koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第57回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その五十七回目

寺院と仏塔 その四十回目

カトマンドゥ旧王宮広場の寺院と仏塔 その三十九回目

 

カトマンドゥ旧王宮広場総集編

1.カスタマンダブ寺院 Kasthamandap 

2.ラクシミ・ナラヤン寺院 Laxmi Narayan Temple

3.アショク・ビナヤク Ashok Binayak

4.クマリの館 Kumari Bahal

5.ハヌマン・ドカ(猿神と門)

6.ビメレシュワラ寺院 Bimaleshwor Temple

7.ガッディ・バイタック Gaddhi Baithak

8.トライロキャ・モハン・ナラヤン寺院 Trailokya Mahan Narayan Temple

9.ガル-ダ像 Garud Statue

10マジュ・デヴァル・シヴァ寺院 Maju Deval ShivaTemple   と白い塔堂のカムデブ寺院 Kamdev Temple

11.ナラヤン寺院 Narayan Temple

12.シヴァ・パ-ルバァティ-寺院 Shiva Parvati Mandir

13.バンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院 Panch mukhi hanuman mandir

14.バグワティ寺院 Bhagwati Temple

15.セト・バイラヴァ神 Swet Bhairab

16.デグタ-ル寺院 Degutalle Temple

17.プラタップ・マッラ王石柱 King Pratap Malla’s Column

18.タレジュ・ベル Taleju bel

19.スト-ン・ビシュヌ寺院 Stone Bishnu Temple

20.サラスワ-ティ寺院 Saraswati Temple

21.クリシュナ寺院(チャシン・ドガ寺院) Krishna Tenple(Chyasin DegaTemple)

22.ジャガナ-ト寺院 Jaganath Temple

23.ビシュヌ寺院 Bishnu Temple

24.インドラプ-ル寺院 Indrapur Temple

25.カ-ラ バイラブ神 Kala bairav

26.コティリンガシュワ-ル・マハド-ル寺院 Kotilingshwor Mahadev Temple

27.マハヴィシュヌ寺院 Mahavishnu Temple

28.カケシュワ-ル寺院 Kakeshwar Temple

29.タレジュ寺院 Taleju mandir

30.マンディル・マヘンドラシュワ-ル寺院Mandir Mahendreshwarと前の門

31.ビンセン・タワ-Bhimsen Tower

 

前回は、カトマンドゥ王宮広場番外編として。ビムセンタワ-の写真を見た。

 ここまでネパ-ルの王宮と寺院の写真を、56回にわたって見て来た。カトマンドゥ王宮広場内の43の世界遺産建築物とビムセンタワ-の内31の写真を見た。

 

建造年順31建築物

カトマンドゥ王宮広場の建築物を、中世から順に並べて写真で見てみたい。

 カトマンドゥ盆地の三王国時代には、カトマンドゥ王宮広場とバクタプ-ル王宮広場、そしてパタン王宮広場がある。

それぞれの3広場には、多くの寺院や仏塔がある。

 わたしは、これらの建築物は歴代国王が、自分の権威の象徴として次から次へと建てた結果、数多くなったのでは、と考えている。

 ネパ-ルは1950年に、130年間の鎖国を解いて開国した。1950年に開国後初めて科学的調査でネパ-ルを訪れたスイス人トニ-・ハ-ゲンは、次のように著述してる。

「今日でも、空想やおとぎ話の世界を除いたうえで、゛不思議の国゛といえば、それはネパ-ルを指すといってもよいだろう。カトマンドゥ盆地のようなごく限られた地域に、あのようにたくさんの美術工芸品があるのは世界でも類のないことだ。ネパ-ルを旅していると、今日でもヒンドゥ-教と仏教か織りなす中世の夢路の世界にいるのではと感じてしまう」

