koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第54回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その五十四回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の十五回目

前回はナムチェバザ-ルの土曜日バザ-ルを写真で見てみた。

 今回はナムチェからトレッキングの次の宿泊地へ向かう途中の、シャンボチェ村から少し離れた場所に立つエベレスト・ビユ-ホテルについて触れてみる。

 このエベレスト・ビユ-ホテル、実は札幌に住んでいた山岳画家の坂本直行(なおゆき)さんと関係がある。坂本さんは1982年5月に亡くなっている。わたしがゴ-ルデンウイ-クに海外遠征の訓練を終え、帰宅すると急いで直行さんのお通夜に行ったのを想い出す。六花亭のチョコレ-トが香典返しだった。

 昔の登山愛好者達には、愛称のチョッコウさんと云えば、誰でも判る人だった。現在の山ガ-ルや山ボ-イには、帯広市に本店があるお菓子屋さん六花亭の包装紙の絵の人と云えば分かるだろうか。六花亭の包装紙の絵は、高山植物などが描かれている、その絵の描いた人。

 

エベレスト・ビユ-ホテルと坂本直行さん

1968年(昭和43年)1月~2月、坂本直行さんはスケッチ旅行とスケッチトレッキングにネパ-ルへ。

 エベレスト方面のスケッチを終えて帰りにとった行動が、現在のエベレストビユ-ホテルに深く関わってくる。

 坂本さん、エベレスト街道のナムチェバザ-ルからカトマンドゥへの電報、「Ware Nnuthenite Inujinishisou Hikoukiokure Rukuranitematu Sakamoto」で始まった。

「ワレ ナムチエニテ イヌジニシソウ ヒコウキオクレ ルツクラニテマツ サカモト」

 ネパ-ル政府職員の日本人、宮原巍(みやはら たかし)さんが電報を受け、「ヒコウキオクル ルツクラニテマテ」の返信電報。

 ヘリコプタ-で迎えに行った宮原さん、坂本さんと一緒に帰らずに現在のエベレストビユ-ホテルまでトレッキングを楽しむことにした。

この時のペリチェから観たエベレストの景観に感激したのがホテル建設につながった。まさしくエベレストを眺望できるビユ-ポイントだった。

1969年東京でヒマラヤ観光開発㈱を立ち上げ、出資やカンパを募ってホテル建設を開始。

 なんと、宮原さんは建設重機ブルト-ザ-を解体してポ-タ-に運ばせ、ホテルから1.5km近くのシャンボチェに飛行場も造ってしまった。すごい人も居たものだ。

 この宮原巍さん、昨年の10月に、私がカトマンドゥの日本食レストランで夕食を食べていると、店のオ-ナ-と一緒に食後に碁を打つていた。まだご健在。健在ところではない。エベレスト・ビユ-ホテルの他にも、カトマンドゥの隣の市パタンにヒ五つ星のヒマラヤンホテルを経営していて、最近ポカラの近郊にもアンナプルナ展望のホテルを建築中。

 宮原さんとレストランで碁を打つっていた日本食レストランのオ-ナ-、名を冨田建生さん。この冨田さんは、わたしのネパ-ルでの日本人の友人。昨年12月に札幌のすすきので一杯飲む。北海道旅行のついでに札幌に寄ってくれた。

わたしは10年前から一年のうち数か月をネパ-ルで暮らしている。カトマンドゥで冨田さんが「こんど北海道の美味しい魚を食べに行くから」と云われていた。奥さんと二人で来てくれた。

 

坂本直行さんとネパ-ルの絵

 カトマンドゥのフラットで北海道新聞をインタ-ネットで見ていた。昨年の10月30日ころだったと思う。4日後に北海道大学で、坂本直行生誕110年記念企画とスケッチブック展が開催されるという。

 そうだ、私の家に坂本さんの講演会の録音テ-プがあることに気付く。どこに置いてあるか分からず、女房に電話するにもできず。このままではこのテ-プは何の役にも立たない。

 それで、札幌に帰ってきて直ぐに、昨日このテ-プを持って、展示会場の責任者・北大山の会の中村晴彦史を訪れ、使ってもらうことになった。設置に時間がかかるので展覧会後期から。会場に懐かしいチョッコウさんの声が流れることなった。

 スケッチブック展の展示期間は前期2016年11月4日~12月4日と後期12月6日~2017年1月9日。後期開始日に展示絵画の入れ替えを行うらしい。二度楽しめる。

 このテ-プ、1978年11月11日に行われた北海道青年会館を会場に、北海道登山研究集会の記念講演「半世紀前の北海道の登山」と題した坂本直行さんの講演。いまから78年前くらい前の北海道の登山を語っている。もうすぐに一世紀前の登山の話になるだろう。

 坂本直行生誕110年記念絵画展、北海道の絵画も多数あって圧倒された。エベレストビユ-ホテル建設のキッカケになった1968年(昭和43年)1月~2月のネパ-ルの絵画も展示されていた。素晴らしい見事なヒマラヤの絵を堪能できた。

