ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 百五十八回目
カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔
11.スワヤンブナ-ト・ストゥパ-Swayambhunath Stupa 9回目
スワヤンブナ-ト・ストゥパ-の写真をアップして8回。
今回で終わり。
現在のスワヤンブナ-ト・ストゥパ-は、紀元前250年にインドの大王アショカ王が、現在のカトマンドゥを訪れて、土饅頭の塚を建設したのが始まり。
アショカ王は、最初からここに塚を作るために来たわけでない。紀元前249年ブッダの生誕地ルンビニを訪れたついでの次の年。
同時に、バグマティ川を挟んだカトマンドゥの隣のパタンに4塚も建設。
今回は、これらの歴史的変遷が分かる写真と、ごく最近の仏塔の顔などの変化の写真を見てみる。
スワヤンブナ-ト・ストゥパ-の歴史
紀元前250年、宗教的信仰の対象物でなかった塚。まだ、ブッダや仏像・寺院・仏塔を拝礼・拝む習慣のない時代。建設時に遡った現代の呼び方は、初信物。
13世紀、仏教の聖地。
15世紀、イスラ-ム信徒により偶像崇拝物の破壊。どの程度壊されたのか。
16世紀、ネパ-ルの王政期とネワ-ル文化興誠期。
2008年、王制廃止。どうゆう訳か、スワヤンブナ-ト・ストゥパ-の姿と顔が変わる。
スワヤンブナ-ト・ストゥパ-の容姿
スワヤンブナ-ト・ストゥパ-は、その下部が土饅の土台。
その土台の上部は、四面に顔が描かれている。
一番注目されるのは、ブッダの睥睨する・見据える目。わたしが、その目を見ると、なんだかわたしの全てが見透けられている様な気持ちになる。ブッダが全世界を眺めながら、世の中全ての人々の心を観ているのだろう。
その目の上には、一見ヒンドゥ-教の儀式の額のティカ、の点に見える目がある。これが仏様の第三の眼。
その上部には、わたしが勝手にスカ-トと呼ぶ幕がある。
そのスカ-トの上部が、ごく最近新しく飾り付けられた金属製の飾り付け。
その飾りのまた上部は、13段の悟りの境地を表わす法輪。
13段法輪の上、ストゥパ-の最上部は冠。
スワヤンブナ-ト・ストゥパ-の顔と容姿の変化
どちらかと云うといかついスワヤンブナ-トの顔が、やさしい感じの顔に代わった。わたしの気のせいだろうか。
紀元前250年には、土饅頭の塚だった土台。塚の中心は、基本的土なのだろうか。2015年ネパ-ル大地震でひび割れた。
四面の顔の変化。太い描き方で、鼻や眼・眉毛が中心に寄っていのが、2008年の国王退位前後に異なる顔に変化。
顔の上のスカ-トの色が変わった。
スカ-トの上には飾りがなかった。これも2008年前後に、新しく金属製の飾りが付けられた。
参考資料
在ネパ-ル日本大使館・ホ-ムペ-ジ
ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン
ネパ-ル 地球の歩き方
ネパ-ル紀行 三瓶清朝
ネパ-ルの秘境ムスタンへの旅 ジュゼッペ・トゥッチ
ネパ-ル アジア読本
NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局
ネパ-ル・ルンビニのアショカ王が紀元前249年建立の土饅頭型の塚
パタン市内 紀元前250年建立アショカ・ストゥパ- 1950年ころの写真
15世紀 イスラ-ム教徒によるブッダ生誕石像の破壊
表面が削り取られている
ブッダ生誕石像のレプリカ
スワヤンブナ-トの変化前
スワヤンブナ-ト・ストゥパ-変化後