ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百八回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
17.チャング・ナラヤンの寺院 4回目
前回は、チャング・ナラヤン寺院の三回目の写真を見た。
今回もチャング・ナラヤン寺院の四回目。
前回寺院周りの神石像や碑文古文の石版の写真を見たが、中に「ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像」の写真があった。
この石像、ネパ-ルの紙幣10RSルピ-札の表に印刷されている。
現在のネパ-ルの紙幣の表には、エベレストが印刷されている。2008年まで1769年から240年間続いたネパ-ル国王制度時には、紙幣の表は国王。
紙幣に印刷されていたエベレストの前は、シャハ王朝国王マヘンドラ国王。その前はビレンドラ国王の写真が印刷されていた。
ネパ-ル絶対君主の終焉
我が国日本と少し似ているかもしれない。我が国は、明治維新以降1945年の敗戦まで、神としての天皇主権全体主義体制だったが、ネパ-ルもヒンドゥ-教と国王の国王主権体制だった。
ネパ-ルでは、1990年ネパ-ル憲法制定時まで国王体制とヒンドゥ-教教義違反罰則制定法の国だった。特にヒンドゥ-教のカ-スト違反の罰則は、最高刑死刑。
1990年以降、国王によるク-デタ-が2回に及んで、ネパ-ル国民と議会が一挙に民主化を進めた。2007年暫定憲法制定と、2008年制憲選挙に至って、議会が王制廃止・国王退位・追放を決議。
ビレンドラ国王銃殺事件
2001年6月1日、ナラヤンヒティ国王宮殿において、デイペンドラ皇太子が国王と王妃、姉と弟、国王の姉二人、10人を拳銃で殺害。自分は自殺。
国王は、ビレンドラ国王からギャネンドラ国王に交代。
事件当時ギャネンドラ王子はポカラの王室施設に滞在中、と、皇太子の選んだ結婚話に国王が反対していた、との報道がなされている。
なぜか、わたしのネパ-ル人の友人達は、これらの諸々の事件の内容などを信じている人はいない。
ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像
ネパ-ルの紙幣10RSルピ-札の表の中央に「ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像」の写真
空飛ぶ羽根のあるガル-ダに乗るヴィシュヌ神
ビレンドラ国王時代の10RS紙幣
ビレンドラ国王、2001年6月1日ナラヤンヒティ王宮内で、身内の銃弾に倒れる
ギャネンドラ国王時代の10RS紙幣
ビレンドラ国王の弟、2008年制憲選挙後、国王退位
カトマンドゥ ナラヤンヒティと呼ばれる王宮
ダルバ-ルマルクと呼ばれる王宮前通り
2008年の制憲選挙の日、自動車の通行とヘリコプタ-の飛行が禁止