ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 第十七回目
王宮の十七回目 ネパ-ルの王宮 最終回
前回は、ゴルカ町中の中世期に建築された、丘のテッペンに建つ王宮の木彫の美しさを写真で見た。
今回でネパ-ルの王宮の写真を終える。
ネパ-ルの王様の歴史は古く、ネパ-ルを統一した中央の国王が居た他にも、地方の自治地域の国王も居た。
次回からは、ネパ-ルの寺院や仏塔などの写真を見てみる。
ネパ-ルには、同時に複数地域の国王が居た
ネパ-ルが統一された1769年、第10代のゴルカ王プリトウビ・ナラヤン・シャハ時代前後の時期は、ネパ-ル全土の支配が及ばない地域があった。特にチベットとの国境を接する地域では、チベット仏教などの影響が強く、チベットとインドの交易路で栄えた小王国が存在していた。
カトマンドゥの北西に位置するアンナプルナヒ-ルとダウラギリヒマ-ルの間の峪を流れるカリガンダキ川と、その河上流沿いにロ-マンタンと呼ばれる小自治王国があった。現在はムスタンと呼ばれるこの小国は、2008年5月28日にネパ-ル制憲選挙後の王政廃止に伴って、ここの王様も退位した。
カリガンダキ川の上流チベットとの国境ムスタンの隣には、ドルポの小王国が存在していて、現在でもドルポ村にドルポ国王像が残っているらしい。
2016年にわたしがネパ-ル滞在中の話。カトマンドゥ市内のレストランで夕食中だった。幾人かの日本人が居て、その中のエ-ジェント業の私の友人が声をかけ。一つテ-ブルに集まっての酒盛りが始まった。中にはテレビ局のプロデュ-サ-で、ロ-マンタン地域の長期取材後、退職してもロ-マンタンに関わりあっている大谷映芳さん(「辺境へ」2003年9月刊)や国際銀行勤務の人やらで、話が弾んだ。
国際銀行職員の話では、銀行のネパ-ル支援活動として。ァッパ-ドルポ地域への支援活動調査が開始された、とのこと。アッパ-とは「その奥地」の意味で、まだ電気の恩恵に浴していない地域に、ソ-ラ-発電施設建設計画の調査が始まる。
わたしが訪れた地域の王宮
- カトマンドウ王宮
- バクタプ-ル王宮
- パタン王宮
- ナラヤンヒティ・ダルバ-ル(ナラヤンヒティ王宮)
- ゴルカ王宮
1.カトマンドウ王宮
ダルバ-ル・スクエア-と呼ばれ、ダルバ-ルはネパ-ル語で宮廷の意味。
バクタプ-ルやパタンの王宮と3王宮時代には、それぞれの国王がその華麗さを競い合って、ネワ-ル族のネワ-ル文化の金銀細工木彫石彫などを施してある。
現在は、東側の8階建木造の建物の向かって右にマヘンドラ博物館と左にパサンタブ-ル・ダルバ-ル。西側の白い建物は、トリブバン博物館。世界文化遺産名のハヌマン・ドカ(猿神像と門)が旧王宮を意味している。
2.バクタプ-ル王宮
カトマンドゥから東に10km。カトマンドゥ盆地の首都だった。15世紀から18世紀のマッラ王朝時代にネワ-ル文化の最盛期に栄えた。別名バドガオンと呼び、帰依者の町の意味。
バクタプルは、3広場に別れる。王宮のあるダルバ-ル広場。南にトウマディ-広場。町の東側に位置するタチュパル広場。
王宮広場はライオンゲ-トの門から入場する。1934年の大地震で周りの寺院が倒壊した。2015年の大地震でも仏塔の幾つかが倒壊している。17世紀から18世紀に55窓の宮殿が造られた。
向って左側の入口に獅子二頭が置いてあるレンガ積みの建物は、現在博物館になっている。
王宮入り口のゴ-ルデンゲ-ト前に、プバティンドラ・マッラ王の石柱が立っている。
3.パタン王宮
17世紀から18世紀に建設。国王が即位の度に増築され、中庭を囲んで12のチヨ-ク(棟)があったとされる。現在は3チヨ-クが残っている。
マニ・ケシャブ・ナラヤン・チヨ-クが一番新しく、1734年完成。現在はパタン博物館。もっとも古いのは、ムル・チヨ-ク。3層の建物に囲まれたスンダリ・チヨ-クは、王の居室で中央に沐浴場がある。
王室前には、シッディ・ナラヤン・マッラ国王像が立っている。
4.ナラヤンヒティ・ダルバ-ル(ナラヤンヒティ王宮)
