ネパ-ルの世界遺産 エベレスト その2

 前回は「ネパ-ルの世界遺産 サガルマ-タエリア」として掲載しましたが、サガルマ-タではピンとこないので、今回から誰でも判る「エベレスト」名としたい。

 ネパ-ルの世界遺産エベレストエリアは国立公園と重複する地域になっている。その玄関口がルクラである。カトマンドゥのトリブバンエア-ポトから双発プロペラ機で飛び立つと、約35分で到着するのがルクラ飛行場。現在はエベレストの玄関口にふさわしい名称で、テンジン・ヒラリ-飛行場と云う。ヒラリ-とテンジンは知らない人はいないと思うが、エベレスト初登頂者で、63年前の1953年5月29日に南東稜から挑んで登頂したお二人の名前を付けた飛行場。

 イギリスのエベレスト登山隊から選ばれたニュ-ジ-ランドのエドモンド・ヒラリ-とネパ-ルの高所ガイド頭サ-ダ-のテンジン・ノルゲイがエベレストの初登頂者だ。お二人、どちらが最初にエベレストのテッペンを踏んだか明らかにしていない。二人が同時に「いちにのさん」で頂上を踏むわけがないのに、お二人とも真実を語ることなく天国に行ってしまった。

 このルクラ飛行場の町、世界遺産のエリアの外、手前になる。私が1980年代初めに飛行機から降り立ったときは、数軒の農家兼業のバティがあるだけだった。バティはレストラン兼宿屋。食堂の大きなテ-ブルに座ると、その長椅子のふたをめくると、なかには小さなジャガイモがびっしりと入っていた。このジャガイモ、今でもルクラの好産物になっていて、味が抜群これがジャガイモと濃い味だ。ただ塩茹でするだけで良い。飛行場の周りには今でも一家で畑を耕す様子が見られる。

 現在のルクラ町、次の町に向けて道の両側にバティとお土産物屋が列を連ねている。ヒマラヤのトレッキングコ-スで一番賑わう街道になった。一番の賑わいだから、トレッカ-とポ-タ-の需給が壊れて、ネパ-ルで一番お金のかかるル-トだ。

 エベレスト街道のある地域はク-ンブヒマラヤという。ここルクラは世界遺産の入口のまだまだ手前で、朝6時30分くらいからカトマンドゥを飛び立ち、7時・8時にはルクラに着いてしまうので、ここで泊まるトレッカ-は少ない。着陸してチャイなど飲みまず一服するが、ほとんどのトレッカ-は、ここから2・3時間歩く次の町へ出発する。帰路には朝一番のフライト待ちのため、ほとんど必ずこの町のバティで一泊する。

 この飛行場、世界でも有数の危険な飛行場。なにせ狭い山肌に短い滑走路があるだけ。川伝いに飛んで来た飛行機は、90度旋回して短い滑走路に着陸する。滑走路は上り坂になっていて、急ブレ-キ。搭乗するお客は全員その危険さを知っているので、止まると同時に拍手喝采になる。

 飛び立つ時は、ブレ-キを掛けたままエンジンを吹かし、ブレ-キを解除して一気に駆け下って飛び立つ。1980年代には滑走路脇に着陸失敗の残骸が置かれていた。

 滑走路は相当以前からアスファルトだが、1980年代はまだ砂利道だった。この飛行場、1982年11月私達ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰初登頂してルクラに戻り、隣の山キャリオルン峰の兵庫隊とソフトボ-ル試合を行った。坂道の飛行場なので、球を下り坂方向に打つとアウトになった。取りに行くのは大変だ。

 このルクラの町、標高は2840m。高度に弱い私は、飛行機から降り立つといつの間にか頭が重たい。風邪の症状だが、これが高度障害。高度順応を上手に行わないと高山病だ。私はヒマラヤに入るといつも4千m前後のクリア-に苦労する。登山隊で入山する時は他の隊員から2・3日遅れてベ-スキャンプ入りするのが常だった。

 次回はいよいよ世界遺産地域に入る。チェックポストのあるモンジヨ Monjo2835mからだ。

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ルクラで 一家で畑仕事 左下の若い女性の背の箱にあかちゃんが

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