ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 その③パタン

 ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका その③パタンを見てみる。

 

パタン旧王宮広場

 パタンはカトマンドゥからバグマティ-川を挟んで南方に約5km。ここに世界文化遺産のパタン旧王宮広場がある。

 パタン市は299年に築かれた古都。パタンは別名で、梵(サンスクリット)語の「ラリトプル」とネワ-ル語の「イェラ」がある。ラリトプルは「美の都」と言う意味。

 現在でもネワール族の金銀細工、木彫り、絵画など工芸の街である。私の女房がネパ-ルの絵画を画いており、ここパタンの額縁店に額の購入のために訪れる。余談だが、パタン市内には長野県で修業した美味しいパン屋さんや、大きなス-パ-マ-ケツトのバトバティ-ニがあり、私は週に一回シャ-ジャ-大型バス片道15RSルピ-で買い物に出向く。

 広場を取り囲む市内は、シャカ王国時代からの氏をシャキャと名のる仏像工芸者が、今でも仏像制作をしている。

 王宮の広場には、12~17世紀に建てられた寺院が多い。主に16世紀から18世紀のマッラ王朝期に建立されている。

 ここの王様、1619年にカトマンドゥ王国から独立している。カトマンドゥ王からのパタン王の分家だ。そもそもは、13世紀からマッラ王がバクタプル王宮を建立した時から始まる。1450年にバクタプル王からカトマンドゥ王が独立する。バクタプル王からカトマンドゥ王が分家した。その次にポカラ王も分家してカトマンドゥ盆地に3王国時代がやってくる。

元々のバクタプル王宮の位置は、カトマンドゥとパタンの東方8kmになる。

 その後であるが、カトマンドゥ盆地の3国王が戦争で敗れる。1769年カトマンドゥから西に90kmのゴルカの王ブリトゥビ・ナラヤン・シャハが、バクタプル・カトマンドゥ・パタンを攻め戦勝し、シャハ王朝時代を築く。このシャハ王、ネパ-ルを統一する最初の王様。

 この時の3王が敗れた戦争、カトマンドゥとパタンの王様はバクタプル王の住む王宮内の黄金の門に逃げ入つたと伝えられている。バクタプル旧王宮は後日に写真で見ることとする。

それではパタン旧王宮広場を写真で見てみる。

 パタンの王宮広場、その広場を取り囲むように半径300m~500mに多くの寺院と塔も散在する。これらは後日に写真で見る。

 

f:id:koyaken4852:20170123135353p:plain

f:id:koyaken4852:20170123135423p:plain

 

パタン旧王宮広場世界文化遺産 入場門

f:id:koyaken4852:20170123135643p:plain

 

パタン・ダ-バ-スクエア-(王宮広場)の説明

f:id:koyaken4852:20170123135741p:plain

 

 手前からスンダリ チョ-クとムル チョ-ク、その右奥にタレジュ寺院、その奥がデグタレ寺院。

奥の三重屋根のマニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク

 マニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク王宮は1734年に完成。ここは民家として使われていたが、1997年にパタン博物館になっている。私は1991年にこの建物に入り込み、内部の階段を上っている途中に住人に怒られたのを想い出す

博物館にはヒンドゥ-教と仏教の神像や装飾品が展示されている

f:id:koyaken4852:20170123140321p:plain

 

左手前 クリシュナ寺院

f:id:koyaken4852:20170123140439p:plain

 

左からタレジュの鐘 ハリ・シャンカ-ル寺院 ヴィシュワナ-ト寺院 ビムセン寺院

f:id:koyaken4852:20170123140620p:plain

 

左 クリシュナ寺院 ヴィシュワナ-ト寺院 ビムセン寺院

f:id:koyaken4852:20170123140726p:plain

 

手前からシッディ ナラシン マッラ王像 ジャガナラヤン寺院 

f:id:koyaken4852:20170123140858p:plain

 

左・ジャガナラヤン寺院  右・クリシュナ寺院

f:id:koyaken4852:20170123141114p:plain

 

シッディ ナラシン マッラ王像

f:id:koyaken4852:20170123141548p:plain

 

 ガル-ダ像

鳥人ガル-ダはクリシュナの化身のヴィシュヌの乗り物

f:id:koyaken4852:20170123141657p:plain