昨日はティカの日

 ネパ-ルのダサイン大祭が10月1日から始まった。8日から本格的な行事が繰り広け゛られる。日本のお正月とお盆が一緒にくるみたいなものだ。その中でも最重要な日、ティカの日が11日。田舎のある人は田舎に帰り、カトマンドゥから外に出ている人は帰って来る。

 10日の夕方、D・Bさんから電話。バラサ-ブわたしは少し遠慮して云うんだけれど、明日私の家に親戚が集まってティカなので、暇なら来ませんか。とお誘いだった。ティハ-ルのお祭りには儀式を見たことがあるが、ダサインのティカを見てみたい。これ幸いと行く々と返事。

 D・Bさんの家には私とD・Bさんのお兄さん夫婦、妹一家とD・Bさんの家族3名の総勢9名が集う。ティカの儀式のティカはヒンデゥ-教徒が額を赤くしているのを見かける、あれである。9年もネパ-ルて過ごしている私にも知らないことが多くある。赤いのがティカとばかり思っていたが、じつは白も良いのだそうだ。この日は米を炊いたご飯に赤色を付けて、それを額に付(着)けるのだけれど、赤色を付けなくとも良いのだそうだ。D・Bさんの説明では要するに好みの問題。モンゴロイド系が昔、いろを付けずにごはんをそのまま額に付けていた。D・Bさん親戚一同は色を付けずに行っていた。では誰が誰に付けるのか。これも誰でも良いのた。ただし異性でも同姓でも良い。この日は一番の長老が誰か、から始まった。一番の長老が付ける側に回り、自分は付けてもらわないのだ。勿論私が最年長だから付けまくるだけの係になるはずだが、そこは家族や親戚一同の輪を乱す訳にはいかない。私が自ら願い出て辞退するしかない。D・Bさんのお兄さんが付ける側以外は、男女入り乱れてのティカの儀式が始まった。

まず男女二人が儀式用のカ-ペットに胡座をかいて坐り、男性がごはんのティカを額に付ける。その後にご祝儀が渡される。封筒に幾らかRSルピ-が入ったものを手渡す。儀式だから両手で封筒を持ち、拝みながら渡す。渡される側も丁寧にお辞儀をしながら額の前で受け取る。このご祝儀はティハ-ルのお祭りのとは逆になっていた。ティハ-ル祭の時には年下の女性が歳上の男性にティカを付けるだけの儀式で、付けてもらった男が年下の女性の足元に頭を垂れて祝儀を渡すのである。今日は最後にティカにした米を頭の上からぽろぽろと拝みながらかける。かけられる側も神妙にである。

これらのことが入り乱れながら、それも楽しそうに顔は常に笑顔だ。写真を撮っても良いかと聞いたが、初めから皆お互いに写真を取り合いながらなのだ。楽しそうに顔は常に笑顔なのはお祭りなのであたりまえか。ティハ-ルのティカの儀式の時に、私もテイカを付けてもらったことがあるが、その時のティカの色も違うしやり方も異なった。今日は楽しいお祭りなのだ。

 ここで、D・Bさん一家は4人家族なのでオ-ストラリアのサロジャさんをスマ-トホ-ンで呼び出してのティカの儀式も始まった。オ-ストラリアでは儀式用の植物も買いそろえて行っていた。夫と二人の儀式だ。私とサロジャ・スェタ-姉妹とは9年も付き合っているので、スマ-トホ-ンで私の顔を見て、なぜティカが付いていないのか不思議だと応答がある。この二人の姉妹は、9年前には母親が経営するセパレ-ツ・チョイス・キッチン名のレストランでモモ(ギョウザ)作りを小さな子供二人が手伝っていたのだ。

 儀式が無事終了し、宴会だ。これが男尊女卑の典型で、男だけが飲み食いする。男の飲み食いが終わって、初めて女性が残り物を食べるのだ。ヒンデゥ-だからなおさらなのだ。日本人の私には理解ができない。最初に酒けとつまみ。次いでダルバ-ト。

 この日記の最初にD・Bさんが私のことをバラサ-ブと呼んでいた。バラサ-ブはネパ-ル語で親方や大将と云い、登山隊の隊長などに使う。いつもD・Bさんには、私はバラサ-ブでない小山だ、と云っているのだが、この頃はどうも私のことを呼ぶ呼び方が定着し通称名・ニックネ-ム名のバラサ-ブになってしまった様だ。

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