koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第148回  カトマンドゥ市内の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十八回目 

10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔

その第18回 メイピ-寺院の五回目

 

 わたしが、ネパ-ルで2013年と2018年に過ごしたカトマンドゥ市内メイピ-地区。

 そこの、私の生活していた借家から徒歩3分の場所にある寺院の写真、5回目。

 この寺院は、たぶんヒンドゥ-教の神様に因んだ名称のテンプルだが、名前が分からないのでメイピ-寺院と勝手につけた。

 寺院は、標高50mの丘の上に建つ。頂上の寺院への階段は、南側と西側の二か所から上がる。周りがレンガ造りの塀に囲まれ、一周の道路では、毎日ウオ-キングする住民の姿が観られる

 

メイピ-寺院の五回目

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この寺院がシヴァ神を祀っているのであれば、その妻パ-ルヴァティ女神の石細工

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寺院建設の云われを綴ったものか

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シヴァ神とパ-ルヴァティ女神の息子ガネ-シャ神

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ネパ-ルの国旗に使われている月と太陽

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第147回  カトマンドゥ市内の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十七回目 

10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔

その第18回 メイピ-寺院の四回目

 

 この寺院名は不明。たぶんヒンドゥ-教神様に因んだ名称なのだろうけれど、分からないので、わたしが勝手に地区名のメイピ-寺院と名づけた。写真を見てみる。

 前々回に触れた、この寺院の参道にチベット仏教のタルチョ-が飾れていることで、神仏習合と説明した。神様を祀るヒンドゥ教寺院に、チベツト仏教が仲良くしている様子を神仏習合と称した。

 

 それでは、日本の神仏習合はいかに。

 なるべく史実を辿って、NHKのテレビ番組からみてみよう。

日本の神仏習合

 我が国日本の古代歴は、それが文字になっていたり建物や仏像など、ほとんどの史実になるものがない。

 日本書紀によれば、6世紀552年に仏教伝来。

 欽明天皇時代、中国クララから仏像を持ち帰る。仏教は、日本の地方豪族たちの新しい文化として、異国の仏教伝来を豪族達が喜ぶ。

 多度神宮寺資財帳によれば、日本書紀から200年の8世紀奈良時代。西暦763年天平宝字7年、伊勢国の多度大社における神のお告げが書かれている。それによれば、神が巫女(みこ)に乗り移り、「神も仏と同様につらい」と人々のつらさを解放するため、神が仏の姿で現れ。神が仏教に帰依、神の身を離れて仏になる。

寺院分布

 日本の各地に寺院が建設される。最初は、クララから仏教伝来後の200年後から地方豪族に仏教が広まり、7世紀前半に近畿周辺に寺院が建設。7世紀後半以降、四国・九州・東北にまで寺院が広がる。8世紀前半には、文明開化の様に東北地方まで寺院が広まる。

 平安初期、中国唐の国では、道教の神と仏の神仏習合が進んでいた。そのころ、日本では僧と地方豪族が仏教を取り入れ始め、仏教が広がる。

 奈良の東大寺大仏建立。聖武天皇の大仏建設に、地方の神様・八幡さまが協力。西暦748年太平20年、豊前国の宇佐が金を発見し発掘。仏像造りの金とする。

 八幡神奈良の大仏を拝むようになる。西暦752年、大仏開眼。大仏の守り神として、八幡神が招かれる。

 奈良の薬師寺にも八幡神が招かれる。

日本の神仏習合とは

 神が仏教に帰依する。仏を守る守り神としての神。地方の豪族が建立する寺院や寺院内の仏があり、その豪族たちが大陸から朝鮮経由で仏を守る神様の宮や神像を寄進するようになる。

 寺院(寺)の守り神としての休ケ岡八幡宮(やすみがおか)に、僧形八幡神像(もうみょう)が安置されている。目に見えなかった神が、僧の姿の仏像の木像となる。

 密教の最高の仏は大日如来で、天照大神を指す。大日如来が日本の人々を救うために、天照大神に変身して日本に現れた、とされる。その証拠に、大神宮御正体厨子の箱の中には曼荼羅絵がある。これこそが天照大神の御正体。曼荼羅絵の真ん中に描かれているのは、大日如来(だいにちにょらい)。曼荼羅の裏側には、天照大神御神体の鏡がある。それまでの神社や仏像を守る神の存在から一歩進み、「神仏習合」から、なんと表裏一体の「神仏」にまで進む。

