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ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第80回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その八十回目

パタンの王宮と寺院や仏塔 その八回目

パタン旧王宮広場 2回目

パタン旧王宮

 

前回からパタン市の中心にあるパタン旧王宮広場の写真を見ている。

カトマンドゥ盆地内の七カ所の貴重な歴史建造物は、世界遺産登録されている。

ネパ-ルの世界遺産について、少し学習してみる

ネパ-ルの世界遺産は全国に四か所。その内二か所が自然遺産で、他の二か所が文化遺産

世界自然遺産 1.サガルマータ国立公園सगरमाथा

世界自然遺産 2.チトワン国立公園चितवन राष्ट्रिय निकुञ्ज
世界文化遺産 1.ルンビニलुम्बिनी

世界文化遺産 2.カトマンドゥ盆地の七ケ所काठमाडौं उपत्यका

  • パシュパティナート寺院広場 Pashupatinath (Temple of livingbeings)
  • ハヌマン・ドカ(猿神と門=カトマンズ旧王宮広場)Hanuman Dhoka
  • パタン旧王宮広場
  • バクタプール旧王宮広場
  • スワヤンブナート仏塔
  • ボダナート仏塔
  • チャングナラヤン寺院

世界遺産登録の手続

世界遺産登録はどのようなものか、又どのような手続きで登録されるのか。

 世界遺産は、1972年の第17回ユネスコ総会で採択、1975年に世界遺産条約が発効された。

世界遺産条約は、正式には「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」。

 文化遺産や自然遺産を人類全体のための遺産として損傷、破壊などの脅威から保護・保存していくために、国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的とした条約。

 ネパ-ル政府が登録申請して、国際連合ユネスコに登録されたのは、1979年に自然遺産のサガルマ-タ国立公園エリアと文化遺産カトマンドゥ盆地の二か所。そして1984年に自然遺産チトワン国立公園エリア。次いで1997年に文化遺産のブッタ仏陀の生誕地ルンビニ

 ネパ-ル語のサガルマ-タはエベレストのこと。チトワンはネパ-ル憲法に王様が存在していた時代だったので、ロイヤル・チトワンの正式名称だった。

 カトマンドゥ盆地は頭初、ネパ-ル政府がユネスコに登録申請時にはカトマンドゥ周辺の自然の景観を含めた自然遺産と文化遺産の混合遺産の申請であったが、ユネスコは自然景観を抜きにした文化遺産として登録承認した。

それでは、日本の世界遺産を見てみる。

 日本政府は、この「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」を1992年に締結・国会で批准した。

 ネパ-ルで登録完了してから13年後だった。日本の自然環境保護に関しては、国立公園法に基づく公園指定がある。この国立公園法は、保護と利用という相反する目的があって、なかなか保護重点になっていない問題点が指摘されていた。

 世界遺産登録は保全が目的。ユネスコ世界遺産登録の遅れは、日本人の歴史遺産保護よりも観光や経済重視の表れ、のような気がするのはわたしだけだろうか。

世界の世界遺産の現状

世界遺産リストは、2017年現在1073件が登録されている。

 世界遺産条約の締約国は193ケ国で、その中で、国内に世界遺産保有する国は165ケ国。

世界遺産の種類とその数  

世界自然遺産 832ケ所 
世界文化遺産  206ケ所 

複合遺産 35ケ所 (文化と自然の両方の遺産) 

危機遺産 54ケ所 (一度登録されたが、その後倒壊などで壊れたが、抹消するに至らない遺産) 

登録を抹消された遺産 2ケ所

 

 ネパ-ルの文化遺産は、2015年4月25日午前11時56分、カトマンドゥの北西約70kmに位置するガンダキ県ゴルカ郡が震源地のネパ-ル大地震で一部倒壊した。ネパ-ル全体で9000人の死者を出し、世界文化遺産も当初の情況から著しく倒壊などの変化しているので、今後どうなるのか心配だ。

 カトマンドゥ盆地の世界文化遺産は、1979年登録以降に、カトマンドゥの急激な都市化と維持管理体制が貧弱などにより、一時期危機遺産の指定を受けていた。

 

