ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 百八十四回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
16.バクタプルの王宮と寺院 15回目 トウマディ-広場のニャタポラ寺院の10基の石像
前回は、バクタプルのトゥマディ-広場ニャタポラ寺院の写真を見た。
今回からは、ニャタポラ寺院の5段の基壇中央階段脇にある10の石像の写真を見てみる。
バクタプルの歴史
バクタプル市は、カトマナンドゥ市の東へ12km。
歴史は、889年アナンダ・デヴ王が築いたと云われ、カトマンドゥ盆地の第一の首都として栄えた。以前は「信仰の街」の意味のバドガオンと呼ばれていた。13世紀から18世紀にかけて、現在の王宮や、歴代王が多くの寺院を建築している。
マッラ王朝時代の1484年に、バクタプル王からカトマンドゥ王が分家。1619年にはカトマンドゥ王からパタン王が分家している。カトマンドゥ盆地三王時代だ。この分家、王の息子なのか王の兄弟なのか、判らない。知っている人は、教えてほしいのだが。
バクタプル市の現在2018年の人口22万人と云われている。2011年の人口が8万4千人なので、どちらかが間違っているのか。
カトマンドゥ盆地の先住民ネワ-ル族は、バクタプル市内に80%くらい住んでいるらしい。カトマンドゥは1950年の鎖国から開国以来、ネパ-ル全国から種々の種族の人たちが、働き先を求めて集まり、ネワ-ル族住民は10~20%と低くなった。
ネワ-ル族は、元々カトマンドゥ市やバクタプル市内で農業に従事していた。ここバクタプル市内のネワ-ル族達は、現在でもほとんどが農業だ。
ニャタポラ寺院Nyatapola Temple 基壇の石像
1950年ころの写真
10基の石像は、それぞれ色付けされていた
石像が新設されたころは、色濃かったのだろう