 わたしは、坂本さんの家には何回もお邪魔した。絵画を買う目的で訪れたこともあり、北海道の自然保護活動で、たびたび活動のご協力をいただいた打ち合わせなど。また、お亡くなりになった後も、奥さんの所に伺うことがあった。

 

エベレストビユ-ホテル

ホテル建設時に植えた樹木が大きくなった

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ホテル内の受付カウンタ-

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エベレストビユ-ホテルから眺めるサガルマ-タ8848m(エベレスト)

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エベレストを望むテラスから、ホテルの窓に映えるエベレスト

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宮原巍(みやはら たかし)さんの著書「ヒマラヤの灯」 1982年10月発刊

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坂本直行さんのスケッチブック展  2016年11月~

坂本直行生誕110年記念企画展

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第53回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その五十三回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の十四回目

前回はナムチェバザ-ルの建築物の石積みを写真で見てみた。

今回は、ナムチエの土曜日バザ-ルを写真で見てみる。

 ネパ-ルの小売り店は日本のそれと変わらない。けれども、その小売販売店の他に、バザ-ルが開催されている。このバザ-ル、このナムチエ町の様な特定の日、ここでは毎週土曜日に開催されていて、町の空地に路上の販売店が並ぶ。

 カトマンドゥの場合は、毎日ベジタブル・バザ-ルを開催している場所がある。その他にも特定の道路脇に毎日出店する場所がある。

 お祭りのバザ-ルは特別。ダサイン大祭やテイハ-ル祭には、各家庭でお祭りに使用する祭事用品が大量に売られる。ダサイン大祭やテイハ-ル祭では、ほとんどの家でティカの儀式が行われるので、そのための線香や花、ティカに使用する色の粉末、そして来客への祭専用の手土産をほとんど全ての家が購入することになる。

 お祭りの二日前からが購入が始まる。カトマンドゥの場合は市内の各地、道路脇に多くの祭り関連用品を並べた店が出店する。カトマンドゥ市内で多くの市民が購入に集まるのは、旧王宮近くの十字路や道路が五本や六本も交わる場所にバザ-ルが形勢される。カトマンドゥのダルバ-ル・スクエア-の北東方向のインドラ・チョ-クやアサン・チョ-クを中心に、道路幅が半減するほどに歩道一杯が出店となる。カトマンドゥ市内から多くの人が車やバイクで来るので、道路は本格的な渋滞で動かなくなる。歩道も大勢の人々で身動きできないほどの混雑が続く。

 今回のバザ-ルは、エベレスト街道のナムチェバザ-ルの空地に、毎週土曜日に開催されるバザ-ルを写真で見てみる。

 

ナムチエバザ-ルの土曜バザ-ル風景

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ニワトリの卵と唐辛子売り

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ヤクやゾッキョのバタ-売り

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肉だけは、特別の売店で

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第52回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その五十二回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の十三回目

前回はナムチェバザ-ルから徒歩2時間のシエルパ族の友人との再会や登山ガイドの収入などを見てみた。

 今回は、エベレスト街道の主要な肝心な街となっているナムチェバザ-ルの町の、家の建築現場を写真で見てみたい。

 ここナムチェは4千m越えのための、身体を高高度に慣らす高度順応に適した3440mの町。そして、前後の宿泊地としての町が、出発地のルクラとの距離で、ここのナムチェが街道の主要な宿泊地を提供してくれている。

 往路の来るときは、午前中にフライトでルクラに降り立ち、2時間から3時間歩いて一泊。そして、標高差600mの登りを一日歩いて二泊目のナムチェ。

復路の帰りはナムチェから下りを丁度一日歩くとルクラに着く。

 昔からナムチエには土曜日バザ-ルなど、ここら辺に定住している人達にとっても中心の町になっていた。1980年代には数十軒の家しかなかったのだが、現在ではバティ(ロッジ)や外人相手のホテル・お土産屋・レストラン・など、密集するほどの100軒を超す、ほとんどが二階建ての建物が建っている。

 

石積みの建物造り

 カトマンドゥの人家は、ほとんどが三階建てか四階建ての鉄筋コンクリ-トの建築物。しかし、ここナムチェはなぜか昔から大きな石が近場に多くあるのだろうか。それで、石積みの家が多い。鉄筋コンクリ-トの柱が無い、柱を石積で、一階の天井・二階の床には木を使っている。それで、二階建てか三階の建築物が多く、それ以上の建築は難しいのだろう。

 まだまだ空地があるので、ナムチエの町が建築物で溢れたら、以後はセメントと鉄筋をカトマンドゥから空輸して、狭い土地に高層の建物を建てるのだろう。

 

ナムチエの石積み建築の様子を見てみる。

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わたしの宿泊に使ったバティも石積の建築物 Sona Lodge

