ネパ-ルの雪崩 その10 インド・ジャオンリ峰の雪崩 第9回目

ネパ-ルの雪崩 その十 インド・ガンゴトリヒマラヤ・ジャオンリ峰6、632mの雪崩 第九回目

前回はインドのニルカンタ峰の北壁を襲った氷河雪崩を見た。

 このブログの標題は「ネパ-ルの雪崩」となっているが、ネパ-ルの山だけでなくパキスタやインドヒマラヤの雪崩も見てみる。

今回はインドガンゴトリヒマラヤのジャオンリ峰・6632mの雪崩事故を見てみる。

1981年9月、北海道同人女性隊5名がインドのジヤオンリ峰を目指した。

 ベ-スキャンプに医師の隊員一名を残し、キヤンプ2を4名が出発。インドのガイド2名を加え6名が、2名づつロ-プにつながる。5630mのC2から6千mの稜線までほぼ直上。

 稜上を頂上目指して右上トラバ-スしている時「ズシン」と雪崩発生。幅100mで約200m流される。一名が半身埋没し、自分でピッケルなどで掘り出し無事。ガイド一名も無事。隊員三人とガイド一名が行方不明となる。助かった一人は、ロ-プで繋がっている一人を掘り出すが助からず、BCまでガイド一名と一緒に下山する。

 

 この時の女性隊隊長は、私が山岳連盟の理事長をしていた連盟加盟山岳会の会員だった。北海道在住女性だけの同人組織の遠征隊で、他の山岳会会員も居て、遭難事故後の遭難対策札幌本部に毎日詰めていたのを思い出す。

 北海道で登山活動をしている女性だけで、ヒマラヤ登山を目指し5年前に同人組織を立ち上げての遠征だった。

 この次の年1982年のポストモンス-ン季に、私の所属する連盟隊がネパ-ル遠征を予定していて、その隊にも彼女が参加するかもしれない情況だった。1982年ネパ-ル・ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853m遠征には私が副隊長で参加した。この山は処女峰で初登頂することができた。

 この年1981年、インドのジャオンリ峰遭難事故が起きる前の5月にも海外登山の死亡事故があった。1981年5月、中国ミニヤ・コンガ峰(貢嘎山)日中友好登山隊は、25名の登山隊員で7、556mの北東稜から頂上を目指した。

 キャンプ4を12名の頂上第一次アタック隊が出発。一名が滑落。続いて7名が一本のロ-プに繋がったまま北壁側に滑落。8名全員が行方不明。

北海道の登山界は、最悪の年となってしまった。

 

以後はインド・ジャオンリ峰遠征報告書による

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インド・ジャオンリ峰 6、632m 

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シャオンリ峰 

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稜線に出たところが雪崩発生点

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中国・ミニヤコンガ峰 1981年

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中国・ミニヤコンガ峰北壁

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ミニヤコンガ峰北東稜

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