koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのバザ-ル 第75回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第七十五回
10、カトマンドゥ市内のバザ-ル 二回目
チベッタン・カ-ペット織り

 前回は、カトマンドゥ市内の日本食専門店と大型のス-パ-の写真を見た。
 今回は、昔からカトマンドゥ市内にある、チベット絨毯工場の写真を見てみる。
ネパ-ルには、現在チベットからの避難民とブ-タンからの避難民が大勢生活してる。
 ブ-タンの避難民は、10万人を超す人数で、ネパ-ルにブ-タン避難民町を形成してる。今回はブ-タンの避難民ではなく、チベット絨毯なので、チベットの避難民について、少し綴っておく。
チベツト避難民について、少し調べてみた
 現在のチベツトは、中国の一地方。中国がチベツトへ侵入し出したのは1700年代から。ようするに領土拡張の侵略だ。
 1959年3月、チベットからダライ・ダマ14世がインドへ亡命し、中国共産党チベット政府廃止宣言。1965年、中国がチベットを中国領域とした。
 1950年から中国人民解放軍チベット侵略を開始し。1959年にチベト全域を制圧した。この時の中国人民解放軍の言い様は、チベット和平開放とか民主開放と称している。
 2016年現在のチベットは、「改善」の名のもと、チベット仏教僧院から僧侶の全員を追い出し、街ごと僧院の観光化を進めている。わたしには、以前使われていた「和平開放」や「民主開放」の言葉は、現在の「改善」と同意語に聞こえる。ようするに、中国共産党は中国国内での宗教を認めない政策の実行を、着々と進めている。お経を唱える中国人を中国共産党員に入党させない、ことで、宗教を認めない中国共産党が解る。
 チベットでは、ダライ・ダマ14世がチベット仏教の最高僧であり、チベット政府の君主で元首でもあった。
 わたしが考えるには、チベツト地を客観的に観て、客観的言葉の「侵略」を、中国共産党は「和平開放」や「民主開放」・「改善」などの言葉に置き換えた使用をしてることになる。「和平開放」や「民主開放」・「改善」活動が平和的に行われているのならまだしも、「侵略」と同様に多くのチベット人の血が流されている、現実がある。
 2008年からのラサ動乱では、チベット仏教僧侶160人が焼身自殺。数千のチベット仏教徒が、チベットを脱出。この時、インタ-ネツトでは、チベット地域登山隊やトレッカ-の外人たちの撮った動画が、激しく現地の様子を世界に配信した。その様子中身は、中国軍がチベットから国境を越えてネパ-ルへ避難逃げる、多くのチベツト人達の背中に向けて銃撃するもの。
 こうして、1950年代からのチベット避難民が、隣国のネパ-ルに定住した。チベットに近いポカラ市内の避難民町やカトマンドゥに多く居る。
 今回のネパ-ル・カトマンドゥの絨毯織の写真は、チベットからの避難民の仕事場の写真でもある。

 

チベッタンのジュ-タン織物

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