ネパ-ル生活2018年、楽しいネパ-ル暮らし
その15回目 ネパ-ルの結婚式の五回目 ポカラの結婚披露宴・祝賀会
ネパ-ル滞在日記11・12・13回とネパ-ルの結婚式の写真を見た。
前回は新婦宅の結婚式を終え、場所をカトマンドゥ市内のホテルに移して第一回目の披露宴・祝賀会。
今回は月をまたいで、カトマンドゥから、新郎の居住地のポカラで、第2回目の披露宴・祝賀会。ポカラ市は、人口ではネパ-ル第二位の都市。以前はお釈迦様の生誕地近くのルンビニが人口二位だったが、1970年にカトマンドゥ――ポカラ間のトリブバンハイウエ-の完成と、登山やトレッキングなどのネパ-ル観光が盛んになり、人口が増加した。
ネパ-ルは1950年に鎖国を解き開国。1970年代くらいまでは、国王はもとより政府や国会議員間に観光の概念も無かった。今ではトレッキングガイドや高所ガイドなど、シェルパ族中心にネパ-ル観光の中心を形成している。
1953年にネパ-ル側からエベレスト登頂されても、多くのガイド達はインドのダ-ジリンのガイド組合に属していた。1920年に始まったイギリスのエベレイト遠征は、チベット側からのアタックに終始していたくらいだ
ネパ-ルの人口からネパ-ル観光に、話が横道を歩き出したので、元にもどそう。
ネパ-ルの大金持ちの息子さんの結婚披露宴
カトマンドゥの披露宴・祝賀会から、場所をポカラに移しての二回目の披露宴・祝賀会。
招待客1,500人と、プラスそばを歩いてる人、の祝賀会。
会場はホ-ムセンタ-の住宅建物見本会場。朝からホテルのコックさんやら、大勢の準備の人達が会場づくり。お昼頃には、オ-ドブルやダルバ-トなどの煮炊きが始まる。ショ-トケ-キ数種類が並び、お酒はウイスキ-。皿やコップ・スプ-ンにフオ-クなどの食器。
わたしは早い時間から写真撮影を開始。
会場づくりから 何日も前から準備は始まっていたのだろう
ウイスキ-飲み場
夕食コ-ナ-とバ-コ-ナ-はあちら
ホ-ムセンタ-の全域で
新郎のお父さん、大張り切り
新郎のお爺ちゃんも
午後から煮炊きが始まる
新郎のお父さん、諸々の業者等々と打ち合わせ
午後4時、ひな壇にいよいよ花嫁花婿のお出まし
ポカラの披露宴・祝賀会の二回目は次回につづく