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ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

那須温泉ファミリ-スキ-場コ-ス外雪崩死亡事故 その3

那須温泉ファミリ-スキ-場コ-ス外雪崩死亡事故 その三

4月7日と13日に高校生雪崩死亡事故について書いた。その三回目。

 本日4月20日に雪崩死亡事故のあった現場で、残置していた装備などの捜索が行われたらしい。、当時事故の死亡者や負傷者の救出で精いっぱいだったのだろう。地元の警察や消防、そして地元の山岳団体や消防団などで組織する地元遭難対策協議会のメンバ-は、雪下に埋まっている登山装備などの掘り起し回収をせずに下山していた。

今回は地元県警察が遺留品捜索として行っている。

 

雪崩死亡事故の概要

 2017年3月27日午前8時30分ころ、栃木県那須町那須温泉ファミリ-スキ-場のコ-ス外上部で雪崩発生。

 栃木県内の高校7校の登山部が参加して春山安全講習会を開催。講習会当日は7校を5班に分けて講習をしていた。

 参加していた指導員教師を含む48名が雪崩に遭遇。男子高校生7人と男子教員1人の8名が死亡。生徒と教師合わせて40名が負傷した。死亡したのは、県立大田原高校の生徒と教員。

 

私も雪崩事故で回収不能のザックを置いてきたことがある

私も雪崩事故で、自分の装備を雪崩のデブリに埋められ、回収せずに帰宅したことがある。

 1991年2月10日だった。北海道の岩内の海岸にある雷電海岸の二ルンゼでの出来事。この年、ポストモンス-ン季にネパ-ルヒマラヤのアンナプルナⅠ峰北面登山の訓練山行で、雷電海岸にずらっと並んだ氷瀑の内の二ルンゼでロ-プフイックスと荷揚げの訓練を行っていた。前日の9日土曜日に、ルンゼ状の川が凍った約60mのほぼ90度傾斜の氷の河にロ-プを定着させて。10日朝からロ-プをユマ-ル(ロ-プにセットして楽に登る器具)歩行する荷揚げの訓練中だった。

 私は、60mを登り切り、その上傾斜の緩い100mくらいを登ろうとしているところに雪崩が発生。足元に自分のザックを置いて、次に60mを登攀してくるメンバ-を待っていた。その足元に置いたザックが雪崩と共に流されていったのだ。

情況は次の様子。

 まずフイックスされた60mロ-プを、ユマ-ルで2ピッチ上り、傾斜の緩い斜面で直径2~3Cmの小灌木に捨て縄プル-ジックでセルフビレ-をとった。私の後続にメンバ-2名が居たので、この二人を私より先行させて、私が下の60mロ-プの回収をしようとしていた。私の前にもユマ-ルで行動しているメンバ-が一名居た。

 突然だった、前方の100mフイックスロ-プのまだ前方の支尾根で見えない方から「雪崩だ-」の声が聞こえ。山の上側の前方を振り向いたのだが、既に雪崩が眼前に迫っていた。

 一歩も逃げる暇がなかった。一瞬で気絶したらしい。気が付いた時は、60m氷瀑の落ち口に、前方を歩いている筈の一名がフイックスロ-プのアンカ-の近くに居た。私より数m下に居るのだ。

 私はセルフビレ-を取った時に、自分のユマ-ルをロ-プから外してした。ビレ-を取った小灌木は、プル-ジック結びのロ-プがきつく巻き付いたことで、木の皮が10Cmも引きはがされていた。よくも小灌木が折れたり、根から抜けたりしなかっもの。私は気を失っていたので憶えていないが、セルフビレ-で動けない私を雪崩が突き抜けて行った勢いは相当なものだったろう。

 私より前方を歩いていて私より下に流された彼女は、札幌医大まで救急車で運ばれた。その夜に脊髄骨折の手術が行われ、以後車椅子生活を続けている。

 

足元のザックは有るはずもない

足元に置いておいたザックには、自動車のキ-や財布なども入っていた。

 5月ゴ-ルデンウイ-ク後だった。警察から電話。「あなたのザックを拾った人が、地元の交番に落し物として届け出がありました」「届け出た人の住所・氏名が分かりますので、入っていた現金の何分の一の謝礼をして下さい」。

