ネパ-ル生活2018年
日本にはないネパ-ルの職業・寺院近くで新しいお金に両替業
わたしはネパ-ルで暮らし始めて12年。今年の9月半ばから、11月まで約2ケ月間ネパ-ルで過ごした。
ネパ-ルで、日本にはない職業に出くわす。芝生のある空き地で行われていた布団の綿打ち直し。そして、砥石を使わない刃物研ぎ業。
今回は、路上で行われる紙幣の両替。日本では、法律にのっとって両替業法の許認可が無ければ、お金の両替ができない。
日本のお金の両替は2005年ころまでは、手数料のかからない金融機関の業務の一つだった。それが、あまりにも手数がかかるので、両替手数料を徴取して、両替を行うようになった。
手数のかかる両替にはどのようなものがあるのか。どのような両替でも、両替はりょうがえだ。
例えて二例を挙げて説明してみよう。
まずその一例。毎年恒例の行事、お正月のお寺参りに行われる賽銭。これが大変。以前はお金だけに限らなかった。寺院にお参りして「神頼み」する対価として、金銭にむ限らず、米を賽銭箱に入れたりしていた。米を袋に入れて賽銭箱に入れるのであれば、たいした問題にはならない。コメのバラが賽銭箱にばらまかれていた。
寺院の担当者は、賽銭箱に入っているお金だけを金融機関に持参し、両替や預金をする。この時に、賽銭箱に入ったコメと小銭が一色たんで、金融機関に持ち込まれる。雨や雪が降っていたら、お金が当然濡れている。
金融機関に持ち込まれた、両替の賽銭お金は、わや。だ。
硬貨勘定機械に入れて数えても、正常には作動せず、機械が壊れる。
濡れた紙幣を乾かすが、再度使用できる紙幣には戻らず、損券として日本銀行での両替紙幣となる。
一つの寺院の賽銭を数えるのに、出納係一人付きっきりで一日以上かかる。
手数のかかる二つ目の両替の例。
パチンコ屋さんの千円札の両替。これは例えば一万円札を千円札に両替したり、その反対に千円札10枚を一万円札に両替するのではない。千円札を千円札に、同じお金なのだ。普通に考えると両替は必要ない様に思える。パチンコのお客さんが、パチンコ屋さんのカウンタ-やパチンコの玉を買う機械に、千円札を入れる。その機械内で、その千円札はおつりとして支払われ。そのおつりが又球を買うのに使われる。繰り返された千円札、ついにボロボロになってしまう。
この再利用できないお札が、金融機関の窓口に持ち込まれる。
金融機関ではこのボロ紙幣、窓口の紙幣入金機械へ入れると、支払いに自動的に使われるので、手で数えて、日本銀行への両替紙幣として扱われる。
この千円札お金は、日本銀行へ損券として両替に持ち込まれる。日本銀行から新しい紙幣に変えない限り、金融機関の金庫で眠ることになる。
ネパ-ルの新券紙幣両替屋
ネパ-ルの現金の両替には、法律による許認可の手続はいらないらしい。
信者が寺院へお参りに来て、ネパ-ル紙幣が功徳として寺院への賽銭に使われる。
ネパ-ル人の80%はヒンドゥ-教徒。ヒンドゥ-教は、徳を積めば積むほど死後の安泰が保障される教義。お寺に持って行くお金は、新しいほど良いのかどうか。わたしには理解の外の話だが。
寺院が多くある地域には、路上に新しい紙幣を並べて、両替する業者が居る。この商売、両替手数料を取るのだろうか。寺院への徳を積む行為に、手数料を取るのはどうなのだろう。
両替業者、鬼の住む地獄へ落ちなければ良いが。
ネパ-ルの寺院街で商売をする両替屋
5RSルピ-から1,000RSまで、新券を並べて
ネパ-ルの紙幣