koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第61回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十一回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二十二回目

前回は、タンボチェにあるゴンパを写真で見て見た。

今回はタンボチエゴンパから少し歩くと、エベレストが眺められる場所に在る加藤保男さんの慰霊碑を見て見る。

 加藤保男さんは、エベレストをポストモンス-ン季とプレモンス-ン季、そして冬季の三シ-ズン登頂者。最後の冬季は登頂後の下山時に遭難、帰って来ることはなかった。

 

エベレスト登頂の記録

 エベレストの初登頂は1953年。イギリス隊第11次エベレスト遠征で、隊員のヒラリ-と高所ガイドのテンジンが登頂している。

 日本人でエベレストを初めて登頂したのは、植村直己さんと松浦輝夫さん。1970年5月11日に2人が登頂。植村さんは1984年2月13日にアラスカのデナリ峰(マッキンリ-)で遭難死している。植村さんの遭難原因は不明で、今もデナリのどこかで眠っている。

 松浦さんには、私が鹿児島県屋久宮之浦岳登山の時にお会いしている。もう忘れたが、喫茶店だか食堂かレストランで会って、私がネパ-ルのアンナプルナⅠ峰の遠征から帰ったばかりで、ネパ-ルの登山の話に花が咲いたのを覚えている。松浦さんは、エベレスト登頂時の写真を持ち出してわたしに見せてくれた。この松浦さんも数年前に天国へ召されている。

 女性のエベレスト初登頂者は日本人の田部井淳子さん。1975年5月16日に登頂。田部井さんも昨年の秋に天国へ旅立った。田部井さんとは、わたしと少し関わりがある。わたしが北海道の地区連盟理事長をしている時に、連盟創立周年行事に田部井さんをお呼びして講演会を開催。もう30年以上も前の話。

 田部井さんは札幌に着いて、わたしがどこか「行きたい所は」の応えに、「北海道の美味しいアイスクリ-ムが食べたい」と。早速札幌駅前通りの雪印パ-ラ-で一番高い値段のアイスクリ-ムを食べに行ったのを想い出す。

 今はあまり良くは覚えていないのだが、田部井さんと海外登山の話をしたのだろう。田部井さんは、田部井さん宛てに送られてきた次の年のソビエト(現在のロシア)登山協会主催のパミ-ルキャンプ登山案内書を、わたしに転送してきた。この申込書付きの案内書で、北海道パミ-ル登山隊を組織し、わたしが隊長で5人メンバ-が遠征することとなった。現在のキルギス共和国のパミ-ルにあるコネジェネフスカヤ峰7105m。1987年に4名が登頂する。

タンボチエにある加藤保男の碑について。

 加藤保男さんは1973年10月26日にポストモンス-ン季のエベレスト初登頂をしている。日本人ではエベレスト登頂五番目。第2次RCC隊で石黒久さんと同時登頂だった。

 又加藤さんは、1980年5月3日に、中国チベット側の北稜からエベレストを登頂している。プレモンス-ンだった。このチベット側登頂は、中国人以外の外国人初登頂。

 そして、1982年12月27日ネパ-ル側、冬季では日本人初登頂。三シ-ズン登頂者は世界初の快挙だった。しかし、登頂後に南東稜でビバ-ク。帰って来ることはなかった。

 わたしはその一年前の1981年11月に、ネパ-ルのカトマンドゥから成田への帰路に加藤さんと一緒だった。タイのバンコクでのホテルでも同室で、夕食をレストランへ繰り出したもの。加藤さんは尾崎隆さんとネパ-ルのマナスル峰登頂して日本へ帰る時だった。そんな関係で加藤さんからは年賀状が来たりしていた。その後、田部井さんに次いで加藤さんにも地区連盟周年行事の講演会でお話しをしていただいたことがある。

 ちなみに、尾崎さんのエベレスト登頂は、1980年5月10日に広重恒夫さんと同時に北壁初登頂している。尾崎さんはこの後、1983年12月16日冬季登頂。尾崎さんも2011年5月12日にエベレスト頂上直前で遭難死した。

 最近、加藤さんの碑の隣に、エベレストに一回も登山したことがない日本人政治家の碑が建ったらしい。ガッカリだ。

 

ネパ-ルのカトマンドゥから成田への帰り

 わたしは次年1982年ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mの偵察でネパ-ルを訪れていた。その当時カトマンドゥのヒマ-ル・トレック㈱。同じ会社を利用してマナスルを登頂した加藤保男さんと尾崎隆さんが同じ日に帰国で同じフライト便だった。

 エ-ジェントの社長さん二三子が、「タモッちゃん、札幌からネパ-ル初めての三人を成田まで面倒を見てくれる」と、加藤保男さんにお願いしてくれた。

 バンコクのホテルの部屋は、わたしと加藤さん、それと尾崎さんの三人。シャワ-を浴びた加藤さんの両足を見てビックリ。足10本の指が無いばかりか、もっと上までない。2度のエベレスト登頂をこの足が物語っていた。プレモンス-ンとポストモンス-ンの2シ-ズンエベレスト登頂の結果だった。帰国する次年の1982年の冬季エベレスト登山の話を聞かせてもらった。

 

タンボチエの加藤保男さんの慰霊碑を写真で見て見る。

エベレストを眺めるタンボチェの加藤保男慰霊碑

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カトマンドゥ→成田のフライト途中、バンコクでゆっくり夕食

右手前・加藤保男さん  右奥・尾崎隆さん

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1982年12月27日 加藤保男さん冬季エベレスト登頂

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加藤保男さん エベレスト遭難の記事

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1982年正月 加藤保男さんから年賀状

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1982年10月 エベレスト出発直前に最終原稿を書いた

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加藤保男 エベレストに死す

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加藤保男さんの母親加藤ハナさん 追悼本

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