koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第109回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百九回目

カトマンドゥ市内のボダナ-ト仏塔

ボダナ-ト・ストゥパ-Boudhanath その五回目

 

 前回は、ボダナ-トが寺院でなく仏塔(ストゥパ-)なので、ストゥパ-について説明してみた。普通にはストゥ-パと発音しているが、わたしは言いやすくしゃべり易いストゥパ-を使用している。

 今回は、ボダナ-トは世界文化遺産登録されていること。この世界文化遺産登録について少し説明してみたい。

 ボダナ-トは、1979年に国際連合ユネスコ(世界文化教育機関)の世界文化遺産に登録されている。登録以降、その管理体制が正常でなく危機遺産の指定を経て、世界の文化修復維持の援助で危機遺産解除された。

 ボダナ-トは、2015年4月25日のネパ-ル大地震で上部が壊れた。早速、チベット仏教徒はじめ多くの支援で修理修繕作業で2017年に、修理完了したらしい。

わたしは、2016年9月に訪れ、改修作業真っ最中のボダナ-トを見た。

 

ボダナ-トの世界文化遺産登録

 国際連合ユネスコに登録されたのは1979年。カトマンドゥ盆地の7ケ所の一つとして登録。この時一緒に世界自然遺産のサガルマ-タ国立公園エリアと同時に二か所が登録された。ネパ-ル語のサガルマ-タはエベレストのこと。

 ネパ-ルには、前記の二か所の他に、1984年に世界自然遺産チトワン国立公園エリア、1997年に世界文化遺産のブッタ仏陀の生誕地ルンビニが登録されている。

 ネパ-ルには、世界自然遺産が二か所、そして文化遺産が二か所の四か所の世界遺産がある。

 ちなみに、2008年にネパ-ル議会が王政廃止決議して、国名がロ-ヤル・ネパ-ルからネパ-ル民主共和国に変わった。それで、世界遺産もロ-ヤルの冠が外されている。例えば正式名称がロ-ヤル・チトワン世界文化遺産だったのが、チトワン世界文化遺産に。

 ボダナ-トのユネスコへの登録申請は、他の六ヶ所と同時にカトマンドゥ盆地として、ネパ-ル政府がカトマンドゥ周辺の自然の景観を含めた自然遺産と文化遺産の混合遺産であった。が、ユネスコは自然景観を抜きにした文化遺産のみの登録を承認している。

 

ネパ-ルの世界遺産

ネパ-ルの世界遺産は全国に四か所。その内二か所が自然遺産で、他の二か所が文化遺産

世界自然遺産 1.サガルマータ国立公園सगरमाथा

世界自然遺産 2.チトワン国立公園चितवन राष्ट्रिय निकुञ्ज

世界文化遺産 1.ルンビニलुम्बिनी

世界文化遺産 2.カトマンドゥ盆地の七ケ所काठमाडौं उपत्यका

  • パシュパティナート寺院広場 Pashupatinath (Temple of livingbeings)
  • ハヌマン・ドカ(猿神と門=カトマンズ旧王宮広場)Hanuman Dhoka
  • パタン旧王宮広場
  • バクタプール旧王宮広場
  • スワヤンブナート仏塔
  • ボダナート仏塔
  • チャングナラヤン寺院

①~⑦は全てカトマンドウ盆地内にあり、盆地内にまとまってこれだけ沢山の世界文化遺産があるのは世界でもネパールだけ。と珍しい。

 

ちなみに、カトマンドゥ盆地の説明

 カトマンドゥ盆地は、ネパ-ルの首都カトマンドゥ市を中心に、周りを小高い山々に囲まれた、ネパ-ルのほぼ中央に位置する標高1350m、東西約25km、南北約19km。

かっては栄光の都(Kantipur)と呼ばれていた。

 

世界文化遺産危機遺産と登録継続

 修復文化遺産の登録継続は、1996年国際連合ユネスコガイドラインの変更が行われ、これまで文化遺産を修復再建した場合は登録が取り消されていたが、修復建造物も登録が継続されるようになった。