神仏分離

 我が国日本の神仏習合は、8世紀の地方豪族達の寺院や仏像を守る神、として全国に広まった。ようするに、仏様と神様が仲良くする時代が続いた。

 それが、明治維新後の男の一人の天皇が、神事を経て神に昇天したと同時に、それまで神が守っていた全国の仏様の徹底的な破壊が始まった。信仰としての神仏習合は、一人の天皇の出現存在で、信仰破壊へと進むのである。

 1868年3月28日、神仏分離令明治維新後の王政復古により、天皇中心の天皇家理想の政治が復活。今から151年前、明治維新政府は、神仏習合禁止の神仏分離令を発布。天皇中心の国家神道国となり、事実上の天皇絶対政治となる。

 1889年2月11日、大日本帝国憲法公布。男の天皇一人を唯一の主権者とする。天皇制を守るため、国民罰則規定の法律制定が進み、男の天皇の法規定が、全国隅々までの男尊女卑を推し進めることにもなる。

 

メイピ-・テンプル

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レンガ積みのドアと窓枠が木彫刻の典型的な、ネパ-ルのネワ-ル族寺院建築文化

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寺院入口

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ヒンドゥ-教徒の女性信者、寺院内の清掃

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寺院横の別棟寺院

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ヒンドゥ-教の三大神だろうか

シヴァ神

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第146回  カトマンドゥ市内の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十六回目 

10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔

その第18回 メイピ-寺院の三回目

 

 わたしがネパ-ル生活をしてた地域の寺院の写真、三回目。たぶん、寺院名はヒンドゥ-教神様に因んだ名称なのだろう。分からないので、わたしが勝手に地区名のメイピ-寺院と名づけた。

 前回も触れたが、この寺院の参道にチベット仏教のタルチョ-が飾れていることで、神仏習合と説明した。このことでわたしが勝手に、神様を祀るヒンドゥ教寺院に、チベツト仏教が仲良くしている様子を神仏習合と称した。

 我が国日本の神仏習合はどうだったのか。NHKの番組から少し調べてみた。

 現在の日本で、神様と仏様がなかよくする神仏習合を見かける場所はない。それは、明治維新後の1868年3月28日に神仏分離令が公布され、神や神社以外の信仰対象物の破壊が始まった時から、今日まで続いているから。

 何故、神仏習合の復興がなされないのだろう。私なりに考えてみた。

 1945年8月15日の第二次大戦敗戦で新憲法が施行されたが、天皇章条項は残った。

 明治維新神仏習合の廃止令である神仏分離令後、日本の男の天皇が神事を通して神になった。そのことが、昭和の新憲法下でも脈々として続けられ、天皇の国事行為が禁止させられても、神として変わらない地位にあるから。神でない皇太子も、代替わりの時に、全額国費の神事で神になる。

 ようするに、一人の男の神がいる限り、その一人以外のすべての国民は神に仕える民になる、というプロセスが日本の法律で規定されている。

 敗戦後の新憲法以前は、天皇や国旗国歌への反対反逆罪の罰則があった。今は、この罰則が無くなったが一部復活しようとしているし、実は神に反逆する社会的制裁は存在する、とわたしは考えている。第二次大戦で「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった市民や兵隊がいたのは、法律でなく「社会」だった。現在も一般市民は、天皇の前で「万歳」が日常。

 わたしは、一人の男の天皇が日本国で生活するのに反対している訳ではない。しかし、国や国民の象徴天皇が、日本の法律や国民の税金を使って「神」になるのは、どうなのだろう。このままでは、再び日本の神仏習合の復興を願うわたしの希望は、叶えられそうにはない。

 また、話が横道を歩き出してしまった。NHKの番組から少し調べて、「我が国日本の神仏習合はどうだったのか」は次回とする。

 

メイピ-・テンプルの三回目

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標高100m丘の上の寺院を取り巻く塀の西側(南口もある)

第一の門

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第一の門を入ると、象さんの石造りガネ-シャ神と寺院を守る獅子