わたしが初めてネパ-ルの地を踏んだのは1981年。ハ-ゲンから31年後だった。しかし、わたしの心を捉えたネパ-ルは、゛不思議の国゛同じだったのだ。

 1050年のラナ・マハラ-ジャ(宰相家)の専制政治時代の個人的な家計簿が国家予算の全てだったネパ-ル国。自動車は、自動車道路がなく交通できない飾り物が数台。

 チベツトは禁断の国と云われていたが、長期間鎖国のネパ-ルに比べると、登山隊や調査には門徒が開かれていた。

 ちなみに、カトマンドゥからポカラ間の自動車道路は無く、馬で出発して、河の渡渉ができずに徒歩に変更、200kmに10日間を要した。

 1952年には自動車道路が606km建設。1972年には、なんと3175kmに延長建設。

 

国王も短命

 不思議の国ネパ-ルは、科学的行政には程遠い社会だった。1951年のトリブバン国王帰国の王政復興時は、カトマンドゥに商店や薬局・レストランは一軒もなかった。 それが、1973年にはネパ-ル全土で58の病院、35の診療所ができ、1950年に医師が50人だったのが315に増加。

1950年のネパ-ル人平均寿命は26歳。1977年に44歳に伸びた。

幼児死亡率は20%以上が、1977年には15.2%に下がる。

 1950年代のネパ-ル国民は、マラリアなどあらゆる熱帯病の伝染病で死亡していた。1973年に至ってもタライ平野でのマラリア病は猛威を振るっている。

 ネパ-ル国民に限らず、国王もまた病気には勝てない。短命な国王は、数多くの権威の象徴の寺院建築は限られていたのではないか、とわたしは思う。

在位中の寺院建築数は、一軒か長生きでも数軒だったろう。

ちなみに識字率なども見て見たい。

1950年には、幼児の小学校就学率は0.7%だったが、1972年に34%。

識字率4.4%は1970年でも11%だった。

 

国際連合がネパ-ル支援

 ネパ-ル調査資料に基ずく、国際連合支援計画委員会は、1980年までに第5次5ケ年計画まで進む。第5次5ケ年計画だけでも2023億円の支援予算が使われた。

 

参考資料

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

 

総集編 カトマンドウ王宮広場の年代別寺院。仏塔

 

1.カスタマンダプ寺院 Kasthamandap 

カトマンドゥ旧王宮広場の中の建物では、12世紀の建造で最古の建築物。

王宮の建物以外では一番大きい。

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24.インドラプル寺院 Indrapur Temple

二階の屋根の建物で、クリシュナ神に捧げられている。

 最も古い建築物だったが、その後の地震で壊れ、その都度改築されて元の歴史の痕跡が少ない。

室内にはシヴァのリンガが置かれている。

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30.マンディル・マヘンドラシュワ-ル寺院Mandir Mahendreshwarと前の門

シヴァ神に捧げられ1562年にマヘンドラ・マッラ王が建立。

寺院内にはシヴァ神のリンガとシヴァの乗り物の牡牛のナンディ像Nandinが祀られている。

ごく最近になって、その真ん前に門が設置された。

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22.ジャガナ-ト寺院 Jaganath Temple

カトマンドゥのダルバ-ル(王宮)広場では古い二階建ての建物で、1563年にマヘンドラ・マッラ王によって建立。マヘンドラ・マッラ王の国王在位は1560年~1574年。

ジャガナ-ト寺院は、ハヌマン宮殿の入口近く、プラタップ・マッラ王石柱の奥に位置する。

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29.タレジュ寺院 ロイヤル・テンプル・オブ・バハーニ・タレジュ寺 Taleju mandir

1564年マヘンドラ・マッラ王の建立。

広場最大で北東方向に立派に高くそびえる、13の基壇の上に三階建ての36.6mのタレジュ寺院。カトマンドゥ市内で最も高い建物。

ネワ-ル様式の建築で、タレジュ・バワニ女神(ドウルガ)を祀る。南インドの神だったタレジュ・バワニ女神は、後にマッラ王朝の守護神となる。

寺院の開放は年に一回だけ。10月のダサイン大祭にヒンドゥ-教徒が、行列になって参拝礼拝するために入寺院する。

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4.クマリの館

1575年にジャヤプラカ-シュ・マッラ王が建造。

 窓枠の木彫りの彫刻があり、2頭の獅子に守られている。中庭のクマリ・チョ-クと、見事な木彫り彫刻を施したバルコニ-の三階からなっている。 

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26.コティリンガシュワ-ル・マハド-ル寺院 Kotilingshwor Mahadev Temple

