・・それから12月5日に、シカチェ府のタシ・ルフンプ-寺に着き、三日間滞在して同地を出発して、明治34年3月21日に、ダ-ジリンを出てからちょうど二か年と三か月ばかりで、ラサ府のセラ大寺へ着しましたのです。ホルトショ州からラサ府までは、・・1,279マイルmも歩いております。
 わたしが考えるに、この記述の中に、「このロ-・ツァ-ランに一年ほど滞在して」がある。このロ-・ツァ-ランが現在のマルファ-村ではないか、と確証しているのだが、どうだろうか。
 1マイルは1.60934kmなので、なんと河口慧海僧侶は2,490マイル×1,60934km=4,007.2566km、往路約4,007kmを徒歩で歩き通したことになる。往復で8,014km。それも二度だ。
 せっかく、川口慧海の写真を見るのだから、川口慧海の著書「チベット旅行記」に掲載されいる、チベットの人たちの様子の二例を紹介してみる。
その1・日常的な男女間の婬風(いんぷう)
この辺の人々の無常の楽しみは何であるかといえば、女に戯れ肉を喰い、酒を飲むことであります。・・・・彼らが打ち寄って話をすることは、穢わしい男女間の話より他には何もございません。・・・デその心に熱心に欲するところは、男子は女子を求め、女子は男子を求めることで、これは老人から少年少女にいたるまでソウいう有様ですから、婬風(いんぷう)は実に盛んであります。
その2・着物は一年中洗わないで着っぱなし
着物はドンな汚い物を着ておってもかまわない。それも年に一度づつ新しい物と取り換えるに過ぎぬから、バタ-と垢(あか)で黒光りに光っておるのです。なお一年よりもニ年着ておれば豪(えら)いと讃(ほ)められるような風習であります。その間一度でも洗うということはない。

 

川口慧海記念館 ミユ-ジアム
ホテル・マウントビラでチケット販売

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チベツトのニヤ-トンの守関長より与えられた通行書

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この箱に諸物を入れて、竹籠のドッコで運んだのだろう

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明治時代のカメラ

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川口慧海の旅行姿

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マルファ-村

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