ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十六回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
18.ナモ-ブッダ僧院(ゴンパ)
前回は、ドゥリケル町の中心街にあるヴィシュヌ寺院の写真を見た。
今回は、カトマンドゥ盆地のカトマンドゥからアルニコ・ハイウエ-を、盆地の最奥まで行き、小高い山に登ると、チベット仏教のゴンパ・ナモ-ブッタ。
ナモ-ブッタは、次回から写真を見てみるパナウティ町から近く、前回まで見たドゥリケル町からハイキング・トレッキングで半日の距離。
ネパ-ル国民の約10%がチベット仏教徒。インドと国境を接するタライ平野近辺には、チベット仏教徒の住民は少ない。
やはり、現在の中国チベットとの国境を接している、ネパ-ルヒマラヤ圏から、標高2千mから精々1千m位まで、元チベット住民が多い。
古くは、紀元前250年前に、カトマンドゥにインドの王様が建築した仏教仏塔があり、その存在に気が付いたチベット人がカトマンドゥとチベットを行き来しながら、チベット仏教の成り立ちなどある。元々は、インドとチベットの交易のためにネパ-ルを通過していた人達のこと。
カトマンドゥ市内には点々と、規模の大きなチベット仏教ゴンパがあるが、盆地の一番南東端の僧院。
ネパ-ルの山岳民族の多くはチベット仏教徒
わたしの友人にエベレスト街道のナムチェバザ-ル町から、徒歩で2時間のタ-メ村に住むペンパ・ツェリン一家が居る。彼の家に遊びに行った時、大きな贅沢な木材を使った立派な家には、贅を尽くしたチベット仏教僧院の様な佇まいだった。彼はヒマラヤ登山やトレッキングのガイドであるシェルパ族。長男と長女がチベット仏教僧院の僧侶。奥さんと二男の3人家族。カトマンドゥから電話でガイド仕事の連絡があると、ルクラから飛行機でカトマンドゥまで飛んで来る。
ペンパ・ツェリンと云えば、彼にお世話になった日本人が多いはず。
ネパ-ルには三種族が
ネパ-ル人を大別すると、三種族になる。
ネパ-ルの原住民のネワ-ル族やタル-族。他の二種族は、南のインドからのインド系ネパ-ル人と、チベットからのチベット系ネパ-ル人。
ここの大きな僧院には、古代の石版と仏陀の目が書かれた仏塔(チョルテン)がある。
ネパ-ルに住むチベト人は、巡礼の季節2月3月に多くが訪れる。現在の中国・チベットは、中国共産党のチベット自治を認めない政策のため、チベットからネパ-ルのチベット僧院を巡礼などで訪れる人はゼロ0人。少し前までは、チベットからネパ-ルへ、国教を越えるチベト仏教徒を背後から中国兵が打ち殺す動画がインタ-ネットでアップされていた。
ここにあるチョルテンには、ブッダの前世狩のハンタ-の骨と髪の毛が納められていると言い伝えられている。
ブッダの前世はハンタ-。このハンタ-、食物に飢えた虎の母子に遭遇。飢えに同情してハンタ-の仏陀自身を虎の母子の餌として食べられた。この自己犠牲が、仏陀への転生を可能にした教え。
ネパ-ルのルンビニで紀元前500年前にブッダが誕生している。お釈迦様の生誕は事実だが、ブッダについては伝説やフイクション話しがなんと多い事か。
ナモ-ブッダ僧院はタマン族のゴンパらしい。
ナモ-ブッダ僧院(ゴンパ)
僧院内のマンダラ絵
ネパ-ル人たちもお詣り