ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その五十八回目
カトマンドゥ市内の寺院と仏塔 その一回目
ブダニ-ルカンタのヴィシュヌ神像 Budhanilkantha
前々回にカトマンドゥ旧王宮広場総集編として、広場内の寺院や仏塔三十数か所の写真を見た。
今回からは、カトマンドゥ市内の寺院や仏塔などの写真を見てみる。
カトマンドゥ市内には、数えきれない程の寺院や仏塔が散在する。その殆どは、歴史遺産に匹敵する、仏教とヒンドゥ-教の色彩が豊かな、そしてネワ-ル族の建築文化が織りなす絢爛なもの。
約百年ごとの大地震で全壊して再建されないもの、海外の主に国際連合の修復再建で現存するもの、などネパ-ルの歴史そのもの。
カトマンドゥ盆地の寺院や仏等は、ネワ-ル文化そのもの
修復再建作業は、海外の文化遺産修復師も来るが、ほとんどは古くからここネパ-ルのカトマンドゥ盆地に住み続けるネワ-ル族が携わっている。ネパ-ルのネワ-ル文化と云われる、あらゆるものがネワ-ル族の手によって作られてきた。そして今、修復再建に携わる人達の100%がネワ-ル族。わたしのネパ-ル人のライ族の友人が、わたしに質問してきた。「地震で壊れた寺院の修復作業は、どうしてネワ-ル族だけが」。なぜに日本人のわたしが、ネパ-ルの歴史や文化について、ネパ-ル人に説明しなければならないのか不思議。
ネワ-ル族は、ここカトマンドゥ盆地に定住したネパ-ル系ネパ-ル人。中世紀から金銀細工や仏像制作、そして木彫刻やレンガと木造の建築技術に冨んでいた。中世から今日まで、多くの制作技術が受け継がれ、文化と云われる程。現在でもネワ-ル族の専売特許になっている。
ブダニ-ルカンタのヴィシュヌ神像 Budhanilkantha
ブダニ-ルカンタのヴィシュヌ神は、カトマンドゥ中心街から北へ11kmのブダニ-ルカンタ村にある。
カトマンドゥ市内は、ぐるっと周りを小高い山に囲まれた盆地。ここブダニ-ルカンタ村は、シヴァプリ山の中腹に位置する。
わたしは、いつも利用する交通機関は、前々回まで写真で見たカトマンドゥ王宮広場の近くのビンセンタワ-が見える大通り、カンティ・パトと呼ばれる大通りにあるテンプ-・タ-ミナル発のトゥクトゥクに乗るか、そこから少し北側のバス・タ-ミナルからの乗合バス。
テンプ-と呼ばれるトゥクトゥクは、電気自動車で馬力が少なく、山へ登る程の力がないのか、山の手前まで。それでトヨタのハイエ-スの乗合バスを利用している。2015年まではどこまで乗っても15RSルピ-だったが、2016年から20RSに料金が値上げ。1RS=1円
国王時代に、国王は一度も礼拝に訪れず
ヴィシュヌ神像は涅槃像。普通の神様の姿は、座った姿が多い。ここの神様は寝姿。
それで、死後の寝姿のヴィシュヌ神なので、歴代国王は一度もここの仏塔へ礼拝に訪れることはなかった。
ヒンドゥ-教や仏教は、その全てが死後の世界。死後の世界の中に、また涅槃の死後の世界がある。凡人のわたしには理解の外の話。
カンティ・パト通りのテンプ-・タ-ミナル
カンティ・パト通りのテンプ-・タ-ミナル
お祭り前日、買い物の車でびっしり
リンプ-(トゥクトゥク)電気三輪車
トゥクトゥクの運転席
乗合バス
ブダニ-ルカンタ村入口の門
ブダニ-ルカンタのヴィシュヌ神の涅槃像 Budhanilkantha
ヴィシュヌ神を覆う衣服は、洗濯して乾されている
いつものヴィシュヌ神は、こんな裸ではなく衣に覆われている