ティハ-ル祭の第4弾
弾というほどでもないが。
ネワ-ル族のティハ-ルのプジャに誘われた。
元の大家さんのツゥルシ-さんから電話。明日の昼ごろ私の家に来れますか、とのお誘い。
来れますかといっても隣の家。それもビスタリ・カトマンドゥの精神で暮らしていることを承知のツゥルシ-さんがである。ビスタリはゆっくり・ゆったりの意味。勿論行く々とふたつ返事。だが肝心の本人は妹からティカをしてもらいにポカラに居るというではないか。
ポカラはここカトマンドゥの西北200km。私がカトマンドゥ暮らしに飽きたら、チョット遊びに行く町。街のどこからも見上げるとアンナプルナヒマ-ルのパノラマが広がっている。白い尖峰のアンナプルナサウス7219mからヒルンチュリ・マチャプチャレ6993m・アンナⅢ峰7555m・アンナⅣ峰7525m・アンナⅡ峰7937M・ラムジュンヒマ-ル6986mと続く。街から毎日飽きるほど観られる。カトマンドゥからも乾季にはフラットの屋上からヒマールなど毎日見られる。ネパ-ルに住む一番の理由はこれ。
元大家さんはネワ-ル族。話す言語が異なると違う民族なら、ネパ-ルは百くらいの民族の集合国。ネワ-ル族は現在のカトマンドゥとその周辺に元々から多く住む民族。
インド系のヒンドゥ教を持ち込んだ民族とは異なり、現住民と云える。
ヒンドゥ-教を持ち込んだインド系ネパ-ル人ブラ-マンと共にカーストの最上級に位置した。カーストを話すときりがないが、この最高位カ-ストの純粋性の為に全ての決まりごとがある世襲制の階層社会制度と云える。それも男の為だけ。そうヒンドゥ-教は世襲制で誰でもが改宗できないところにカーストの根深さがある。
先日ライ族の友人から、震災後の世界遺産修復に従事する人たちが全員ネワ-ル族なのはどうしてか、と尋ねられ。自分の国の歴史を学習していないのかと驚いたが、数世紀前から現在のカトマンドゥ盆地内の世界遺産を作ったのは全てネワ-ル族。金細工から銀細工・建築・木工などのほとんどがそうだ。地震のたびに国連の援助で修復するが、海外の修復師と共に活躍するのは現在もネワ-ル族。ネパ-ル人が外国人にこんなことを聞くなよな、と思う。
ティハ-ル祭のプジャ。
ティカの儀式を写真で紹介する。
普通は年下の女性が歳上の男性にプジャするが、今日はツゥルシ-家の一番年下の小中学校5年制シダンタ君が居るので、この仕来たり通りにはできなかった。
ツゥルシ-邸の一階のフラットに住む国際の銀行カトマンドゥ支店に勤務するナタリアさんもネパ-ル衣装の正装で同席する。
まずは線香を焚きお祈り
次いで聖水と花をマンダラに降りかけお祈り
糸を編んだものを首にかける(名前不明)
花輪を首にかける
赤色のティカ
4灯明を灯す
花を何回も頭の上へかける
七色のティカ
贈り物
そして最後にテイカをしてもらう人がご祝儀を返す
およばれのナタリアさんも七色のティカ