ネパ-ルのフラット生活(ネパ-ル暮らし雑感) その十六回目
わたしの借家前は草地の空地。 ネパ-ル牛のえさ場
わたしは10年と少し前からネパ-ルで生活している。わたしが初めてネパ-ルの首都カトマンドゥ市内に借りた借家前には草原の空地がある。ここは牛にとって丁度良いくらいの餌になる雑草の草原。
ネパ-ルの牛は、ヒンドゥ―教の神様シヴァ神の乗り物
ネパ-ルの牛は、ヒンドゥ―教の神様シヴァ神(Shiva)の乗り物。そのため、神様ではないが神聖化されていて、神同様信仰の対象になっている。
シヴァ神を少し解説。シヴァは、その額に第三の眼を持つ。手には三つ又の鉾を持ち、宇宙破壊神。ネパ-ルの多くの神様のうちでも、絶大な人気がある。
シヴァ神の婦人である妃は、パ-ルヴァティ-神(Parvati)。パ-ルヴァティ-神は、ヒマラヤの娘と云われ良妻賢母の女神。
シヴァとパ-ルヴァティ-の二人は、中国のチベット地方に聳えるカイラス山に住んでいる。
ネパ-ルでは、ヒンドゥ-教徒が80%。仏教が10%で、他の10%がその他の信教。
信仰の対象になる仏像などは、わたしは何故なのか不思議に感じているが、ヒンドゥ-教は神さまで仏教は仏さまになっている。ヒンドゥ-教は仏教と同様の宗教なのに、どうして仏様でなく神様なのだろう。
ヒンドゥ-教の神様は俗っぽい。古楽器のヴィ-ナや笛を吹く姿の神や、宇宙創造神が昼寝をする姿勢の神像など。
面白い神像の話をひとつ。シヴァとパ-ルヴァティ-夫婦二人の息子である、商売の神様のガネ-シャ神(Ganesha)は、ゾウの顔を持つ。母親のパ-ルヴァティ-神が入浴中に、誰も近づけないように言いつけられ、父親のシヴァ神まで近づけなかった。父親が激怒。怒った父親が首を刎(は)ねてしまった。怒りから覚めた父親は、慌てて近くにいた像の頭をくっ付けた、のだそうな。
ヒンドウ-教の神様の乗り物、牛保護の牛刑法
ネパ-ルの民主化が始まったのは1990年ころから。
ネパ-ル憲法には国王規定があり、国王はヒンドゥ-教でなければならない、の規定もあった。憲法の規定を国民に遵守させるためには、民法や刑法で具体的条項を設け、罰則規定も盛り込まれた。
ヒンドゥ-教のシヴァ神の乗り物の牛保護のために、牛刑法があった。家畜の牛や野良牛を傷つけたり殺したりすると懲役刑に科せられた。
1964年マヘンドラ王憲法から1990年ネパ-ル王国憲法までは、ヒンドゥ教の教えを一般国民の生活に根差すものとして、又強制力を持たせるための法律があった。牛刑法はほんの一例に過ぎない。
民主化で国教のヒンドゥ-教や国王は、憲法条項から削られた。牛刑法も廃止。
しかし、ネパ-ルのヒンドウ-教は何も変わらない。牛の肉を食べる日本人は、カ-ストの最下位にも届かない身分扱い。ヒンドウ-教徒にとっては、日本人はアウトカ-ストにも属さない野蛮な階層に見られているのだろう。民主化が進んだためだろうか、私にもネパ-ル人の友人がいる。
現在は、新たな牛の放し飼いは禁止されている
昔、1980年代のネパ-ルでは、道路に寝そべる牛や道路をゆっくりと歩む牛が多く見られた。
昔は道路の真ん中で寝そべって昼寝をしていたくらいに、カトマンドゥ市内に多くの頭数がいた。好物の草のある住宅街には今よりも多くの牛がいたのだろう。多くの牛が生活できるくらいの草地の広さがあったといえる。1970年代以前のカトマンドゥ市内は、今みたいに住宅が密集してなく、上位カ-ストの家の一階には牛部屋があつた。雌牛を飼育していた。台所は2階が普通だったようだ。牛飼いが住み込みで居住していて、乳搾りや餌やりをしてた。
ヒマラヤや古都の観光立国ネパ-ルの道路事情の改善が急務。現在では新たに牛の放し飼いが禁止されている。だが、裏小路や草地などには、まだ多くの牛が歩き回っている。
わたしの借家前の空地には、週に一度は草を食む牛の姿が見られる。
わたしの借家前の空地の牛
裏小路で一休み、寝そべる牛
借家屋上から