 2003年~2007年の一時期は、急激な都市化と文化遺産の維持管理体制不備などにより、世界文化遺産危機遺産の指定を受けていた。

 

世界文化遺産の概観と定義

 世界文化遺産定義は、顕著な普遍的価値(OUV :Outstanding Universal Value)」を有する記念工作物や建造物群、遺跡など。

 世界自然遺産の定義は、顕著な普遍的価値(OUV)を有する地形や地質、絶滅危惧種や固有種の生息域・自生地など。

 

ユネスコ世界遺産登録手続き

 世界遺産登録はどのようなものか、又どのような手続きで登録されるのかを見てみる。

 世界遺産は、1972年の第17回ユネスコ総会で採択され、1975年に世界遺産条約が発効。

世界遺産条約は、正式には「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」。

 文化遺産や自然遺産を人類全体のための遺産として損傷、破壊などの脅威から保護・保存していくために、国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的とした条約。

日本はこの条約を1992年に締結・国会で批准。

 

 世界文化遺産登録の具体的な手続は、世界遺産条約履行のための作業指針で定められている全10項目からなる登録基準(評価基準)のうち、1~6の登録基準の1つ以上を満たすことが条件。ただし、1996年以降は登録基準「6」単独での登録は認められていない。

世界文化遺産登録基準(評価基準)

1.人類の創造的資質を示す傑作。

2.建築や技術、記念碑、都市計画・景観設計の発展において、ある期間または世界の文化圏内での価値観の交流を示すもの。

3.現存する、あるいは消滅した文化的伝統、文明の存在に関する独特な証拠を伝えるもの。

4.人類の歴史上の重要な段階を示す建築様式、建築・科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本。

5.ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落や土地・海上利用の顕著な見本。もしくは、危機に晒されている、人類と環境の交流を示すもの。

6.顕著な普遍的価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的・文化的作品と直接または実質的関連があるもの。

 

 世界自然遺産登録登録の手続は、全10項目からなる登録基準(評価基準)のうち、7~10の1つ以上を満たすことが条件となる。

世界自然遺産登録基準(評価基準)

7.ひときわ優れた自然美・美的価値を持つ類まれな自然現象や地域。

8.生命の進化の記録や地形形成における重要な地質学的過程、または地形学・自然地理学的特徴といった、地球の歴史の主要段階を示す顕著な見本。

9.陸上・淡水域、沿岸、海洋の生態系、また動植物群集の進化、発展において重要な進行中の生態学的・生物学的過程を代表する顕著な見本。

10.絶滅の恐れのある学術上・保全上顕著な普遍的価値をもつ野生種の生息域を含んだ生物多様性保全のために最も重要な自然生息域。

 

世界遺産リスト

世界遺産リストは、2017年現在、1073件が登録されている。

世界遺産条約の締約国は193ケ国で、その中で、国内に世界遺産保有する国は165ケ国。

世界遺産の種類とその数

文化遺産832ケ所

自然遺産206ケ所

複合遺産35ケ所・自然と文化の両方

危機遺産54ケ所

登録抹消遺産2ケ所

 

参考資料

在ネパ-ル日本大使館ホ-ムペ-ジ

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

ネパ-ル 地球の歩き方

カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

ネパ-ルの秘境ムスタンへの旅 ジュゼッペ・トゥッチ

ネパ-ル アジア読本 

NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局

 

ボダナ-ト・ストゥパ-Boudhanath

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ボダナ-トの正面

ここから基壇の上に登り、自由に歩ける

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基壇の上

ゾウにまたがるお釈迦様・ブッダ

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第108回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百八回目

カトマンドゥ市内のボダナ-ト仏塔

ボダナ-ト・ストゥパ-Boudhanath その四回目

 

ボダナ-トの3回目の前回は、ボダナ-トの概観と云おうか、日本にはないストゥパ-としての建築物と、仏教としての仏塔の意味や解説を少ししてみた。色々と資料をあたって、間違いのない内容にするのは難しい。

なにせ、このボダナ-ト、何時からボダナ-トの公称・呼び方になったのか。それまでは何と呼ばれていたのか。アショカ・ストゥパ-だとしたら、ただの土饅頭型の塚だった筈。

