ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका その②ハヌマン・ドカの六回目。
王宮広場にあるクマリの館に住むクマリを見る。
ネパ-ルの「クマリ」とは
クマリに選ばれるのは、血のけがれのない初潮前のネワール仏教徒サキャ出身の少女。3,4歳前後に32の身体の特徴と、厳しい条件に合格した少女だけがクマリになる。
クマリは、女神の化身であり、祭りのときだけクマリはお寺から外へ出かけて山車に乗りカトマンズの町を練り歩く。
カトマンドゥ盆地で10人のクマリがいるが、その中でもロイヤル・クマリ一人は特別。
現在のロイヤル・クマリはカトマンドゥ・ダルバ-ルスクエア-(王宮広場)のクマリの館に住む一人だけ。生き神様であるクマリが街中を練り歩くのは、ネパールの首都・カトマンズで行われる伝統的な行事の一つインドラジャトラIndra Jatra祭。
インドラジャトラ祭はこの地域で信仰されている神々の王と言われるインドラ神を祀る祭りで、お米が無事に収穫が出来ることを感謝することから始まったと言われている。
クマリを選ぶ過程では、カ-スト制度の最上級カ-ストである占星術師とクマリ選任士が関わる。
占星術師の役割は、予め作成されているホロスコ-プと呼ばれる占星図に基づいて、女神のシンボルとなるクジャクの星回りに当てはまる少女を探すことから始まる。
初潮前の少女で、占星図に示されている内容と合致するものを選別して3名に絞り込む役割がクマリ選任士の仕事。
クマリは宗教上のけがれなき女性でなければならなかった。
初潮前でなければならないのは、ヒンドゥ-教の教義によるものと考えられる。女性の月の物の月経中は、他の家族と一緒に食事もできないほどの汚れである。
ネパ-ルでは1990年ころから始まった民主化で、国教のヒンドゥ-教が憲法から無くなり、憲法改正で国王も一市民となった。
民主化後の今日ではヒンドゥ-教の教義も市民の日常生活に厳格な影響を与えていないが、以前は月経中の女性の食事は、その女性の部屋に運ばれて一人で食事をしなければならなかった。汚れのある期間は家族と一緒に食事ができなかった。
神聖な場所の台所キッチンの入室も許されなかった。
クマリの最終選考は司祭が行う。この司祭、これもカ-スト制度の最上級カ-スト。
司祭のなかでも主任司祭が行う。行う選考儀式は、候補クマリとその家族、そして見物人と参拝者などが集う中で行われる。
儀式場所には赤土に牛糞を混ぜた清めの土を床の一角に塗り、儀式用にはランプと水差し、花輪、供物、牛乳を固めたカ-ドと云われる凝乳、フレ-ク状の干米などの品々が置かれる。
牛糞は、相当以前だが最上位カ-ストの家で飼われていた雌牛の糞を、台所の床の掃除にも使われていた。台所は神聖な場所でそこを清める牛糞。
下級カ-ストの不可触カ-ストはこの上位カ-ストの台所を覗くのも禁じられていた時代があった。
このクマリ制度に至る過程は、10世紀ころの南アジアのヒンドゥ-教や仏教が起源。女性に神が乗り移って儀式を行うことを当時の君主が大いに関心を寄せていたことから始まったと云われている。
歴史的にネワ-ル族はクマリを信仰し、生き神様として崇拝してきた。
この生き神様のクマリ、衣装は赤色でなければならない。赤色はは創造のエネルギ-を表し、ネパ-ルでは赤い服は既婚者に限られているがクマリは例外。
クマリの宗教的役割は、未来を予見し、病気を治し、願い事を叶え、災厄からの加護、地域や家族の繁栄をもたらすなどのご利益があるとされている。
又、現世と神の橋渡を行い、ネパ-ル語でマイトリ・バ-ヴァナ-と云う慈愛の心で、万人を慈み、その境地を信者にもたらすとも云われている。
ネパ-ル民主化後の現在のクマリはどのような待遇なのだろうか。国王時代には、王様がクマリにひざまずいて礼拝した。憲法改正で国王が一市民になった現在、代わりに大統領や首相がひざまずくと思われていたが、そうはなっていない。民主化がそれを許さないのだろう。
ヒンドゥ教が国教でなくなったことで、宗教的差別制度のカ-スト違反の罰則法律も廃止され民主化が前進している。ネパ-ルの社会変化と同様にクマリも信仰対象でなくなりつつある様だ。
ネパ-ル女性の人権と尊厳が平等になるため、クマリの成否が試されているのかもしれない。
カトマンドゥ盆地にいるクマリは10人。
バクタプル・カトマンドゥ・パタンの3都市に王宮があり、3人の王様が居た時代には3人のロ-ヤル・クマリが居た。現在はカトマンドゥ・ロ-ヤル・クマリだけ。
今回はカトマンドゥのタメ-ル地区のキラガル・クマリを写真で見る。
参考文献
ネパ-ル
アジア読本ネパ-ル
外務省在ネパ-ル大使館ホ-ムペ-ジ
National geographic ナショナル ジオグラフィック日本語版
地球の歩き方 等々
カトマンドゥ王宮広場・クマリの館
2015年4月25日 ネパ-ル大地震後のクマリの館
キラガル・クマリとその一家が、現在のタメ-ル地区の南東側にあるストゥパにお参り