koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第118回  ボダナ-ト・ストゥパ-周辺の寺院

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百十八回目 

カトマンドゥ盆地内の寺院や仏塔 

ボダナ-ト仏塔と、その周辺地域の寺院

 

 ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔は、今年の2月18日(日)に第1回目、8月27日(月)まで117回。

 多くの旧王宮や寺院・仏塔の写真を見てきた。

 7ケ月の長期の写真掲載だが、これでもネパ-ル国内でのわたしが写した写真の二分の一か三分の一くらいだろう。

これまでに見た写真は、ネパ-ル国内のカトマンドゥ盆地内。次の場所

1.カトマンドゥ旧王宮

2.パタン旧王宮

3.ゴルカ旧王宮

4.ブダニ-ルカンタのヴィシュヌ神

5.ネパ-ル切手になった窓

6.キルティプルの寺院や仏塔

7.パシュパティナ-ト寺院

8.ボダナ-ト仏塔

ボダナ-ト・ストゥパ-地域周辺の寺院

 8月27日(月)、117回目にカトマンドゥ市内のボダナ-ト・ストゥパ-の写真を見た。

 今回は、しばらく日にちが経過したので、ボダナ-の写真を見て、次回から周囲にあるチベット仏教僧院の写真を見てみる。

 

ストゥパ-かストゥ-パか

 日本語で仏塔のことを、ネパ-ルではストゥ-パと呼ぶ。しかし、わたしはこの呼び方に馴れないので、いつもストゥパ-と呼んでいる。直訳語でなく、話し言葉語が言い易い。

 仏塔のことを、別名で仏舎利とも呼ぶ。正式には、お釈迦様(仏陀)の身体のお骨を収めた塔のこと。

 我が国日本の寺院にも、お釈迦様(仏陀)のお骨を収納してる、と云われるところがある。

 お釈迦様(仏陀)の生誕地はネパ-ルのルンビニ。天竺のインドで悟りを開き、亡くなっている。死亡年は二説あり紀元前500年くらいなのに、インド国内の多くの仏塔や寺院でも、お釈迦様(仏陀)のお骨を収めていると自認してる。

ボダナ-ト・ストゥパ-は、紀元前の建立かどうか

アショカ王のネパ-ル訪問

 インドを統一した王様の名前はアショ-カ王(アショカ)。

 インドを統一したアショカ王は、仏教を守護した大王で仏教に関心を持っていた。仏教に関するインドやネパ-ルの各地を訪れ、その記念に石柱とストゥパ-を建立。

 アショカ王は紀元前250年に、ブッタ(お釈迦様)の生誕地のネパ-ルのルンビニを訪れた。このころ、まだインドとネパ-ルの国境が画定していなかったので、インド国内と同様の巡回(巡礼)だったのかもしれない。

 お釈迦様のブッタはインドで悟りを開いて、インド各地を歩いている。ルンビニから数百キロmのネパ-ルのカトマンドゥにも来た。インドの王様アショカは、このブッタの足跡をたどってカトマンドゥを訪れていた。

 アショカ王は、現在のパタン市内の四か所のアショカ・ストゥパ-と、カトマンドゥ市内のスワヤンブナ-トに、土饅頭型の塚を作った。今から2,268年前のこと。

 現在はストゥパ-(仏塔)と呼ばれているが、当時はただの土饅頭型の塚。

 わたしは、カトマンドゥ市内のボダナ-トもスワヤンブナ-トと同様に、アショカ王が建設したのではないか、と考えている。

 アショカ王の石柱と塚アショカ王は、お釈迦様の遺骨を納めたインド国内の8仏塔の中から、遺骨を持ち出し、8万4千の仏塔に分骨したとされている。このことが本当か嘘かは別としても、ネパ-ル・パタンの4ストゥパ-とスワヤンブナ-トとボダナ-トには、もしかすると仏陀の遺骨が在るかもしれない。

 

ボダナ-トの世界文化遺産登録

 国際連合ユネスコに登録されたのは1979年。カトマンドゥ盆地の7ケ所の一つとして登録。この時一緒に世界自然遺産のサガルマ-タ国立公園エリアと同時に二か所が登録された。ネパ-ル語のサガルマ-タはエベレストのこと。

 ネパ-ルには、前記の二か所の他に、1984年に世界自然遺産チトワン国立公園エリア、1997年に世界文化遺産のブッタ仏陀の生誕地ルンビニが登録されている。

 ネパ-ルには、世界自然遺産が二か所、そして文化遺産が二か所の四か所の世界遺産がある。

 ちなみに、2008年にネパ-ル議会が王政廃止決議して、国名がロ-ヤル・ネパ-ルからネパ-ル民主共和国に変わった。それで、世界遺産もロ-ヤルの冠が外されている。例えば正式名称がロ-ヤル・チトワン世界文化遺産だったのが、チトワン世界文化遺産に。

 ボダナ-トのユネスコへの登録申請は、他の六ヶ所と同時にカトマンドゥ盆地として、ネパ-ル政府がカトマンドゥ周辺の自然の景観を含めた自然遺産と文化遺産の混合遺産であった。が、ユネスコは自然景観を抜きにした文化遺産のみの登録を承認している。

 

参考資料

在ネパ-ル日本大使館ホ-ムペ-ジ

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

ネパ-ル 地球の歩き方

カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

ネパ-ルの秘境ムスタンへの旅 ジュゼッペ・トゥッチ

ネパ-ル アジア読本 

NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局

 

ボダナ-ト・ストゥパ-

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1950年代のボダナ-ト

周りの畑地に巡礼者用の宿屋が建ち並ぶ

数世紀前から多くのチベツトに住む仏教徒が訪れていた

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ボダナ-ト入場券 400RSルピ-

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ネパ-ル・ルンビニ、紀元前249年、ブッダ生誕地を訪れたアショカ王の建立石柱

近くに土饅頭の塚

この時代、ただの塚でストゥパ-(仏塔)とは呼ばなかった

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アショカ王石柱の側には、土饅頭型の塚

1950年頃のネパ-ル人

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現在のネパ-ル・ルンビニ、復元されたアショカ王建立石柱

アショカ王の「建立とブッダ生誕地の地元民の租税を八分の一に減額する」の古代文字が記されている

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ボダナ-ト仏塔

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5色の旗がなびく、厄除けのチョルテン

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ボダナ-ト周囲のお土産屋

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夕方になると仏教徒がお参りに

マラ車、一廻り回すと、経典を読んだと同等の功徳が

 

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チベツト仏教僧侶

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ボダナ-ト一周、周囲にマニ車が並ぶ

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