ネパ-ルの歴代支配者や王様が、その人の威厳や何かのために、少しづつ大きくし、いろいろと飾り付けたに違いない。

それが今では、ネパ-ル国内最大の仏塔であり、アジアでも最大級。

ネパ-ルでのストゥパ-とは、何。

日本語で仏塔は、インドやネパ-ルではストゥパ-。これ、ストゥ-パと呼ぶ人もいる。わたしは、ストゥパ-と「-パ」で止めるよりも、「パ-」とのばして発音するのがし易い。

 

ストゥパ-を少し説明

ネパ-ルのカトマンドゥ市内にある、大きな仏塔は、このボダ・ナ-トとスワヤンブ・ナ-ト。

ネパ-ル語のストゥパ-は、日本語で仏塔。

仏塔(ぶっとう)とは仏教の正式な解釈では、お釈迦様の遺体や遺骨、またはその代替物を安置した仏教建築物。遺体や遺骨、またはその代替物を仏舎利と呼ぶ。

仏塔のまたの呼び名は、卒塔婆(そとば)、塔婆(とうば)、塔(とう)、ストゥパ-、供養塔、など色々ある。

ストゥパ-はサンスクリット語でस्तूप。 その意味は「高く顕れる」という意味で、仏教の世界観である涅槃の境地を象徴しているらしい、のだが私には理解の外。

紀元前のストゥパ-は、仏教の開祖の釈迦荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた。土饅頭型の塚。

釈迦入滅後に仏舎利は8つに分けて配られ、容器と灰土を合わせて10基のストゥパ-が造られ、アショカ王はそれらのストゥパ-を壊して8万4000に細分化し、各地に新たなストゥパ-を建設したといわれているが。 その後、仏教が各地へ広まると、仏教の盛んな地域にもストゥパ-が建てられ仏舎利を祀るようになる。

ストゥパ-が古代インドから中国に仏教が伝来した際、 は「卒塔婆」と音訳された。「塔婆」や「塔」はこの略。

それでは欧米ではどうか。仏塔を指す語に、出所が違う二種類の言葉がある。ストゥパ-(stupa)とパゴダ(pagoda)。後者のパゴダはポルトガル語pagode に由来するらしい。

ストゥパ-はインド風の建築物を、パゴダは極東風の建築物を意味することが多く、パゴダは意味が広く、仏塔に限らず層塔のような宗教建築を指すことがある。

紀元前のアショカ王時代のストゥパ-は、円筒形の台基の上に覆鉢と呼ばれる半球体を乗せたド-ム状の構造になっていて、要するに土饅頭型。ネパ-ルのパタン市内の4アショカ・ストゥパ-がそれ。原初的な形態に近いストゥパ-は、今でもネパ-ルに見られる。

ストゥパ-の変遷

その後、ストゥーパが増え仏舎利が不足すると、宝石経文高僧遺骨などを、しかるべき読経などをしたうえで仏舎利とみなすようになる。

インドのグプタ朝の時代にサ-ルナ-トブッダガヤで、それまでのド-ム状ストゥパ-とは全く異なる高塔形式のストゥパ-が造られ,続くクシャ-ナ朝時代は、台基の下に基壇が設けられた縦長の形状となり、基壇全体に装飾が施される。

中国に伝わったストゥパ-は、の時代に木造建築の影響を受けて形が変わり、「塔」となる。

日本には、中国を経由して伝わり、五重塔三重塔多宝塔など、木材など)を使って建てられた。

ストゥパ-の宝篋印塔五輪塔などの小型は、石造や金属製(青銅など)がある。

最後にブッダの「睥睨する目」が付けられて完成

ネパ-ルでは、縦長形状のストゥパ-に、最後に四角の「見すえる目玉」を付け、1950年代以後に目の上の眉毛を隠すようにスカ-トが付けられた。

形は大きく変わったものの、本来のストゥパ-のもつ意味は変わらない。ストゥパ-の多くは、王様や貴族などの信者の寄進によって建立されている。

ネパ-ルのストゥパ-にはブッダの「みすえる知恵の目」がある。この目は、知恵の化身である蓮の花の形をした広目が四方を睥睨(へいげい=流し目でにらむ)し、森羅万象を見通しているが、その上部の眉毛が隠れるような位置に、色とりどりな横断幕が垂れ下がっている。

