ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百ニ回目
パタンの王宮と寺院や仏塔 その三十回目
パタン市内の寺院と仏塔 アショカ・ストゥパ- その三回目
前回は、パタン市の北東側、バグワティ-河に近いアショカ・ストゥパ-の写真を見た。
パタン市内の王宮と寺院の第1回目に王宮の南側、バスストップの近くのアショカ・ストッウパの写真を見たのに続いて、前回に2回目のアショカ・ストッウパの写真を見た。
今回は、アショカ・ストッウパの写真3回目。
カトマンドゥ市内からバグマティ-川を渡って市内に入り、バスストップ手前の道路脇にもアショカ・ストッウパがある。
スイス人のトニ-・ハ-ゲンが、ネパ-ルの鎖国政策から開国した1950年にネパ-ルの調査をしたときに写した写真が、どこのストゥパなのか分からないが、第一回目か今回のどちらかだろう。
トニ-・ハ-ゲンの写したパタンやカトマンドゥの写真には、広々とした畑がある。
カトマンドやパタン市内は畑ばかりの年代
ヒンドゥ-教の教義カ-ストの最高位カ-スト、ネワ-ル族は家の一階部分で雌牛を飼っていた
1950年代のカトマンドゥやパタン市内は、ほとんどが畑だった。カトマンドゥの先住民族のネワ-ル族は、ヒンドゥ-教の教義カ-ストの最高位カ-ストで、ほとんどが農業を営んでした。そして、家の一階部分では雌牛を飼い、住み込みの牛飼いが一階に住んでいた。現在のパタンやカトマンドゥ市内は、ビッシリと家々が建ち並んでいて牛の牧草になる土地が見当たらない。
人口の増加が、牛の餌場の牧草地を減らし、牛を飼う家が減り続けたのだろう。
わたしが11年前から借りているフラットの借家前には、牛の餌になる草が茂る広場になっている。数等の牛は、定期的にこの広場に現れて草を食んでいる。昔のカトマンドゥ市内は牛だらけだった。自動車道路の真ん中に、ドシリと寝転んだ牛が車の通行を妨げていた。
牛刑法があって、牛を傷つけたり殺した場合は、懲役刑にさせられたヒンドゥ-教が国教時代のこと。
ネパ-ルの民主化後、新しく牛を放し飼いにすることを禁止する法律ができた現在でも、裏道には牛が食べる草を探してウロウロしている。
アショカ・ストゥパ-
トニ-・ハ-ゲン「ネパ-ル」1950年代の写真
パタン市内地形図の西側のアショカ・ストゥパ-
自動車道路とアショカ・ストゥパ
ネパ-ルの自動車道路に寝っころがる牛
わたしの借りているフラット(三階建)の前の牛