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西側の第一の門を入ると

ヒンドゥ-教の三大神の一人シヴァ神の乗り物の牡牛ナンディ-と神の象徴のシヴァリンガ

信者が熱心にリンガに聖水をかけ、お祈り

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50m上の寺院へ続く石造りの階段

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ヒンドゥ-教寺院内にチベット仏教の五色タルチョ-

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階段を登ると、西側第二の門

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メイピ-・テンプル

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寺院の外壁に石彫刻

シヴァ神の息子のガネ-シャ神

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寺院の横にも、ヒンドゥ-教の三大神の一人シヴァ神の乗り物の牡牛ナンディ-と神の象徴のシヴァリンガ

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カトマンドゥ中心街地図の左上が、寺院のあるメイピ-地区

わたしが2013年と2018年に暮らしていた町

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第145回  カトマンドゥ市内の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十五回目 

10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔

その第17回 メイピ-寺院の二回目

 

 前回から、わたしが2013年と2018年に借家生活をした、メイピ-地区にある寺院の写真を見てる。

その二回目。

 前回、この寺院には、ヒンドゥ-教寺院の参道にチベット仏教のタルチョ-が飾れていることで、神仏習合と説明した。

ネパ-ルの神仏習合

 神仏習合は神様と仏様が仲良くすること。なのに、寺院と仏教では神仏にならないのでは、との疑問が浮かぶ。そうではないことを説明しなければ、と考えた。

 ネパ-ルやインドのヒンドゥ-教のテンプルは、通常「寺院」と書く。ゆえに日本の仏様を祀るね寺院の仏教を思うかもしれないが、違う。ヒンドゥ-教の寺院は、そこに祀っているのは仏様ではなく、全て神さま。ヒンドゥ-教は、仏教のように思えるが、実は寺院には神様を祀る、日本の神社に匹敵する。ゆえに、ネパ-ルでは、ヒンドゥ-教の神や寺院とチベット仏教僧院や仏像やタルチョ-が一緒になっていて、神仏習合なのだ。

 ネパ-ルのヒンドゥ-教を仏教の一つ、と思う人がいるかもしれない、が、わたしは神を祀っているのだから、日本の仏教とは違うと考える。

 ちなみに、ヒンドゥ-教の神は何人いるのか。インド神話には45人もの神様が出てくるらしい。

 日本の神仏習合の歴史については、次回にでも、少し触れたい。

 

メイピ-寺院の写真二回目

標高50mの丘の上に登る途中の階段にある石彫刻仏塔

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メイピ-寺院南門

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寺院側からレンガ積みの南門

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南側から登ると、西門と寺院が

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テンプルの四隅を獅子が守る

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テンプル入口にも2体の獅子

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寺院入口脇の金属旗と鐘

ヒンドゥ-教寺院に観られる

ネパ-ル国旗の原形と云われる

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レンガ積み寺院の入口は木彫刻

入り口彫刻の上部はト-ラナ

入り口の扉や窓の上に飾られ、仏像や神・獣が刻まれている扇型の半円形の木板や金属。神と仏が中央に彫刻されている。

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石細工の夫婦神

コブラが後ろから守っている

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第144回  カトマンドゥ市内の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十四回目 

10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔

その第16回 メイピ-寺院

 15回を、カトマンドゥのタメ-ル地区から旧王宮広場間にある、寺院と仏塔の写真を見た。

 今回から、わたしが2013年と2018年に暮らした地域、メイピ-地区にある寺院の写真を見てみる。

 わたしがネパ-ルで生活し始めたのが12年前、2007年のポストモンス-ン季から。最初の6年間は、ラジンパット地区だった。その後タメ-ル地区の北側の町のメイピ-地区とタメ-ル地区を行ったり来たり。

 その間、3軒の借家に住んだ。

 今回の寺院は、わたしが住んでいたメイピ-地区の、借家から徒歩で3分の標高50m程の、竹林のある丘の上に立つ寺院。寺院の名称は分からないので、わたしが勝手にメイピ-寺院とした。

 メイピ-寺院はヒンドゥ-教寺院。その作りはレンガ積みと木彫刻の典型的なネワ-ル建築文化の造り。丘の上50m上に上がる階段脇には、チベット仏教のチョルテンが飾ってあって、神の寺院と仏教の神仏習合が見られる。日本人には聞きなれない言葉の神仏習合、日本も明治維新以前は神と仏が仲良くしていた。明治になり侍から天皇が権力者に代わり、男の天皇が神事を行うことで、神の天皇以外の日本人全てが、神に仕える奴隷的身分に変化、とわたしは考えるのだが。

