読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2月11日土曜日、飲み仲間五家族が集まって毎年恒例の飲み会

 2月11日土曜日に飲み仲間五家族が集まって毎年恒例の飲み会が開催された。遅い新年会かな。

 ここでの飲み会の話題。ネパ-ルに滞在していて、その滞在期間中にお世話になるガイドと友達になれるのかどうか。

 日本人同士なら簡単だが、日本人と外国人の友人関係の話。単純に考えたら、互いに友人だと思えばそうなのだが。互いでなく、例えば私だけがネパ-ル人の彼や彼女を友人と思えば、友人関係が成立するのかどうか。この話題を話し合った飲み仲間の彼は、日本的にネパ-ル人ガイトと友達になれると主張している。

 私は2007年9月からカトマンドゥの借家でネパ-ル生活を始め、10年間ネパ-ルと札幌を行き来している。そして私は数人のネパ-ル人家族と友人の関係でお付き合いをしている。そこで気が付いたことが二点あり、ネパ-ル人ガイドに賃金を払う私と雇われているネパ-ル人の関係。他の一つはネパ-ルの社会生活に根付いているヒンドゥ-教のカ-ストだ。

 

飲み会の「ネパ-ル人と友達になれるか」の話題を話し合った相手

 私は1981年に初めてネパ-ルを訪れ、登山目標の山の偵察を行った。この時から今日までネパ-ル人のガイドを雇用して、ネパ-ル国内の各地の案内をしてもらっている。最近ではガイドよりも私の方がネパ-ル国内の様子が詳しいので、ガイドにはもっぱら通訳をお願いしている。飲み会の私の話し相手は、私よりも10年も早くネパ-ルを訪れている人で、なんと1970年代の大学山岳部時代のこと。1970年代以前は日本人にとって日本から海外に出るのがとても困難な時代で、持ち出し外貨が500ドルと限られていた。この500ドルで海外滞在期間中の衣食住を賄わなければならない。この人はパキスタンからインド経由でネパ-ルに入り、登山目的でネパ-ルに数か月滞在している。

 

私とネパ-ル人カイドの関係は?

 私のネパ-ル滞在は、1981年に登山の偵察、そして次の年の1982年にロ-ルワリンヒマ-ルの6,853m峰登山。次いで1985年には小学一年と四年制の息子達の家族4人、そして北海道自然保護連合の事務局を手伝っていた大学生3人を引き連れたアンナプルナ3週間トレッキングと続いた。私の女房はこの時のネパ-ル行でのスケッチを基に、第一回ネパ-ル絵画展の個展を開催した。以後個展は7回を数えるまで続く。

 ネパ-ルのガイドは昔から現在まで変わらない。ネパ-ル国内のエ-ジェントの会社に雇われ所属し、そこの社長などの指示でトレッキングや登山や国内旅行のガイドを行つている。私はネパ-ルで行動する時は、登山・トレッキングや旅行でエ-ジェントにパックで依頼したことがない。最近は自分でバス会社へ出向きチケットの購入や、行先のホテルへ電話予約をしてガイドなしの旅行も多い。

 以前はエ-ジェントに、ガイドとバスやフライトの予約のみをお願いしていた。この時のガイドの役割は、もっぱら宿泊手配や食事の手配に限り、要するにネパ-ル語と英語の通訳をしてもらっている。その他の行動については自分で決定してガイドへ伝えるのみ。エ-ジェントにパックでお願いすると、その日程通りに行動し限られた宿泊場所や食事をするなどの制限がある。私の場合は気に入った場所では複数泊したり、思いきって二日行程を一日で歩いたりで、帰着が予定よりも一日二日早かったりする。この場合は帰りのフライトをキャンセルして路線バスに変えたりする臨機応変に対処する。時にはガイドを借りるだけで、ガイドの賃金も自分で支払うこともある。

 私のネパ-ルでのパックでない行動は、例えばホテルや食事の料金の高すぎるものを安価に抑えることが可能だし、何と言っても行動が自由なのが良い。トレッキングをエ-ジエントに依頼してパックにするのと、私の様にほとんどを自分で行う支払うお金の違いは歴然となる。例えば2009年に女房と二人、カトマンドゥ発着で、アンナプルナヒマ-ルのカリガンダキ川最奥のジョムソン村まで往復した。普通はカトマンドゥ――ポカラ間とポカラ――ジョムソン間はフライトになるが、ここをバスにする。10泊11日の料金は、パックで飛行機を使うと一人約1000ドル掛かる。私が企画実行すると路線バスのみの乗車で一人総額300ドルで済ませた。行く先々でガイドは大忙しだったろう。なんの予約もしないトレッキングで、お客の私達二人の安全と満足を満たさなければならないのだから。

 2014年ポストモンス-ンに女房と親戚一人と友人一人の4人一緒にアンナプルナヒマ-ルのトレッキングをした。この時のガイドには今まで通りに主に通訳の役割をしてもらった。エ-ジェントにカトマンドゥ――ポカラ、ポカラ――ジョムソン間のフライト予約をお願いしたところ、一日でフライト乗り継ぎでジョムソンまでのチケットは取れないと断られてしまった。私の取った行動は、ポカラに着き直ぐにガイドにジョムソン行きフライトの空き席を調べに行かせた。なんと往路搭乗客なしで復路に満席になるフライトが今直ぐに飛ぶとのこと。ガイドには次の日のチケットで5人搭乗OKになる様に交渉させた。フライト出発直前だったので、5人の荷物重量を計る暇なく機は飛び立つ。ジョムソンに着いて、私がカトマンドゥで予約していたポカラホテルに予約日変更の電話を入れることとなったが。私とネパ-ル人ガイドとの関係をお分かりになっただろうか。

