ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 第八回目
王宮の八回目 パタン旧王宮 二回目 ネパ-ル大地震後の王宮
前回は、カトマンドゥ市の隣町、バグマティ川の橋を西に渡ったパタン市の旧王宮を写真で見た。
今回は、2015年4月25日のネパ-ル大地震後のパタン旧王宮を写真で見てみる。
パタン王宮は1734年に完成。
ネパ-ルの古い王宮や寺院は、レンガ造りか木造の建築物が多い。
現在では、鉄筋コンクリ-ト造りの建物だが、1700年代はほとんどが柱も壁もレンガを積み上げた建築。耐震強度を考えていない様式で、ネパ-ルを襲う地震で、度重なる倒壊で消失した建物が多い。現在も残っている建築物の多くは、国際連合ユネスコ(教育科学文化機関)などの援助で、修復されたもの。
カトマンドゥから北西に90kmのゴルカ地方で発生の、今回の2015年4月25日のネパ-ル大地震でも、ネパ-ル全土の住宅やビル、そしてカトマンドゥ盆地内の王宮と寺院などが消失・倒壊した。
大家さんの借家はネパ-ル建築基準法に合致
わたしは11年前からネパ-ル暮らしをしている。地震後に大家さんに「地震の時はどうだった」とたずねた。昼の12時少し前、家に居た大家さんは「家がぐるぐる回っていた」「家から飛び出して外に出たが、外もぐるぐると廻っていた」。「小山さん安心して下さい。小山さんに貸している家はネパ-ルの建築基準に沿って建てています」。
わたしは、カトマンドゥ市内の私の友人がオ-ナ-の、山岳運動具店モンベル・カトマンドゥ店の店づくりに携わった。
店舗の建築が完成した時点で、店の外観を飾る「モン・ベル」看板と窓の日除け建築物が、大阪のモンベル本店から空輸カトマンドゥ到着した。それを見たカトマンドゥのホ-ムセンタ-建築会社は、その後の建築物内外の最終仕上げを放棄して、来なくなってしまつた。
わたしの友人のオ-ナ-は、わたしが借家の部屋改装をしたのを聞いて、私に白羽の矢を放つ。札幌からカトマンドゥに着いた次の日の朝早く、ネパ-ルの携帯電話が鳴り、「チョット来て」「日本から建築資材が着いたら、建築業者が来なくなった」。
モンベルの看板は、なんと90kgの大物。窓の日除けも大きく、レンガ建築にドリルで厚さ40cmの穴を開けなければ設置できない。
こうして、わたしが現場監督に就任。エ-ジェント業夫婦と従業員の山岳ガイド達20人が、店づくりを始めることとなった。一か月かかって、完成予定に三か月遅れで完成にこぎつける。
パタンの王宮が、ネパ-ル地震から横道を歩き出している。が、もう少し続ける。
今でもネパ-ルの建築物は、柱も壁も全てレンガ造り
このモンベル・カトマンドゥ店の建物、オ-ナ-が建築途中を見ていて、私に語ったのは「鉄筋コンクリ-トの柱が一本も入ってない、壁に寄り掛かると倒れるかもしれない」。
ネパ-ルの山岳地域では、現在でも石を積み上げるだけで3階建の建物を建築している。一応建築基準法があるらしいが、耐震建築には程遠い現状を、写真で見てみる。
パタン王宮 地震前
地震後
王宮の壁はケンガ造り
ひび割れ倒壊を防止するつっかえ棒
王宮前の仏塔 地震直後
現在のネパ-ルの家、鉄筋コンクリ-ト造りで壁はレンガ
鉄筋コンクリ-トの柱
鉄筋は数本入っているだけ
家の建築中現場
山岳地帯の石積みホテル建築現場
エベレスト街道のナムチェバザ-ル町
積み上げる石は、一個いっこ石工職人が作る
家の形が完成したが看板の重量を見て工事業者が来なくなった工事業者が来ない
わたしが現場監督で工事開始
厚さ40cmのレンガ壁に、直径3cmの穴あけ
ドリルはネパ-ルでも、その先の穴あけの刃は札幌から持参
鉄工所で看板取り付けを作製
設計図を書き、鉄を組んで直径3cmのボルトを取り付け
90kgの看板取り付け
室内へ飛び出した看板のボルトをしっかりと締める
モンベルの看板完成
次いで、商品陳列棚作業
近くのレストランから昼食の出前
チャパティとカレ-
最後に窓の日除け付け工事作業