参考資料

在ネパ-ル日本大使館ホ-ムペ-ジ

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

ネパ-ル 地球の歩き方

カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

ネパ-ル アジア読本 

NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局

 

パタン旧王宮

手前からスンダリ チョ-クとムル チョ-ク、その右奥にタレジュ寺院、その奥がデグタレ寺院

左奥の三重屋根はマニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク

ネパ-ル語のチョークとは、中庭を囲む建物のこと

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手前の四角のスンダリ チョ-ク

17世紀に建造された王の住居。

 門の前にはハヌマーン(猿の神様)、ガネーシュ、ヴィシュヌの化身であるナルシンガ(ライオン)の像がある。

 わたしは未だにスンダリチョ-クに入場したことがない。中庭の中央は王の沐浴場になっているらしい。この沐浴場は1960年に修復され、浴槽の内側は繊細な彫刻が施され、噴水の噴出口にはヴィシュヌ神とラクシュミ神が乗り物であるガル-ダにのっている石像がある。浴槽の上にはクリシュナ寺院のミニチュアが置かれている。また、中庭の中央にある石の台座は、王が修行のためにその上で雨の日も風の日もその上に寝続けたと言われている。

 スンダリチョ-クの「スンダリ」は、ネパ-ルでよく女性に呼びかける言葉と同じ「美しい」という意味で、その名のとおり美しい中庭。

 

スンダリ チョ-クの奥となりのムル・チヨ-ク

旧王宮の3つの建物のうちで一番古く大きい。

現在の建物は1666年にシュリ・ニワス・マッラ王によって建立。

王の執務室になっていて、王位の継承などに使われていた。

建物の柱にはヒンドゥー教の神々が描かれている。

 

ムル・チヨ-クの右奥のタレジュ-寺院

 タレジュー寺院は、ネパ-ル一番大きなお祭りダサインの祭りに、水牛やヤギなどが生贄として捧げられる。

 

タレジュ-寺院の奥の四十屋根のデグタレ寺院は

デグタレ寺院はパタン・ダルバールスクエア-の中でも最も目を引く寺院。

何度も火災や地震により崩壊し、修復再建されている。

 7階建てに見えるが実際は5階建。近くにはガンジス川の女神とジャムナ川の女神の像もある。

 

左奥のマニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク王宮・現在はパタン博物館

1734年に完成した、王宮の中の建物では一番新しいもの。

 かつて王が舞踏や音楽を楽しむ場所であったといわれている。それぞれの寺院入り口には門があり、ここの門は金色の装飾を持つので「スン・ドカ」と呼ばれている。ネパ-ル語の「スン・ドカ」は黄金の門の意味。この上にある金の窓から王は、広場に集まった民衆に姿を見せていた。

 現在の建物は1997年に改装され、現在はパタン博物館になっている。展示品の多くは、ヒンドゥー教の神像と仏教の仏像などの装飾品が展示されている。

旧王宮の民家に入り込んで怒られた

 マニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク王宮は1734年に完成。ここは民家として使われていたが、1997年にパタン博物館になっている。

 私は1991年に民家のこの建物に入り込んだ。アンナプルナⅠ峰北海道遠征隊の副隊長でネパ-ルを訪れ、登山を終えて自転車でカトマンドゥ観光していた。旧王宮内部の階段を上っている途中、住人の女性にいきなり怒鳴られた。ネパ-ル語なのでなにを云っているのか分からない。

 寺院と思って入り、階段を上っていた。今ではここの住人に怒られたのを懐かしく想い出している。

 

パタン旧王宮について

14世紀から建造された、マッラ朝の歴代の王が住んだ王宮。

パタンの王宮は、チョーク(中庭を囲む建物)の建造物。

 パタン王宮は、王が即位する度に増築された。一番多い時には12のチョークがあったが、現在残っているのはこのうち一列に並んだ3つ。

 この王宮には謁見の間、会議室、客間、居室、浴室、台所、寺院、中庭などがある。これらは14世紀ごろから300年かかって造られた。その後、戦争や地震などにより壊れ、その度に再建修復している。

 

旧王宮の左側は寺院や仏塔

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