 

飛び乗ったポカラ発ジョムソン行16人乗飛行機  貸し切りだった  ガイドはエベレスト登頂7回のシェルパ

f:id:koyaken4852:20170217204357p:plain

 

 話がネパ-ルのガイドと友達になれるかどうか、なのに少し横道に逸れてしまった。本題にもどそう。

 私は10年間札幌とネパ-ルを行き来して、ネパ-ル人数家族とお付き合いしている。まったくの親しい友人関係だ。娘の誕生日なので今晩来て。今日からお祭りなので今日来て、など食事などに誘われる。よくよく考えるとこの友人達、私が雇ったことも賃金を払ったこともない人達なのだ。

 昔も今もそうなのだが、欧米の人達のガイドとの関係は、ガイドには賃金相応の働きを求める関係が保たれているように思える。日本人とはチョット違う。

 飲み仲間で私と「ネパ-ル人ガイドは友人になれるか」の話し相手の彼は、日本人の登山家やトレッカ-は寝食を共にするガイドとは友人の様に仲良くしたいと考えている。私も友人は多いほど良いし、トレッキングや登山で一週間から2ケ月も一緒に過ごしているのだから友達になれるような気もするし、彼の思いと同じ。

では何故ネパ-ル人ガイドと友人関係になれないのだろう。

 トレッキングを終えて帰国すると、追って雇ったガイドからハガキや手紙が来て「又来てください」と書いてある。これを友人関係の芽生えと思ったら大間違い。雇用主のエ-ジェント社長からの業務命令での、お礼と再来お願いの手紙なのだ。勘違いして又同じガイドを指名しネパ-ル行をする日本人も多い。だが、ネパ-ル人ガイドと友人になれなく手紙の真意が判るのだ。

 私の女房は1985年のトレッキング以後、毎年のようにスケッチ旅行で約一か月のネパ-ル通いをしてきた。毎回同じガイドを連れて歩いているので、食事など一緒にしている。これこそ同じ釜の飯を食べる、寝食をおなじくすることになる。がしかし、女房の連れて歩くガイドは友達にはなってくれなかった。日本人のこちら側が友人関係を望んでも、相手がいること。、相手が賃金をもらう側の意識が強いと、なかなか友情には発展しないことが分かる。

 

ネパ-ルのカ-ストとの関係

 賃金を払う側と賃金をもらう側に少し関係し、似ていると思われるネパ-ルのカ-スト制度。このカ-ストはヒンドゥ-教の教義の一つ。

 カ-ストの端的な説明をすると、最上級カ-ストの男の権力と富と名誉などを維持拡張する制度。世襲制で厳格なカ-ストと云う階層社会のことで、カ-ストごとに職種がある。なんとインドでは紀元前200年からのヒンドゥ-教社会制度で、インド人がネパ-ルに持ち込んだもの。男と云ったのは、ヒンドゥ-教の男尊女卑原則があるから。

 例えば、数十年前のカトマンドゥでは、最上級カ-ストの家には下位のカ-ストが雇用されていた。一階には雌牛が飼われていて、その牛の面倒を見る牛飼い。牛飼は牛のエサを集め、二階にある台所の土床の掃除を牛糞で行う。その他にも雇用されている下位カ-ストは、トイレ掃除専門。トイレ以外の清掃。門番。お手伝いさんなどなど。トイレ掃除人は不可触カ-ストで、神聖な場所の台所を覗くことを禁止されていた。もしも覗くと、その家の人は台所の水や食べ物を食べることができなくなる。

 これらの雇用人の給料はいくらぐらいか。高給取りの公務員の1991年当時を見ると、大学卒初任給が2,320RSルピ-。課長・部長の最初給料は3,040RSルピ-。5ツ星ホテル会計職が大学卒10年勤務の女性で2,800RSルピ-だったので、押して分かるだろう。下位カ-ストの子供達は小中学校を卒業できれば御の字の家計状態。1RSルピ-=4円。

 最上級カ-ストの職業は地域社会の司祭や大地主農家など。他に公務員の役員や教員など。要は賃金を払う側のトップがブラ-マン族やネワ-ル族の上級カ-ストとなる。

 1990年ころからのネパ-ル民主化でこのカ-スト制度が若干民主的になった。1990年制定のネパ-ル王国憲法第5条では、ネパ-ルはヒンドゥ教の・・・・王国である。と規定し、第11条で宗教や人種、性、カ-スト、部族、思想によって人を差別してはいけない。差別する法律制定もダメ、と規定された。

 しかし、法律が変わったがネパ-ル社会からヒンドゥ-教やカ-ストがなくなった訳ではない。

 賃金を払う側の人間が賃金をもらう側のネパ-ルガイドと友人になれるのか。ネパ-ルのカ-ストをその少しだけ説明しだ。理解できただろうか。人間関係としてなかなか友人にはなれない理由を理解できただろうか。日本や日本人には理解できないネパ-ル社会である。

 カ-スト以外にもネパ-ル人同士の関係で理解不能のことがあった。私のネパ-ルの友人でエ-ジェント社の社長の話。彼は事務所の鍵を持っている。社員は多く居るが鍵を預けれる信頼できる社員がいない。毎日朝早く開鍵のために事務所に行き、事務所の鍵を閉めるために又遅くに行かなければならない。給料を払う側と支給される側の関係だけの問題ではない。それ以上の「信頼関係」でも払う側ともらう側の間に大きな溝がある。

 日本人が是非ともネパ-ル人と友達になりたいなら、このネパ-ル社会を無視すれば良いだけのこと。と思われるが、しかし残念ながら相手がネパ-ル社会で暮らすネパ-ル人だった。