この横断幕、風のない時は眉毛を隠すが、強風時にはなびいてストゥパ-全体の自然風景観みたいな感情を生じさせる。

わたしは、この目と眉毛の上の横断幕を「ストゥパ-のスカ-ト」と呼んでいる。

 

参考資料

在ネパ-ル日本大使館ホ-ムペ-ジ

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

ネパ-ル 地球の歩き方

カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

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NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局

 

ボダナ-ト Boudhanath

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画く

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撮影

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第107回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百七回目

カトマンドゥ市内のボダナ-ト仏塔

ボダナ-ト Boudhanath その三回目

 

ボダナ-トの解説

 ボダナ-トが建設されたのが紀元前だとしたら、インドの国王アショカ王が建てたのなら、行く先々で建立した石柱や土饅頭型の塚だったのだろう。

 現在のボダナ-トは、直径27m高さ36mの世界最大級のストゥーパ(仏塔)で、東南アジア最古の文化遺産。現在はチベット仏教ラマ教)寺院。

わたしはアショカ王が紀元前約250年頃に建立したと考えている。

 シェルパ族などの仏教徒にとっても、カトマンズ第一の聖地であり、以前はヒマラヤ登山の際は、この寺にお祈りをして出発した。

 インドのアショカ王が建立した塚。チベットとインドの中間点として、インド仏教をチベットに布教した最初の信仰物としての仏塔、とも考えられる。昔からチベット僧侶が巡礼で訪れている。

 現在でも礼拝者は絶えることがない。夕方になると近所の住民が、時計回りに700個の経文が彫られたマニ車を回しながら、「オムマニ ペメ フム」とお経を唱えながら歩く姿が見られる。

 オム マニ ペメ フムは、マニ車(コル)に刻まれているチベット仏教祈りの言葉マントラ真言)。「おお、蓮の内なる宝珠よ」と直訳し、「現世では罪深い私も、泥の中で育って美しい花を咲かせる蓮のように、来世ではより幸せになりたい」という、輪廻転生の信仰の真言である。

 ボダナ-トでは1990年代までは、最高の礼法である五体投地の巡礼者が見られた。現在は観光の邪魔になる理由で、片隅に投地台が置かれている。

現在のボダナ-ト

 ボダナ-トは直訳すると正覚寺。ボダナートの「ボダ(ボゥッダ)」は「仏陀の」「仏教の」「知恵の」を意味し、「ナート」は「主人」「神」などを意味する。

 仏塔の台石は、チベット仏教の宇宙と精神力を象徴する円と正方形が幾何学的に組み合わされ、曼陀羅の形になっている。

 三重になった外周の円(巡礼の宿坊と環道、無数のマニ車の外壁より成る)は、終わることのない生と死の繰り返し、輪廻を表現している。これは、仏陀の教えとして人間が輪廻の束縛から解脱できることを表現。又、ひな壇式になっている四角い基壇は大地を、その上の土饅頭のような伏鉢は水を、また上へ行くほど細く尖ってきている塔の13の相輪は火を象徴、悟りに至る行程が現示。

 そして、これらの相輪の先端には風を象徴する傘があり、ストウ-パの頂には空を表す月と太陽で象徴される宝珠が載っている。

 こうして、宇宙を構成する五大が仏塔によって表現され、無限と永遠を形象化している様式は、ここネパ-ルしか見れない。

 「みすえる知恵の目」は、知恵の化身である蓮の花の形をした広目が四方を睥睨(へいげい=流し目でにらむ)し、森羅万象を見通している。

 

参考資料

在ネパ-ル日本大使館ホ-ムペ-ジ

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ネパ-ル 地球の歩き方

カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

ネパ-ルの秘境ムスタンへの旅 ジュゼッペ・トゥッチ

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NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局

