ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その二
前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれたカリ・ガンダキ河沿いの新道路に沿ったトレッキングを見てみた。
今回はアンナプルナヒマ-ルの奥地ジョムソンから下りながらのトレッキング。マルファ町からを見てみる。
ジョムソンから奥地のロ-マンタンは、1350年頃にチベットから移り住んだ人達が王国をつくっていた。ジョムソンから下ったマルファの町はいつ頃から人が住むようになったのだろうか。日本の明治時代から日本人が、チベットへの侵入を伺うための一時滞在の町になった。
1990年代から道路建設が進み、2000年代からここに住む多くの住民の生活が良い意味で一変する。徒歩でしかカトマンドゥを往復できなかった環境が、待ちに待った自動車道路完成。
しかし、1950年代から続いた、この地アンナプルナヒマ-ルの美しいヒマラヤを眺める外国人のトレッキングは自動車道路開通で衰退。と同時にトレッカ-をあてにして生計を立てていた一部のネパ-ル人の生活も一変する。
現在は、秘境ロ-マンタンの外国人入域禁止が解け、多くのトレッカ-が訪れていたのだが、2008年のネパ-ル王政廃止に伴うロ-マンタン王退位や、同時に自動車道路開通で自動車の砂埃の道路を歩くトレッカ-は敬遠。結果、自動車でロ-マンタンへの訪問者が多い。
私達高齢者は、歩かずともヒマラヤの8千m峰を眺めれる地になっている。これはこれで感謝だ。
それでは、カリ・ガンダキ河のマルファ町から下りを写真で見てみる。
マルファの街
さすが美しい白壁の町を通る道路の拡幅はせず、自動車道路は街の左側100mに新道を造った
マルファの町 標高2832m
白壁で有名 バティ(ロッジ)が沢山ある
明治時代に日本の僧侶河口慧海が、チベットの経典を求めて長期滞在した
バティ(ロッジ)
マルファで偶然にカトマンドゥで友達付き合いしている友人達と出会う
左端はシェルパ族でエベレスト街道近くに住んでいる
河口慧海ハウス ミユ-ジアムになっている
河口の使ったキッチンと食器など
一時チベット人 Tibetan になっていた河口慧海のパスポ-ト
河口慧海の写真
河口のカメラ
河口慧海が旅行に使用
マルファ町の高台に仏教僧院・寺院
手前にリンゴ園
マルファ町周辺には蕎麦畑 刈取り風景
ソバのごみ取り
道路脇の仏典岩
オム・マニ・ペメ・フム
私は汚い沼に咲く美しい蓮の花になりたい
ニルギリ峰に朝日
カリガンダキ河の右岸に自動車道路 ダウラギリⅠ峰8167m
家畜・水牛のエサか トウモロコシを運ぶ女性