 ロ-プフイックスしていた上部からの雪崩、一瞬に60mのジャンプ台を飛び越え。私の後にユマ-リングしていたメンバ-は、全体が真っ暗になったとビックリしていた。表層雪崩の雪は、氷瀑の60mを飛び越えて、その下の森林帯にデブリとなって残っていたはず。こんな所に、登山道などない積雪を残す春の海岸ぶちに、誰が何の用事で来たのだろう。どのようにして私が探しに行く前に見つけれたものか。

 パ-トナ-の手術中に、私もドクタ-から診察を受けていた。左胸に鈍痛。夜間のためレントゲン技師が居ないので触診。あばら骨が3本以上折れていれば、痛みがすごい。肺に刺さっている兆候はない。一二本ヒビか骨折なら、このまま。会社はしばらく痛みが取れるまで休んだら。とのこと。

秋には60日間の有給休暇の予定なので、ここで有給を使う訳にはいかない。

 私はこの後、頸椎の上から4番目と5番目の左後ろ側がつぶれているのが判明。3年後、南整形外科に2ケ月間も入院治療することとなる。

 

ネパ-ルの雪崩

 この年1991年、ネパ-ル・アンナプルナⅠ峰登山でも雪崩に悩まされることとなる。私達の日本隊の他に、アメリカ隊・韓国隊・スペイン隊、そしてオ-ストリア隊がアンナプルナⅠ峰北面に取りついていた。ダツチリブル-トからキャンプ3、そしてキャンプ4の設営で韓国人2人とネパ-ル高所ガイド5名の7名がル-トメイキング中、表層雪崩発生。ル-ト工作先頭に居たガイド頭サ-ダ-一人が生き残っただけで、韓国隊員2名とネパ-ル人ガイド4名の6名が行方不明になった。

 2015年4月25日、ネパ-ル大地震は9千人の死者を出した。ネパ-ルはエベレストが聳える神々の座の国。ヒマラヤ地帯でも広範囲な被害に見舞われた。エベレストのベ-スキャンプを襲ったハンググレッシャ-アブランチは、エベレストを目指す外国人300人と多くのネパ-ルメンバ-を襲い18名が死亡し多くの負傷者を出した。札幌在住の女性もベ-スキャンプに居て、雪崩の猛吹雪に飛ばされ足を骨折している。

 他方、ランタンヒマ-ルのランタン村は、その数km上部の懸垂氷河の雪崩と土砂が村全体を襲った。村は跡形もなく削りれとられ、その下部のランタンコ-ラ(川)に堆積。村民と外国人トレッカ-など約300名が死亡・行方不明。現在カトマンドゥ大学教授の知人が地震から2年後の今年3月に視察と調査に訪れ、川に堆積している氷と土砂のデブリは、今後10年間は溶けないのでは、とつい一週間前に報告してきた。

 この大地震の一年前にもエベレストで懸垂氷河が崩れて大雪崩。ベ-スキャンプからキヤンプ1への荷揚げ中のネパ-ル高所ガイドやハイポ-タ-など13名死亡、3名行方不明になっている。

 ネパ-ルはネパ-ル人の八十数%がヒンドゥ教徒の国。ヒンドゥ教は死んでもお墓はない。輪廻転生がヒンドゥ教の教義になっていて、死んでも生まれ変わるからお墓はいらない。仏教徒?の私達には理解不能の輪廻転生だが、死んでも遺体が在ってのこと。行方不明では輪廻転生はできない。どうなるのだろうか。

 

以後はネパ-ルヒマラヤの雪崩を写真で見てみたい

 栃木県内の高校生登山部の雪崩事故について、私の感想や高校生登山についての意見を書き綴ってみた。以後には、ヒマラヤの雪崩を写真で見てみる。

 

今回は取りあえず写真を数枚見る 

小灌木にロ-プのプル-ジック結び

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私の高校生時代 春香山の銀嶺荘で山仲間4人 1月に一週間の山行f:id:koyaken4852:20170420211107p:plain

 

アンナプルナⅠ峰 1991年10月 ABC(アドバンスベ-スキャンプ)

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ランタンヒマ-ル ランタン村 1981年

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エベレスト ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰キャンプ2から 1982年

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