 天皇が神事を行うことで、それまで仲良かった神と仏、神社と寺院の関係が天と地の差位に変化。

我が国日本の神仏習合の歴史と事実

 1868年3月28日、日本の神仏分離令公布。

 明治維新後の王政復古により、天皇中心の天皇家理想の政治が復活。今から150年前、明治維新政府は、神仏習合禁止の神仏分離令を発布。

 天皇中心の国家神道国となり、事実上の天皇絶対政治が始まる。男のただ一人の天皇が君臨する絶対国家の誕生だった。男しか天皇になれない法律や天皇の君臨を妨げる行為の罰則規定法律の整備が進む。     

1945年8月15日の第二次大戦敗戦まで続き、仏教・寺院・仏像・経典など、全ての仏教が最上位の神社や神と切り離される。神仏分離令を発布の三日後からは、神社にあった仏像やお経を放擲(ほうてき)放り投げ、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)焼き捨てられた。全国の路上などにあった仏像など、徹底的に壊された。天皇神の復活の美しい古代信仰のために、神輿からは仏教色排除され、いたる所の仏像の首が切られ、顔がはぎ取られた。

 わたしが見た訳でないので、史実を辿ってみた。

 神仏習合が壊され仏様の虐待が進んだだけでない、それだけでは済まなかった。男の天皇が神になったと同時に、日本の隅々まで、男尊女卑が瞬く間に進んだ。江戸時代に育まれた男女同権社会の終焉。

 1945年8月15日の第二次大戦敗戦後、日本国憲法で絶対権力者の天皇がなくなった、が、神仏習合廃止例の廃止がなく、相変わらず天皇は神事を国税で行っている。我が国日本の男尊女卑は相変わらず、国内隅々まで浸透して、世界的にも稀に著しくその歴史が継続されている。

 話がネパ-ルの宗教の、神と仏の仲良し神仏習合が、我が国日本の情況に、話が横道を歩き出してしまった。元に戻してネパ-ル寺院の写真。

 

メイピ-寺院

私の借家から徒歩3分

竹林のある50mの丘、ぐるっと一周りの道路、健康に一回り歩く人・走る人

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一周りのレンガ積み塀

寺院への階段前の入り口は南側と西側に二か所

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階段の上部には、チベット仏教のチョルテン

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階段を上ると寺院前の門

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高校生の学校帰り、寺院はデ-トスポツト

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私の借家と寺院間は生徒の通学路

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第143回  カトマンドゥ市内の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十三回目 

10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔

その第15回

 前々回から、カトマンドゥ中心街の南北に走る道路、カンティ・バト通りとダルバ-ル・マルク通りに沿ってある寺院と仏塔の写真を見た。

 今回も、カンティ・バト通りにある、王宮広場に行く道ニュ-ロ-ド入り口から北方向に、歩くこと300mにあるマハボ-ダ・ストゥパ-の写真。

 カンティ・バト通りからT字路を100m奥の突き当りにある目玉仏塔。

 ネパ-ルでは仏塔ののことをストゥ-パと呼ぶ。わたしは、「ストゥ-パ」とは呼びづらいので、勝手に「ストゥパ-」と呼んでいる。

 次回は、たぶん、わたしが2013年と2018年に住んでいた、カトマンドゥの中心街にあるメイピ-地区にあるテンプルの写真。

 

マハボ-ダ・ストゥパ-

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第142回  カトマンドゥ市内の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十二回目 

10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔

その第14回

 前回から、カトマンドゥ中心街の南北に走る道路、カンティ・バト通りとダルバ-ル・マルク通りに沿ってある寺院と仏塔の一回目の写真を見た。

 カンティ・バト通りとダルバ-ル・マルク通りは南北に、カンティ・バト通りが北に向かう一方通行4車線道路。ダルバ-ル・マルク通りが南に向かう一方通行4車線道路。

 今回は、カンティ・バト通りにあるマハンカル寺院の写真を見てみる。

 マハンカル寺院は周りを普通の家に囲まれて、寺院全体の写真を撮れない。

 

マハンカル寺院 Mahankal Mandir

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カンティ・バト通りから王宮広場に向かうニュ-ロ-ドの入口

マハンカル寺院は、この通り入口の道路を挟んだ向かい側

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ヒンドゥ-教寺院の入口を2体の獅子が守っている

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周りを普通の家に囲まれたマハンカル寺院

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