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ネパ-ルの売店とバザ-ル その8  バイラワの二回目

バイラワの売店とバザ-ルを観てみる

3月に訪れたバイラワの街、モンス-ンには早くまだ暑さには程遠いと思っていた。

 しかし、ここは亜熱帯気候のタライ平野。インドの国境近くで一日中熱く参ってしまった。ホテルから外出すると熱帯だ。せいぜいお昼までが行動限界時間。午後は暑さを避けてホテルに居るしかない。

 日が沈み、少し涼しくなってホテルからレストランに移動。それからが又大変なことになる。レストランに入るや否や、蚊が身体にまとわりついている。ホテルには電気蚊取り器が付いていたが、ここレストランは蚊だらけ。

蚊の多さは伝染病を思い出させてくれる。

 ネパ-ルは1940年代頃まではマラリヤの伝染病がはびこんで、肥沃なタライ平野も住民の数はわずかだつた様だ。

 1950年にネパ-ルへ入国したトニ-ハ-ゲンの著書「ネパ-ル」によると、1950年のネパ-ル人の平均寿命は何となんと26歳。それが1977年には44歳に増加した。マラリヤの予防接種がいきわたったことがうかがえる。

ネパ-ルは1949年まで鎖国状態だった。鎖国は20年間続いた。

 私がタライ平野を訪れた時と1950年ころの蚊の多さに変化はないだろうが、マラリヤの伝染病を媒体する蚊は居なくなっていた。それにしてもレストランの椅子に座った足元にうようよする蚊には閉口した。

 ちなみに、ネパ-ルの経済情況を児童の就学率から視てみると、1950年は学齢期児童の小学校就学率0.7%。千人に7人しか小学校に行かなかったのだ。993人は貧しくて学校にも行かず、家の仕事に従事していた。1972年にはなんと一気に34%に増加した。それでも二人に一人にもならない。

 文盲率で視ると、1950年が95.6%が1970年になっても89%と高い文盲率のままだった。学校に行けない国民の経済状態が分かる。

 現在のネパ-ルの児童の就学情況は改善されていて、田舎でも制服を着て小学校へ通う姿が見られる。現在の大人の文盲率は高いのだろうが、若者達が英語を日常的に話すのは驚きだ。

だが蚊の多さに見られるように、残念ながら現在のネパ-ルの衛生状態にはガッカリ、残念。

 

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