ナラヤンヒティ王宮は、ダルバ-ル・マルグ(王宮通り)前に位置し、1769年に5のゴルカ王が1・2・3のカトマンドゥ盆地3王を戦勝したシャハ王朝の第9代マヘンドラ国王が、1969年に建設した。この王宮はカトマンドゥの中心に位置する。王様の寝室や執務室などの52部屋と王室儀式を行うゴルカ王の名をつけたゴルカ・ホ-ルなどがある。
2009年2月からナラヤンヒティ博物館となった。
5.ゴルカ王宮
カトマンドゥから北へ90kmにゴルカ町がある。そこの丘の上に上の王宮と、丘の下に大きな下の王宮がある。現在、下の王宮は博物館になっている。
1769年ゴルカ第10代のプリティヴィ・ナラヤン・シヤハ王は、カトマンドゥ盆地へ軍を攻め、3王を負けさせた。3王はバクタプ-ルの黄金の門へ逃げ墜ちた。
ネパ-ルのお金と国王
ネパ-ルの紙幣には、国王が描かれていた。現在は硬貨で流通している1ルピ-や2ルピ-などの紙幣から、最高額紙幣の1000RSルピ-紙幣まで、それぞれに描かれている。
さて、2008年に国王が退位して、その後に国王に代わって、果たして,ネパ-ル紙幣に何が描かれいてるでしようか。
問題3択。①国王の代わりにネパ-ルの国鳥が描かれている。②ネパ-ルの文化人の顔が描かれている。③世界の最高峰サガルマ-タ(エベレスト)8,848mが描かれている。
解答。③のエベレストが正解です。
カトマンドゥ王宮
右が旧王宮、左隣の白い建物が19世紀のラナ家専制時代に増築された西洋風のファサ-ド
現在は左トリブバン博物館 右マヘンドラ博物館
2015年4月25日ネパ-ル大地震で、両建物とも半倒壊状態
2015年地震後の様子
右がパサンタブ-ル・ダルバ-ル王宮 左の白い建物はトリブバン博物館
2015年大地震後の様子
旧王宮の入口 ハヌマン・ドカ(猿神と門)
2015年大地震後の様子
カトマンドゥ旧王宮広場に建つマッラ国王像
2015年大地震で国王像が折れ落下
バクタプ-ル王宮
黄金の門と55窓宮殿
王宮入り口のゴ-ルデンゲ-ト前に、プバティンドラ・マッラ王の石柱
1950年代に撮られた写真 黄金の門の前にあるランジット マッラ王像
1950年代に撮られた写真 バクタプル・スン ドカ(黄金の門)
スン ドカ(黄金の門)は、1756年ランジット マッラ王によって着工した。
王宮の門でネワ-ル族の金細工最高芸術品。
この門は、カトマンドゥが1768年にゴルカ王のプリティヴィ・ナラヤンに征服されたときに、マッラ王朝最後の3人、バクタプル王・パタン王・カトマンドゥ王が避難した場所でもある。
上の写真が1950年代、下の写真が現在の写真
現在のバクタプ-ル黄金の門
バクタプ-ル旧王宮
パタン王宮
2015年大地震後の様子
パタン旧王宮前のシッディ・ナラヤン・マッラ王像
2015年大地震後のマッラ王像
再建途中
ゴルカ旧王宮
ゴルカ国王像
国王像から上の王宮を見上げる
旧ナラヤンヒティ王宮
現ナラヤンヒティ博物館
2008年、国王廃止で王様はカトマンドゥ郊外に引っ越し
わたしはミユ-ジアムになって直ぐに入場、貴重な国王時代の物は一切持ち去られていた
ゴルカ第10代のプリティヴィ・ナラヤン・シヤハ王
ネパ-ルのシャハ王朝第1代国王
1951年 亡命していたインドから国王復帰したトリブバン・ビ-ル・ビクラム・シャハ त्रिभुवन वीर बिक्रम शाहदेव国王
ネパ-ル全土第7代プリトビ・ビ-ル・ビクラム・シャハ王の息子。5歳で父が亡くなり即位。
ラナ家の宰相が実権を握っていて、傀儡だった。
1950年、ラナ家と議会ネパ-ル会議派の闘争のなか、小や孫と共にインドへ亡命。 1951年2月にカトマンドゥへ帰還し王政復古で復位した。殺りくで実質制憲を握ったラナ家の104年の政治を終える。
1955年にスイスで亡くなった。
旧王宮のトリブバン博物館の国王
第10代国王 ビレンドラ国王
第12代ギャネンドラ国王
ネパ-ルの紙幣
第10代国王ビレンドラ国王と大2代ギャネンドラ国王
わたしは1981年からネパ-ル通いをしている。ので、ビレンドラとギャネンドラ国王の紙幣しか持っていない。
2008年の国王退位で、紙幣の顔欄はエベレストになった。
エベレストの紙幣