 

ボダナ-ト Boudhanath

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ボダナ-ト解説

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ボダナ-トのトップに尖塔と円形の傘

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13層の塔

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みすえる知恵の目

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土饅頭型のド-ムと、その下に108の仏像

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角ばった二段の基壇台座

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最下段の外周には700個のマニ車

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第106回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百六回目

カトマンドゥ市内のボダナ-ト仏塔

ボダナ-ト Boudhanath その二回目

 

前回は、カトマンドゥ市内にあるボダナ-ト・ストゥパ-の写真を見た。

今回からは、ボダナ-トについての写真をいろいろと見てみたい。

 そもそものボダナ-トの建設起源を辿ってみたい。が、しかし、文書で残存している資料がない。ただ一つ紐解いて見て、これではないか、と思われるのは、唐の国の玄奘三蔵が書き残した「大唐西域記」。この「大唐西域記」、わたしは見たことも読んだこともない。

 伝え聞くところでは、玄奘三蔵がインドや現在のネパ-ルを訪れたことが叙述されている。そこには、お釈迦様のブッタとインドのアショカ王の跡を辿ったことや、見たことが記されている。

 その内容は、「ブッタ生誕地のネパ-ル・ルンビニには、アショカ王が建立した石柱が建っていて、そこには古代文字でブッタの生誕地」と記されている。それと「大唐西域記」には、アショカ王の建立したストゥパ-一基と、他に4基のストウパ-がネパ-ル国内にある、と記されているらしい。

 4基のストウパ-についは、前回まで写真を見て来たパタン市内に、アショカ・ストウパ-があるので、他の1基のストウパ-が、カトマンドゥ市内にあるボダナ-ト・ストウパ-かスワヤンブナ-ト・ストゥパ-になるのではないか。

 わたしは、このボダナ-ト・ストゥパ-が、インドを最初に統一して支配したアショカ王が、ブッタの歩いた道を、自ら辿って石柱やストゥパ-を建立したものの、その一つではないのか、と考えている、のだ。

 

ネパ-ル・ルンビニ仏陀・お釈迦様誕生

 ゴ-タマ・シッダ-ルタ-(仏陀釈迦牟尼)は、紀元前五世紀頃カビラヴァストゥ国のスッド-ダナ王を父に、麻耶マヤ夫人を母として、無優樹(沙羅樹)の下で母親の右脇から誕生。

 釈迦の生誕年と没年は、紀元前566年・486年と紀元前463年・383年の二説ある。

 

アショ-カ王はブッダの足跡を辿る

 インド亜大陸を統一した古代インド・マウリヤ朝のアショ-カ王は、仏教普及に熱心でブッタの生誕地に詣でた記念に石柱を建立。

アショ-カ王の在位は、紀元前268年頃~232年。

 石柱には紀元前249年と記され、古代文字のパ-リ語で「王よ、神々の友たるものよ、温顔なる君は、戴冠式20年の後に親しくこの地に来訪し、敬意を捧げた。この地こそ釈迦族の聖人、仏陀生誕の地なればなり。ブッダ生誕地を記念し、租税を8分の一に減免する」と記されている。アショ-カ王(無憂(むう)王)は、ブッダの訪れた跡を辿って、紀元前249年と250年頃にルンビニと同時に、現在のカトマンドゥ市内パタンに4塚(仏塔)と、ボダナ-トやスワヤンブナ-トを建立。

 

玄奘三蔵は「大唐西域記」に、ネパ-ルでアショカ王の建立した石柱や塚を発見、と記述記

玄奘(げんじょうは、602年生、664年3月7日没。

玄奘三蔵は唐代の中国の訳経僧で、玄奘は戒名。俗名は陳褘(チンイ)。

 629年陸路でインドやネパ-ルに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年、経典657部や仏像などを持って帰還。旅行記として「大唐西域記」を書き残す。

 「大唐西城記」には、636年に三蔵法師がこの石柱を訪れ、アショ-カ王の石柱は落雷のために中ほどから折れていたという。

 