マヘンドラ・マッラ王時代の16世紀の建物。

 カトマンドゥ王宮広場内では珍しい石造りの寺院。周りの寺院はネワ-ル様式の建築物が多いが、この寺院はインドのイスラム様式。

形は長方形に屋根はガンブハジ様式と呼ばれる鐘形ドーム。

寺院の西側に牡牛のナンディ-像が置かれているので、シヴァ神の乗り物なのでシヴァ寺院。

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21.クリシュナ寺院(チャシン・ドガ寺院) Krishna Tenple(Chyasin DegaTemple)

 17世紀中の1649年に、シンハ・プラタップ・マッラ王が二人のSatyabhamaとRukmaniの妻が亡くなった後に、この二人に捧げて建設した。珍しい八角形の寺院は、カトマンドゥ王宮広場の中では最も華麗な建物で、1967年に改築されていた。

 ネパ-ル語でチャシン・ドガ。内部にはクリシュナ王と二人の女神像があって、サンスクリット語の碑文があったらしいが、ヒンドウ-教徒以外の入室はできない。

プラタップ・マッラ王の国王在位は1641年~74年。

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17.プラタップ・マッラ王石柱 King Pratap Malla’s Column

 1670年シンハ・プラタップ・マッラ王により建てられた石柱。王の像を中心に2人の妻と5人の息子の像が施されている。
 シンハ・プラタップ・マッラ王は、ネパール西部ゴルカの王プリトゥビ・ナラヤン・シャハ(1723年~75年/在位1742年~75年)が、1769年にカトマンズ盆地を制圧。その次の2代目の王(在位1775年~77年)。

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16.デグタ-ル寺院 Degutalle Temple

シャハ王が1671年建造。プラタップ・マッラ王によって改築されている。

寺院の直ぐ前にプラタップ・マッラ王の石柱が立っていて、この寺院を見ている。

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28.カケシュワ-ル寺院 Kakeshwar Temple

1681年に建立。

寺院の下半分がネワ-ル建築様式のレンガ積み。その上にインドのシカラ様式の白い建築。

1934年の大地震で大破するが、再建された。

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カトマンドゥ王宮 バサントプルタワーBasantapur Durbar

 

Prithvi Narayana Shah王は、カトマンズ盆地を征服して統一した後、1770年に建立。

 マッラ王朝時代木造建築、内部はレンガと木造で9階建としているが、わたしが歩いたのは8階建て。

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右が旧王宮、左隣の白い建物が19世紀のラナ家専制時代に増築された西洋風のファサ-ド

現在は左トリブバン博物館 右マヘンドラ博物館

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ナサル・チョ-ク

ナサル広場と訳され、広場は中庭になっている。この中庭を利用して、外国元首などの歓迎行事が行われる。

上部の四重の塔は、中が9階建てのバサンタプル王宮(ダルバ-ル)

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9階建てのバサンタプル王宮 木造つくり内部

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8.トライロキャ・モハン・ナラヤン寺院 Trailokya Mahan Narayan Temple

5段の基壇に三重塔の寺院。

 17世紀末1690年に、パ-ルティベントラ・マッラ王が建造。ヴィシュヌ神を祀っている。寺院の西側にヴィシュヌ神の乗り物のガル-ダ像が両手を合わせて、「ナマステ」の姿勢で座っている。

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10マジュ・デヴァル・シヴァ寺院 Maju Deval ShivaTemple と白い塔堂のカムデブ寺院

 

