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ネパ-ルの結婚式と披露宴・祝賀会

ネパ-ルの結婚式を写真で見て来た。

 ネパ-ルのネワ-ル族同士の結婚式の二回目を載せる途中で、このブログ会社の都合で「今月のファイル利用率」が99%になり、以後写真の掲載ができなくなってしまった。ゆえに、今日から31日までの四日間は写真なし。

 今回のネワ-ル族の結婚式はお金持ちの式と披露宴なので、誰が見てもそれなりに、普通のそれ以上の結婚式と祝賀会なのが分かる。私の友人のライ族の娘さんが結婚した。式に参列しなかったので、その内容などは分からないが、結婚した証拠を残すために新郎と新婦の服装はそれなりにしたが、写真を撮って終えた、と聞いている。

 

 ネパ-ルの結婚制度はヒンドゥ-教と深く関係していた。ヒンドゥ-教の教義に男尊女卑やブラ-マンとネワ-ルを頂点とするカ-スト制度がある。

 ネパ-ル憲法条項に「国教をヒンドゥ-教、国王の国」の規定があった時代は、このヒンドゥ-教と王を国政や国民の生活に強制的に根付かせるための法整備がされていた。

 ヒンドゥ-教と結婚の関係を端的に説明すると、ヒンドゥ-教の「徳」が関係してくる。これに男尊女卑の教義が合わさり、娘の両親が神の男に善根をつむために自分の娘をお布施として捧げ嫁がせること、娘の両親にとっては徳を積むことになる。嫁ぐ徳に加えて、持参金の徳も多額に大きい程良い。お金がなければ借金をしてでも。嫁いだ後も嫁ぎ先への経済援助も徳を積むことなのだ。娘の両親にとってはヒンドゥ教の「徳を積む」ことが目的の娘の結婚なのだから、嫁ぎ先が大金持ちの家だったとしても関係のないこと。なんと、徳が途切れると、今まで積んできた徳がなくなるのだから不思議。徳がなくなるとどうなるか。ヒンドゥ-教は輪廻転生、人間に生まれ変われなくなるのだ。これはヒンドゥ-教徒にとって大変なこと。犬や猫ならまだまし、蚊やハエに生まれ変わるかもしれない。

 嫁いだ嫁ぎ先のお嫁さんは、朝起きると夫と舅の足先にひざまずいてあいさつ。食事は夫が食べ終わってから、食べ残しのある夫の食器で夫の食べ残しの食事をする。ヒンドゥ-教の男尊女卑と結婚制度をお分かりいただけただろうか。民主化が少しづつ進んで日本人から見ての改善が進んでいる。

それではネパ-ルのカ-ストとはどのようなものだったのか。

 ネパ-ルのカ-ストを説明すると少し難しくなるが、世襲的身分を共有する集団の社会的多集団(カ-スト)からなる厳格な階層性のこと。

 ネパ-ルカ-ストの最高位カ-ストはブラ-マンとネワ-ル。ブラ-マンはインド系ネパ-ル人。ネワ-ルはカトマンドゥ周辺に住むネパ-ル原住民。このブラ-マンとネワ-ルの男の純粋性を守るのがカ-スト制度の本意と云えるだろう。富と権力と名誉の全てがこの上位カ-ストに集中する。

 結婚相手を自分のカ-スト内部だけで見つけるひとつの内婚集団で、生まれつきのカ-ストは終生変わらない。そして、それぞれのカ-ストは固有の職業を持つ。

 私がヒンドゥ-教徒になりたいと思っても、父母がヒンデゥ-教徒でなければなれない仕組みで、改教ができない。父母の職業以外の職種に就くことも叶わない。これらは厳格に守らなければならず、法律で規定され罰則規定まであった。