ドイツ人アロイス・アントン・フュ-ラは、「大唐西城記」をもとに石柱を発見

 1895年(96年)ドイツの探検家で考古学者のアロイス・アントン・フュ-ラは、唐の玄奘(げんじょう)が書き残した「大唐西城記」をもとにルンビニの藪の中で、詔勅文の刻まれた石柱の下部を発見。

 

国際連合ブッダ生誕地の調査発掘

 1995年にネパ-ル・インド・スリランカパキスタンバングラディッシュ・日本の六カ国の考古学者がルンビニ・マ-ヤ聖堂を発掘。新聞記事ではマ-ヤ聖堂の石室の発掘でブッタの生誕地と判明した、と発表された。

 

参考資料

在ネパ-ル日本大使館ホ-ムペ-ジ

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

ネパ-ル 地球の歩き方

カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

ネパ-ルの秘境ムスタンへの旅 ジュゼッペ・トゥッチ

ネパ-ル アジア読本 

NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局

 

ボダナ-ト Boudhanath

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1950年代のボダナ-ト

周りの畑地に巡礼者用の宿屋が建ち並ぶ

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紀元前249年、アショカ王建立の石柱

近くに土饅頭の塚

この時代、ただの塚でストゥパ-(仏塔)とは呼ばなかった

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現在のネパ-ル・ルンビニの、アショカ王建立石柱

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第105回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百五回目

カトマンドゥ市内のボダナ-ト仏塔 その一回目

ボダナ-ト Boudhanath

 

前回は、1952年のパタン王宮広場の写真を見て見た。

パタン王宮広場の写真は前回で終わり。

今回からは、カトマンドゥ市内にあるボダナ-ト・ストゥパ-の写真を見てみる。

ボダナ-ト仏塔は、カトマンドゥ中心街から北東方向に約6km。

 カトマンドゥから13km東方向のサク-Sankhuへ向け、リングド-ロを横切って進むと直ぐ。わたしは、ラジンパット通りからトゥクトゥク(リンプ-)の三輪電気車で、ブダニ-ルカンタ方面行きに乗り、パニポカリの日本大使館前を通り、アメリカ大使館近くのリングロ-ドで降り。トヨタ・ハイエ-スの乗り合いバスに乗り換えてサク-方面に向かう途中。30分くらいかかる。

ボダナ-トについての説明は、次回から。

 

ボダナ-ト Boudhanath

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第105回

ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百五回目

カトマンドゥ市内のボダナ-ト仏塔 その一回目

ボダナ-ト Boudhanath

 

前回は、1952年のパタン王宮広場の写真を見て見た。

パタン王宮広場の写真は前回で終わり。

今回からは、カトマンドゥ市内にあるボダナ-ト・ストゥパ-の写真を見てみる。

ボダナ-ト仏塔は、カトマンドゥ中心街から北東方向に約6km。

 カトマンドゥから13km東方向のサク-Sankhuへ向け、リングド-ロを横切って進むと直ぐ。わたしは、ラジンパット通りからトゥクトゥク(リンプ-)の三輪電気車で、ブダニ-ルカンタ方面行きに乗り、パニポカリの日本大使館前を通り、アメリカ大使館近くのリングロ-ドで降り。トヨタ・ハイエ-スの乗り合いバスに乗り換えてサク-方面に向かう途中。30分くらいかかる。

ボダナ-トについての説明は、次回から。

 

ボダナ-ト Boudhanath

 

フライングソ-サ- 3回目

朝顔の花がひらく 三回目

8月4日、あさがおの花咲く。

フライングソ-サ-名の西洋あさがお。

 鉢植えは5月に種を植え、路地植えは6月だった。露地栽培のは4mほどツルを伸ばしているが、まだ花芽が小さく、開花はまだ。

あさがおは一日花。前日の日暮時間から数時間後に開花する。

 開花したあさがおの花は、その水分が蒸発して縮む。夏の暑い日には朝4時には開花し、お昼前に縮む。涼しい日には、午後3時・4時まで花は開いている。

 

昨日4日に開花の朝顔の写真

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