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23.ビシュヌ寺院 Bishnu Temple

17世紀後半のプラタップ・マッラ王時代の建設。4段の台座に3屋根の三階建て。

マハ・ヴィシュヌ・マンディ-ル、ヴシュヌ大聖堂と呼ばれている。

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14.バグワティ寺院 Bhagwati Temple

 1769年に第10代ゴルカ王のプリトウビ・ナラヤン・シャハ王が、ここカトマンドゥ王宮を戦勝して収める前の、ジャガト・ジャヤ・マッラ王によって建造。

旧王宮で西洋風建築のガッディ・バイタック建物の北側。

 寺院内にナラヤン像が祀られていたが、1766年に像が盗まれ、シャハ王朝初代プリトウビ・ナラヤン・シャハ王が代わりにバグワティ像を安置。

 現在は一階部分にお土産物屋が軒を連ねている。その一階を含めて、建物全体がバグワティ寺院。

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15.セト・バイラヴァ神 Swet Bhairab

1794年ラナ・バハドゥル・シャハ王が建設。

 「セト」は「白い」の意味。「バイラヴァ」は、破壊の神シヴァの恐ろしい暗黒面の性格を表した呼び名で、恐るべき者・畏怖者の意味。

 セト・バイラヴァ神像の御開帳は、毎年9月に開催されるインドラ・ジャトラ祭の際に8日間だけ格子の扉が開かれる。4.クマリの館の主生き神様クマリが、カトマンドゥを三日間廻るのもインドラ・ジャトラ祭だった。

インドラ・ジャトラ祭は、神々の王、雨の神を祀るお祭り。

 大きな口を開けたセト・バイラヴァ神は、儀式としてこの8日間ネパ-ルの地酒のチャンを飲む。

インドラ・ジャトラ祭の間、この神の前でニワトリや羊などが生け贄として捧げられる。

 17世紀末にマッラ王朝時代1692年、バクタプルのプパティドラ・マッラ王の母・皇太后が建築。実際に建築に携わってのは、ネワ-ル族でネワ-ル・パゴダ(様式)。

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インドラ・ジャトラ祭の8日間以外は格子に隠れる

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18.タレジュ・ベル Taleju bel

シヴァ・パ-ルバァティ-寺院の北側・真裏に並ぶ、ビシュヌ寺院の左側のタレジュ・ベル。

 シヴァ・パ-ルバァティ-寺院からは、このベルと.スト-ン・ビシュヌ寺院・サラスワ-ティ寺院が続いて並んでいる。

 タレジュ・ベルは大きな釣鐘で、1797年にラナ・バハドゥール・シャー王と彼の妻・女王ラジエスウォリ・ラジRajeswori Rajによって建立。

 女神タレジュTaledźuが悪霊を祓うために鳴らされたとする。現在はこのカトマンドゥ王宮広場の儀式時やデグダレジュ寺院でプジャ(お祈り)がある際に鳴らされる。

女神タレジュTaledźu

 ヒンドゥーの女神タレジュは、シヴァ神の后で(ドゥルガーと同一視されることもある)、一撃で相手を倒す力を持っていて、憎悪とか嫉妬といった女性の裏側の力をも象徴する女神。とくに国家を守護する非常に力のある神でもある。そのタレジュ女神の乗り移りする姿として、現在は生き神様のクマリが崇拝されている。

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12.シヴァ・パ-ルバァティ-寺院 Shiva Parvati Mandir

 18世紀1700年代後半にシャハ王朝3代バハドゥル・シャハ王によって建設、木彫窓の美しい寺院。

 破壊の神シヴァ神とその妻パールバティ神を祀り、寺院入口には二頭のライオン像がこの寺院を守る。

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11.ナラヤン寺院 Narayan Temple

 ダルバル広場に並ぶ3つの三層の屋根を持つ寺院の一番北側の寺院。17世紀末の建築でビシュヌ神を祀っている。

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27.マハヴィシュヌ寺院 Mahavishnu Temple

