ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十三回目
エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol khumbu)の二十四回目
前回は、エベレスト街道の秀峰アマ・ダブラム峰Ama Dablam 6856mを写真で見てみた。
トレッキングでタンボチェから歩き出す。イムジャ・コ-ラ川沿いにティンボチェTingboche 4350mを目指す。
いよいよ標高4千mを越える。
ルクラから軽い頭痛の高度障害が出ていて、なかなか順応が出来ていないようだ。一気に高度を上げないために、途中のパンボチェ村で一泊することにする。
村々には畑とカルカがある。ネパ-ルのカルカは家畜の飼育場。周りを石積みで囲って逃げ出さないようにしている。
外国人の善意、ネパ-ルに学校建設
ヒンドゥ-教社会との思考と現実の乖離
エベレスト街道の村々には学校がある。この日本で云う小中学校、エベレストに初登頂したヒラリ-のヒラリ-基金で建設・運営されているところが多い。
多くの村に学校はなかった。そして、養育機関としての学校が開校された。普通これらの善意の活動は素晴らしことと思われる。しかし、ここエベレスト街道の各村にはラマ教の寺院があり、そこの子供達はその寺院が教育を担ってきた歴史があった。ヒラリ-の善意は、旧来のネパ-ル奥地の教育制度を壊わしてしまった、とも言えないこともない。
日本にはネパ-ルに学校を建てるNGOがある。広く日本人から寄付・カンパを募って、着々とネパ-ルの各地に学校を建設している。ネパ-ルはヒンドゥ-教の国。日本人の宗教観と実際のネパ-ルの宗教の間には、理解不能に近い隔たりがある。わたしは10年前から一年のうち数か月をネパ-ルで生活している。この間、ネパ-ルに住む日本人やネパ-ル人の友人が増えた。その人達との付き合いで身に着けた知識は、驚きの連続だ。
エベレスト街道の寺院は、ダライ・ラマ14世の写真を飾るチベット仏教の流れを組む宗教だが、ネパ-ルの80%はヒンドゥ-教徒。ヒンドゥ-教の教義の中心には、カ-スト制度や輪廻転生など、わたし達日本人の理解の外の社会が現存している。
教義の輪廻転生でヒンドゥ-教徒は死んでも甦る。甦る動物の中で、誰もが又人間になって生を受けたいと願っている。この願いを叶えるヒンドゥ-教の教義は「徳を積む」ことを強いる。
輪廻転生の社会は死体を葬る墓はない。
外国人がネパ-ルに学校を建てる行為は、ヒンドゥ-教徒からはその全ての行為が「徳を積む」こと。いや、ネパ-ル人から見ると徳を積ませてあげているのだ。こうなると、学校建設の寄付をした日本人や建設に従事した日本人は、徳を積ませてもらったのだから、ネパ-ル人にありがとうとお礼を言う立場になる。
わたしが今ここで何を云っているのか、何を説明しているのか、分かる日本人は、理解する日本人は居るだろうか。ヒンドゥ-教徒の父母は、自分の娘を嫁に出す行為を「徳を積む」行為として行っている現実がネパ-ルにはある。神である新郎に奴隷として娘を嫁がせるのである。結婚した娘は、毎朝夫の足元に跪(ひざまず)いて首(こうべ)を垂れる(たれる)のである。戦前戦中に日本国民が天皇に「首を垂れる」あれに似ている。これがネパ-ルやインドのカ-ストなのだ。わたしには、ヒンドゥ-教社会の現実がネパ-ル暮らしで判ってくる。
制憲選挙を経て国王を退位させ、無血の革命をしたネパ-ル国民。その前は多くの血が流れた。それまでは、国王はヒンドゥ-教徒でなければならない、と憲法で規定していた。ヒンドゥ-教の教義に違反すると、民法や刑法の規定で罰せられた。制憲選挙決定で全ての罰則規定を廃止。ネパ-ルで初めて政教分離が実現された。ネパ-ルでは「首を垂れる」のが減ったそうだ。
だが、ネパ-ルのヒンドゥ-教に何らの変化もない。
エベレスト街道の学校、から横道を歩き出した。トレッキングに戻ろう。
タンボチェのバティ(ロッジ)を出発
タンボチェゴンパ前 荷運びのゾッキョ ゾッキョは水牛とヤクの合いの子
イムジャ・コ-ラ川に降りるとパンボチェ村
パンボチェの農家の畑とカルカ
パンボチェのバティ
パンボチェの学校案内カンバン
パンボチェ下のイムジャ・コ-ラに架かる橋
クスムカングル峰