ネパ-ルの楽しいトレッキング 第17回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その十七

ネパ-ル人ガイドとポ-タ- 三回目

標題では「ネパ-ルの楽しいトレッキング」だが、しばらくはネパ-ルの登山を見てみる。

 前回は、ネパ-ル人山岳ガイドのシエルパ族を、イギリス隊エベレスト遠征の歴史から少し見てみた。

 今回は1953年エベレスト初登頂したネパ-ル人ガイドのテンジン・ノルゲイ・シエルパについて少し見てみたい。テンジン・ノルゲイは現在のエベレスト街道、エベレストの麓の村に生まれている。チベットから移り住んだ民族の末裔だ。

 

エベレスト8,848m

エベレストはインドがつけた言葉。ネパ-ルではサガルマ-タ、チベット語ではチョモランマ。

頂上に立って、東西に向って立つとどちらかの足がネパ-ルとチベットに立つことになる。

慣例によってビザは必要ない。慣例でも何でもないが。

誰でも判っていることだが、世界の山々の最高峰。地球のテッペンになる。

 その標高は8、848mで、インドの測量局が測量した数字になっている。その測量局長官のジヨ-ジ・エベレストにちなんで付けられた名称。2015年4月25日のネパ-ル大地震で沈み込んだか持ち上がったか。インドは再測量の用意があると発表している。この地震時に、エベレストベ-スキャンプがプモリ峰に堆積していた氷河の崩壊で、氷河雪崩発生。19人が死亡している。この時にBCに滞在していた札幌在住の女性が足を骨折。今年5月に再挑戦し、エベレスト登頂した。私の登山の指向(思考)とは少し異なっているガイド登山だ。

 ネパ-ル登山のガイドやポ-タ-の話なのに、チョット横道に歩き出すところだった。「登山」と「ガイド登山」は違うのかどうか、などの話は後日に。

 

エベレスト初登頂

エベレストの初登頂は1953年5月29日午前11時30分。イギリス登山隊のエドマンド・ヒラリ-とシエルパのテンジン・ノルゲィ。このお二人、今は天国に居るが、どちらが頂上に立ったのか一生語ることはなかった。二人して、一緒に、一二の三で同時に踏むことは考えられないから、二人共その偉業の大きさが分っていたのかもしれない。

二人が登頂する前の26日に第一次登頂隊が頂上を目指したがダメ。酸素ボンベの酸素が無くなり8749mで撤退。ヒラリ-とテンジンは頂上を目指す二番目のメンバ-だった。

 この登山隊の規模は、登山家としてイギリス人11名、ニユ-ジ-ランド人2名、ネパ-ル人2名、シエルパ20名、ポ-タ-362名、合計400名の大登山隊。

 1921年に第1回目の登山隊がエベレストを目指しているから、第9次の登山隊で、32年かかったことになる。1907年にイギリス山岳会創立50周年記念で、エベレスト遠征計画が持ち上がっていたので、発案からは46年。

 初登頂する一年前の1952年に、スイス隊が頂上に迫っていたので、紙一重の差が栄光と残念の両サイドに分かれる。人類が自然に挑戦し、世界の多くのクライマ-が夢見ていた。

 1953年以降にもスイスやフランスが登山許可取得していた。最初に取りついたイギリス隊が栄光に輝いたのは、順当だったのだろう。 

 ネパ-ルの登山許可制度は、1990年以前は1ル-ト・1シ-ズン・1隊制度があった。現在はどこのヒマラヤ登山でも、BCには何隊も居て、ダブルブッキングだ。今年のエベレスト・プレモンス-ンは30隊以上500名が頂上を目指しているそうな。

 

登頂者のヒラリ-とテンジン

 さて、初登頂したヒラリ-さんとテンジンさん。人類が挑戦してきただけあって、その栄光は華々しい。と云ってもお酒におぼれたり、お金使いが荒くなったり、などの成金とは違う。さすが精神と肉体のスポ-ツ、登山の栄光者は地道な人生を歩んでいる。

 現在のイギリス王女が父親の死で女王になり、その16ケ月後のこの年6月2日に戴冠式を控えていた。5月29日のニユ-ジ-ランド人のヒラリ-登頂ニユ-スは、なんと6月2日の早朝にイギリスに伝わり、結婚していた若干26歳の女王へのプレゼントとなった。

6月6日には、女王エリザベス2世がエベレスト隊とネパ-ルメンバ-への勲章授与を発表。

登頂者テンジンには特別にジヨ-ジメダルを授与。

 隊長のジョン・ハントと登頂者のヒラリ-には、大英帝国勲章ナイトの勲位を授与、サ-(Sir)の称号が与えられた。

ヒラリ-(Sir Edmund Percival Hillary)基金

 アメリカやイギリスは寄付の国と云われる。お金持ちの市民は、福祉や教育やスポ-ツ活動へのカンパ活動が盛ん。サ-と云われるようになったヒラリ-さんは、多くの寄付を集め、ネパ-ルの山岳地、特にエベレストの麓に住む就学児童への教育活動を始める。

ダ-ジリンのテンジン・ノルゲィ登山学校

一方、テンジンさんは、1954年にダ-ジリンに登山学校を設立。

 この頃、ネパ-ルでは、130年間の鎖国政策から1950年に開国し、国民に登山や観光などの概念はなかった。国民に無いのだからネパ-ル政府は関心さえもなかった。

 長い間チベット地域からエベレスト登山を行ってきた外国隊は、ダ-ジリンに居るシエルパ族を登山の案内人とし、隊荷物を運ぶのもシエルパ族だった。

 ネパ-ルがネパ-ルヒマラヤの登山隊を旺盛にする意図でヒマラヤン・ソサエティを1956年にカトマンドゥに設立。観光の意味も分からなかった政府官僚はなにをしたら良いのかも分からない始末。テンジンに入会依頼するが、インド国籍のテンジンから断わられる。ネパ-ル政府はダ-ジリンに出向いてシエルパ族をあつめざるを得なかった。

 ネパ-ルは1969年に政府内に観光省を新設。ヒマラヤン・ソサエティに代わってネパ-ル山岳会を設立。1977年に観光省登山課を新設。ようやく登山やトレッキングや観光が何なのか、国の役に立つのかが分かってきた。1998年にシャイレンドラメラジ・シャルマンさんが初代課長に就任。私の友人の経営するエ-ジエント会社にこのシャルマ氏の学友が勤めていた。

話は、又々横道を歩き出している。この続きは後程。

 

参考資料

エベレスト登頂  ジョン・ハント

シエルパ  根深誠

わが山エベレスト  テンジン自伝

ヒラリ-自伝  エドマンド・ヒラリ-

ネパ-ル  トニ-・ハ-ゲン

 

ヒラリ-とテンジン

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エベレスト 8848m

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テンジン登頂

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ダ-ジリンの街

後峰はカンチェンジュンガ峰(ネパ-ルとインドの国境の山)

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テンジン・ノルゲィ・シェルパ

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ダライ・ラマとテンジン一家

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女王エリザベス2世の勲章とメダル

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テンジン・ノルゲィ死去1986年5月9日

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