ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十九回目
エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol khumbu)の三十回目
前回は、ロブチェLobuche 4930mから次の宿泊地ゴラクシェプGorakshep 5150m を通り越して、一気にカラパタ-ル5550mまで歩いた。
今回はカラパタ-ルから見たサガルマ-タ(エベレスト)と最近、プレモンス-ン季のエベレスト関連の遭難死亡について触れる。楽しいネパ-ルのトレッキングから少し横道を歩いて登山編とする。
カラパタ-ルへは4人メンバ-が無事に到着。ガイドのバルクマル32歳とロ-カルポ-タ-のダヌ-・シェルパ17歳も元気に登頂。ダヌ-はトレッキング出発地のルクラで雇った農家の息子。
日本人の三浦雄一郎さんより高齢者エベレスト登頂を目指していたネパ-ル人の遭難死
この春のエベレスト登頂を目指していた、ネパ-ル人のミン・バハド-ル・シェルチャンさんが、5月5日エベレストベ-スキヤンプで死亡した。死因は心臓麻痺。
シェルチャンさんは、三浦雄一郎さんが75歳でエベレストに登頂した時に、三浦さんより数か月高齢で登頂し、エベレスト最高齢登頂者として、以後5年間歴史に名前を残していた。
その後、三浦さんが今から4年前の2013年春に80歳で登頂したため、2014年からずっと再度の最高齢者登頂記録を目指してエベレストに挑んできた。
わたしの耳には、シェルチャンさんの友人など多くの人達が、後押ししている様子が伝わって来ていた。
85歳でエベレストの登頂に挑む。果たして正当な登山なのかどうか。明らかに、ベ-スキャンプで死亡したことが無謀な登山を示している。高齢者登頂記録競争を越える、超高齢者には登山許可を出すべきではなかった。
遅すぎるネパ-ル政府の規則制定
昨年8月にネパ-ル政府は以下の事項のヒマラヤ登山規則制定に向けた検討を開始していた。
1.ガイド等を伴わない単独登山の禁止。
2.全盲、義足など身体に障害のある人々の安全確保の為原則登山禁止。
3.75歳以上の登山者の禁止。
4.8000m峰の登山する登山者は7000峰登頂経験をもつこと。
5.ヘリコプターは救助活動、ロープ等の登山用品を運ぶ以外にはベース・キャンプより上部では使用できない。
3の「75歳以上の登山者の禁止」条項が該当する。半年以上も新規則制定の検討していたにも関わらず、その間に85歳のシェルチャンさんは遭難死してしまった。エベレスト高齢者登頂記録競争の犠牲者となってしまった。
3と5については、三浦雄一郎さんが80歳でエベレストを登頂した後、下山時にレスキユ-ヘリコプタ-でキヤンプ2からベ-スキャンプへ降りた後、ネパ-ル政府がヒマラヤ登山規則新制定に向けて検討を開始してたこと。5は、エベレストのベ-スキャンプより上部ではヘリの使用を禁止するもの。ヘリはレスキュ-のみ認める規則を新設するための検討項目になっていた。
一般の国際的なヒマラヤ登山の思考(思想)は、登頂後であってもレスキュ-された場合は登山の敗退とされている。ゆえに、ヘリを使用した場合は、ネパ-ル政府は登頂証明書の発行をしない様に改める。と云うこと。
世界最強登山家の遭難滑落死
4月29日、スイス人のウエリ・ステクさんがエベレストの南西側隣の山ヌプッチェ峰Nuptse7861mを登攀中に滑落し死亡した。
ウエリ・ステクさんは、現在の国際的登山界では伝説の人で世界最強の登山家と云われていた。ステクさんの今回のヒマラヤ登山は、ヌプチェ、エベレスト、ローチェを目指していた。、エベレストは無酸素で西陵を登り東南稜を下って一気にローチェ登山の予定。ヌプチェはその前哨戦だった。
遺体はヌプッチェのキャンプ2からヘリで搬出された。
ステクさん業績の主なもの
1)フランスの登山のアカデミ-賞と云われているピオレ・ドールを2回受賞
2)アンアプルナ南壁を単独28時間で登攀
3)アイガー北壁冬季10数回と2時間46分でのスピード登攀
4)アルプスの4000m以上の全82座を62日間で登攀
5)当然過去にエベレストを登っている
サガルマ-タ峰(エベレスト)8848m
エベレスト8848m 頂上の下部、斜上するイエロ-バンド
カラ・パタ-ル5550m 右下ガイドのバルクマルと右上ポ-タ-のダヌ-・シェルパ
エベレスト・ベ-スキャンプ 5300m