沖縄舞踊とネパ-ル滞在
前回は、沖縄・首里城公園内の「琉球王朝-舞への誘い」演題は、加那ヨ-天川(かなようあまかわ)を写真で見た。
わたしが20年前から沖縄通いをして観覧してきた沖縄の舞踊は、前回まで写真で見てきた。
その演目は、柳(やなじ)・ 貫花(ぬちばな)・谷茶前(たんちゃめー)・かせかけ(かしかき)・前の浜(め-ぬはま)・ 伊野波節(ぬふぁぶし)・若衆こてい節 (わかしゅうくていぶし)・花風(はなふう)・鳩間節(はとまぶし)・かぎやで風(かじゃでぃふう)・ 四つ竹(よつだけ)・しゅんだう(しゅんだう)・加那ヨ-天川(かなようあまかわ)、等々。同じ演目でも演じる団体が異なるものなど、複数回写真を見た。
わたしは、ネパ-ル暮らしをしている。10年前から、ネパ-ルの首都カトマンドゥに借家のフラットを借りて生活している。
実は、ネパ-ルで暮らし始めたのは、20年前から観光旅行で訪れていた沖縄が関係してのこと。沖縄は、一年中気候が温暖で暮らしやすい。職場を定年退職したら、沖縄にアパ-トでも借りて、札幌と云ったり来たりも良いのではないか、と何となく考えていた。
ネパ-ル暮らし
わたしは、1981年からネパ-ルへ、ヒマラヤ登山やトレッキング目的で行き来たりしてきた。10年前に、初めて山岳方面に行く目的でなく、ネパ-ルの南西側のインドとの国境に近いタライ平野を訪れた。その時にカトマンドゥ市内に、日本食レストラン経営の日本人女性が居て、レストランの二階に貸間をしていたのを見て。沖縄でなくネパ-ルもいいのでは、と思い立ったもの。
プレモンス-ンのタライ観光から少し経過した、ポストモンス-ン季の少し前の雨季に再びカトマンドゥに来た。借家探しが目的。
ネパ-ルの社会は、外国人の借家の賃借には制限がある。一軒家を借りるとお手伝いさんの雇用が義務付けされている。ネパ-ルに住む日本人から聞いていたのは。ネパ-ル人の雇用や解雇には、なかなか難しいらしい様子。
9月から始まった借家探しは、友人の経営するエ-ジェントのガイドをつけてもらった。もう忘れかけているが一週間か10日間、毎日借家探しに奔走したのを想い出す。
ネパ-ルの家には、空き部屋のある家の外には、ト-レットの英語書きで表示がある。毎日空き部屋ありの表示の家に入っての調査。ネパ-ル人のガイドは、表示のない空き部屋在りの家も数多く見つけてくれた。
ネパ-ルの食事は一日二食
ネパ-ル人の食事は、一日二食。午前9時過ぎに朝食。午後8時過ぎに夕食。朝起床すると軽くミルクティ-と何かをつまみ、午後3時前後にも同様の軽食。実は一日4食にも見える。そんな訳で午前10時ころから夕方まで、毎日足を棒にして借家探しを行った。
ネパ-ルは路地や家の中はゴミだらけ
わたしの希望にかなったのは、ただ一軒のみだった。ネパ-ル人は韓国人や中国人と同様に、そこらじゅうゴミだらけで、どこの家も毎日掃除をしても一週間くらいかけないと綺麗にならない位の汚さなのだ。お手伝いさんの雇用のいらないフラット貸で、きれいな一軒を見つけることができた。
外国人への貸家賃料は公務員の給料なみ
家賃は一か月15,000RSルピ-。当時のネパ-ルの公務員の月給と同額に近い賃借料だった。この大家さん、若い時お金持ちの坊ちゃんで、日本に旅行で何回も来ていて、日本語がペラペラだった。その時は奥さんと二女一男の子供の五人暮らし。
借家でなくフラット借り
フラットとは、数階建て一軒家の一階部分を賃借すること。大家さんが2階部分で生活していて、一階と三階を貸していた。大家さんの二階には、一家5人と住み込みのお手伝いさんで6人が住む。わたしは女房と二人で一階暮らしが始まる。
一階から三階まで同じ造りになっている。ベットル-ム二部屋、バストイレが四畳半位が二部屋、キッチン・ダイニング・居間続きの大部屋、になっている。家具・食器付き。鉄筋コンクリ-ト造りの屋上がある。この大家さん、以後10年のお付き合い。行くたびに、事前に家で使う物を日本で買ってくるように、遠慮がない。一家で日本に遊びに来たときには、わたしが全員の日本滞在時の保証人にもなった。
沖縄の演舞の写真から、ネパ-ル暮らしに話が横道を歩き出した。
約一か月にわたって見て来た沖縄の琉球演舞、もう一度見てみる。
伊野波節 (ぬふあぶし)
若衆特牛節 (わかしゆうくていぶし)
前ヌ浜 (め-ぬはま)
谷茶前(たんちゃめ-)
貫花(ぬちばな)
演舞演奏
かせかけ(かしかき)
谷茶前(たんちゃめ-)
貫花(ぬちばな)
若衆特牛節(わかしゅうくていぶし)
前ヌ浜(め-ぬまはま)
四つ竹(よつだけ)
柳 (やなじ)
花風 (はなふう)
鳩間節 (はとまぶし)
演舞演奏
かぎやで風 (かじゃでいふう)
若衆こてい節 (わかしゅうくていぶし)
しゅんだう
花風 (はなふう)
加那ヨ-天川