ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका その⑤スワヤンブ-ナ-ト Swayambhunath
世界文化遺産カトマンドゥ盆地のスワヤンブ-ナ-トは、カトマンドゥのリングロ-ドのすぐ内側で中心街の西方3kmにあり、400段に近い階段の丘の上に建つストゥーパ(仏塔)様式の仏教寺院である。
東南アジア最古の文化遺産で、この寺院からはカトマンドゥの市街が一望される。
全インドを最初に統一して帝国を築いたとされるアショ-カ王が紀元前約250年頃に建立している。アショ-カ王はブッダの生誕地ルンビニを訪れ、ブッダの辿ったカトマンドゥをも訪れ、カトマンドゥの隣町パタンにも4塚を建立している。
現在はサルが多いことから「モンキーテンプル」とも呼ばれている。
ストゥーバ(仏塔)の高さは9m、直径18mで大きな目玉が描かれている。四面についた目は森羅万象を見通す仏陀の目で「みすえる知恵の目」である。
現在のタルチョーの小布は、経文が刷られ黄、緑、赤、白、青の五色からなり、これらは黄が大地、緑が水、赤が火、白が風、青が大地で大宇宙を表わしている。
スワヤンブ-ナ-トは万物の創造者と言う意味。直訳すると「自存者寺院」で、ブッタのシヤリラ(遺骨)が分骨された本物の仏舎利塔ではなく初念仏である。
なおこの仏塔は正確にはストゥ-パではなく、マハ チャイテャと呼ばれる。チャイテャを直訳すると「塚」で、規模が大きく大チャイテャ。
また仏塔の西北隅にある建築物のお堂は、その形状からヒンドゥ-教の寺院と思われ、仏教の仏塔とヒンドゥー教の寺院が共存していると思われるが、実はこの寺院は鬼子母神堂(ハリティ)と呼ばれる仏教寺院である。
現在は仏塔の墓室を開くことは禁じられている。1825年に頭部の宝珠を支える木製の支柱が嵐で割れたことがあり、交換のために開かれたが仏塔の起源や建立年を記録した物などを調査しなかった。またとないチャンスを逃してしまった。
2015年4月25日のネパ-ル大地震の際も土饅頭型土台が大きくひび割れ、改修名目での調査ができたがしていない。そもそも仏塔の開室禁止は現代の諾否の問題で、開室して調査することで、開室許諾の文書が見つかるかもしれない。
このネパ-ル世界文化遺産が八か所点在するカトマンドゥ盆地は、国際連合・ユネスコの世界遺産登録基準における以下の基準を満たし、1979年登録されている。
◎ 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証 拠。
◎ 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
◎ 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの。この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている。
ハリティ鬼子母神堂
スワヤンブ-ナ-ト入場券 200ルピ- (2013年10月)