旧ネパ-ル民法からネパ-ルの結婚を見る。

 1854年制定のネパ-ル民法では、三分の一以上が性関係の条文にあてられていた。

 カ-スト間の降下婚禁止条項など1964年までこの民法は有効だった。

 降下婚禁止とは、下位カ-ストの男性は上位カ-ストの女性と結婚できない。女が下位に下降するのを禁止していた。民法の罰則規定は男に対して「懲役4年とその後は奴隷」「死刑」などがあった。

 1990年前後からネパ-ルの民主化が進み、現在では憲法条項から「国教をヒンドゥ-教、王の国」の規定が無くなった。そして国歌が変更された。

憲法が改定され国王とヒンデゥ-教が無くなり、それにともなって民法や刑法が改定された。しかし、ネパ-ルのヒンデゥ-教はなんら変わらずに国民に根付いている。

ネパ-ルを訪れた人は経験したことがあるだろう。下位カ-ストの人を連れてレストランに入ろうとした時、その人はレストランを覗いて「入れない」と云う。レストランの中に上位カ-ストが居る場合、下位カ-ストは入れないのだ。一緒に同じ空間で食事ができない宗教なのだ。今は罰則がないが、ヒンドゥ-教は残っているからだ。

 

それではネパ-ルの民主化を、日本の外務省の掲載物から見てみて本日は終える。

1959年- 初の総選挙ネパール会議派B.P.コイララが政権をとる。封建的諸制度の改革を急速に進め、国王との間に溝ができる。

1960年- マヘンドラ国王がクーデターにより議会を解散。政治活動を禁止。全閣僚を逮捕。

1962年- 新憲法制定。政党の禁止、国王に有利な複雑な間接民主主義パンチャヤット制」、ヒンドゥー教の実質国教化など。

1990年 ネパール会議派と共産系7政党が共闘。

4月8日 ビレンドラ国王、政党党首とテレビ出演。複数政党制導入を約束。

4月16日 国王、パンチャヤット制の廃止を宣言。

11月9日 国民主権を謳った新憲法制定(1990年憲法)。

1991年5月12日 複数政党制による30年ぶりの総選挙。ネパール会議派が勝ち、ギリジャ・プラサド・コイララが首相に。

1996年 - ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)王制を打破すべく、「人民戦争」を開始。(ネパール内戦

2001年 1月 - マオイスト、正式に人民解放軍を創設。

2002年10月4日 ギャネンドラ国王はクーデターによりネパール会議派のデウバ内閣を停止、国王の親政を行う。11日、王党派のチャンドを首相に任命。

2004年6月 - 国民の声に圧されて国王は再びデウバを首相に任命。

2005年2月1日  - ギャネンドラ国王は再度議会・内閣を停止。絶対君主制を導入、非常事態宣言(実質上の戒厳令)を発令。4月末日に解除された。

12月 - 議会内の7党連合と議会外の毛沢東派が和解、共にギャネンドラ国王の独裁と闘うことで合意。

2006年4月 - 7党連合、ゼネストを呼びかけ。民主化運動ロクタントラ・アンドラン)が高まる。毛沢東派も抗議行動に参加。

5月18日 - 議会が国歌変更と政教分離ヒンドゥー教国教廃止)を満場一致で決定。

11月21日  - 政府とマオイスト、無期限停戦を誓う「包括和平協定」に調印。2007年6月までに制憲議会選挙を実施することで合意。

2007年12月27日  - 暫定議会、ネパールの政体が連邦民主共和制になる旨の暫定憲法改正案を承認。

2008年5月28日  - ネパール制憲議会が招集され、新たな政体を連邦民主共和制と宣言して正式に王制が廃止され、ギャネンドラ国王は退位した。

 6月11日  - ギャネンドラ前国王、王宮を退去。

 7月24日  ネパール外務省、各国外交団に国家の正式名称を"Federal Democratic Republic of Nepal",略称を“Republic of Nepal"とするよう要請。

 7月28日 - 日本国政府、正式にネパールの国号を「ネパール連邦民主共和国」に改める。