中世紀時代18世紀初めにジャガト・ジャヤ・マッラ王の建築。

王宮広場の一番北側の寺院で、ヴィシュヌ神を祀る4段基壇の上に2層の塔。

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31.ビンセン・タワ-Bhimsen Tower

 カトマンドゥ・ダルバ-ルスクエア-(カトマンドゥ旧王宮広場)から少し歩くと、高さ61mのタ-ラハラと呼ばれるタワ-が聳えている。

 1832年当時の首相ビムセン・タパによって建造。1934年の大地震で上部が折れた。その後、砂糖をアメ状に混ぜて再建。

2004年から公開されていたが、2015年4月25日のネパ-ル大地震で根元から全壊。

ビムセンタワ- Bhimsen Towerは、ネパ-ル語でダ-ラハラ Dharhara。

 世界文化遺産カトマンドゥ盆地のハヌマン・ドカ旧王宮広場を見下ろす様にそびえる。

213段のらせん階段で上部の途中まで登れる。

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7.ガッディ・バイタック Gaddhi Baithak

ナラヤン寺院やシヴァ・パルヴァティ寺院の東側にある白い建物。

 シャハ国王から武力で政権を奪ったラナ家の統治時代、1908年に宮殿として建てられた。、西洋建築様式で、周りのネワール様式の建物とは一風変わった印象を受けるこの建物は、イギリスびいきのラナが、隣の国イギリス領インドの建物の真似をして、イギリス風建築で建てたもの。

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6.ビメレシュワラ寺院 Bimaleshwor Temple

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8.トライロキャ・モハン・ナラヤン寺院 Trailokya Mahan Narayan Temple

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9.ガル-ダ像 Garud Statue

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5.ハヌマン・ドカ(猿神と門)

ここカトマンドゥ王宮広場の世界文化遺産の名称が「ハヌマン・ドカ」

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ハヌマ-ンは猿

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ドカは門  カトマンドゥ王宮の出入り口

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20.サラスワ-ティ寺院 Saraswati Temple

 ビシュヌ寺院のすぐ北隣にある小さなお寺院。サラスワーティ神は、教育や音楽の女神で、手にはギターを持っている。日本の弁財天にあたる神。

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19.ビシュヌ寺院 Bishnu Temple

 タレジュ・ベルの北側、バグワティ寺院の向かいにビシュヌ寺院。レンガ造りの建物の上に石造りの祠が載っている。

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アショク・ビナヤク寺院 Ashok inayak emple

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2.ラクシミ・ナラヤン寺院

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13.バンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院 Panch mukhi hanuman mandir

カトマンドゥ旧王宮と建物が続きのバンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院。

リチャハビ王朝時代に建設された宮殿複合施設。

 ネパールでも2つしかない、円形の五重の屋根を持つ白い建物の寺院。中には5つの顔をもつハヌマーンの像がありますが、ヒンドゥー教の僧侶しか入れない。

 ハヌマン・ドカの門から国家行事を行うナサル・チョ-クの中庭広場に入ると、左手にバンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院。

 ハヌマ-ン神は、ここカトマンドゥ旧王宮広場の世界文化遺産名称のハヌマン・ドカにもなっていて、猿の顔をした力の神。ネパ-ル人が毎日灯明を灯して、敬拝するネパ-ル神画の一つにハヌマ-ン神がいる。

ナサル・チョ-クの中庭広場からバンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院

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ネパ-ルの中世からの王様の歴史

13世紀マッラ朝がネパ-ルを統治する。国王制度の始まり。

1450年頃、バクタプル王からカトマンドゥ国王が独立。

1619年、カトマンドゥ王からパタン国王が独立し、三国時代となる。

 1769年、第10代ゴルカ王のプリトウビ・ナラヤン・シャハ王(1723~75/在位1742~75)が、、バクタプル国とカトマンドゥ国・パタン国の三国を攻め、ネパ-ルを統一が始まる。シャハ王朝時代の始まり。その後、2代シンハ・プラタープ・シャハ(在位1775~77)、3代ラナ・バハドゥル・シャハ(1775~1805/在位1777~99)にかけてネパールの統一を実現する。

 1846年、ジャンガ・バハドウ-ル・ラナが虐殺事件で宰相となる。ラナ家が実権を握り、シャハ王家は傀儡政権となる。

 1951年、1950年に130年間の鎖国を解いて開国。トリブバン・シャハ王が亡命先のインドから帰国し王政復興。