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第51回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その五十一回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の十二回目

前回はナムチェバザ-ルを写真で見てみた。

今回は、ナムチェから歩いて2時間のところに住んでいるネパ-ル人の友人に会いに行く。

ナムチェバザ-ルから徒歩2時間 シエルパ族の友人と再会

急登の標高差600mを登ってナムチエの町に到着。

 ルクラにフライトから降り立った時から軽い頭痛が続いていた。わたし達は、最低で二日間を高度順応のために、ここナムチェに滞在する。

 ナムチェからは、ここの上部に聳えるクンビラKhumbul Yui Ia 5761mを見て、ドウド・コシ川の二俣を本流の右股へ進むと、目的地のカラ・パタ-ルへ行く。ナムチエから3時間歩くと次の村シャンボチェ。ここには日本人が建設した、有名なエベレストビユ-・ホテルが建っている。このエベレストビユ-・ホテルについては後日の話題に。

 そして左股を進むとその先はチベットへ。わたしの友人が住んでいるタ-メThameは、ナムチェから左股のナンボ・ツァンポ川に沿った道を二時間で着く。

 彼はこの地域一帯に昔から定住しているシエルパ族で、日本人の登山ガイドをしている。日本人のヒマラヤ登山者の間では超有名な人。名はペンパツェリン。私の友人がエベレスト登山の時も、サ-ダ-(シエルパ頭)として、エベレスト登頂に貢献している。

 登山隊のガイドとして仕事をする時は、カトマンドゥのエ-ジェントからタ-メの自宅に電話がくる。そしてルクラ飛行場に下山してカトマンドゥにフライトする。ネパ-ルのフライト利用金は、ネパ-ル人は割安。国内線フライトなら、外国人の三分の一。

 タ-メ村に今滞在しているのかどうか分からなかったが、とりあえず会いに行くことにした。ナムチエに着いた次の日、2時間歩いて丁度お昼ご飯になるように、ナムチエを9時に出発。   

 村までの道はほとんど上り下りの無い。11時に到着すると、ペンパツエリンさんは居た。今日は次男坊と二人。奥さんはヤクのドライバ-をしていて、今日はアマダブラム峰6856mの登山隊の荷物をヤクに運ばせるために出かけていた。ヤクは二頭飼っている。ヤクは一頭で60kgの荷物を担ぐ。二頭で人のポ-タ-4人分の稼ぎになるらしい。

 ペンパツエリンさんは四人家族。長男は寺院のお坊さんになっている。ここら辺の家族では、沢山の子供がいる家では、誰か一人はお坊さんになっているのが普通、とペンパツエリンさんの話。

 ペンパツエリンさんの家に到着してすぐ、お昼ごはんを作ってくれる様にお願いする。次男の息子さんと一緒にダルバ-トを作っている間に、家の中を見せてもらう。広い家で、柱や梁は太い木材を使っていて、贅沢なお金持ちの家。さすが登山ガイドの稼ぎの良さが窺える。

 

登山ガイドの収入

 ちなみに、登山ガイドの稼ぎだが、現在のエベレスト登山では、60日から90日の期間が必要で、日当と装備代を合わせて40万~50万Rsルピ-になる。ネパ-ルの物価から日本円換算すると約10倍から20倍の価値。カトマンドゥの諸物価は高いが、野菜は超安くて日本の二十分の一。1Rs=1円なので、エベレスト登山の高所ガイドをすると、日本円に直すと400万円から1000万円の収入になる。日本人の一年間の所得を三か月で稼ぐことになる。ネパ-ル人ガイドの登山中の死亡率を考えると、何も高くはないのだが。ネパ-ルのエ-ジエント会社に所属しているが、お客はUS$ドルでエ-ジエントに支払うので、円とRSルピ-の価値の差が高収入となる。

 トレッキングガイドは日当のみの収入だが、ハイポ-タ-や高所ガイドは、日当の他に装備費の収入が加算される。この装備費、高所の登攀やル-ト工作に必要な個人装備を購入する費用。冬山の衣服やアイゼン・ピッケルなどの登攀装備など一式が必要になる。一度全装備をそろえると、二回目からは破れたり壊れた装備の買い替えだけで済む。

 ガイドの収入は、二回目からも新たに全装備の購入代金に相当する金額が支給される。一回目に残しておいた装備を二回目以降に使用するので、ガイドにはお金だけ入ることになるのだ。

 

 お昼ご飯のダルバ-トを皆で食べながら、おしゃべりが続く。ペンパツエリンさんが日本へ招かれ、各地を訪れたことが掲載されている山岳月刊誌「岳人」を見せてもらう。

 ペンパツエリンさんとは、このトレッキング以後、カトマンドゥ滞在中やアンナプルナトレッキングなどをしている時に度々会い、お酒を重ねることとなる。彼、日本人のガイドをしているが、日本語がダメ。普通日本人相手のガイドは、普通に日本語を覚えて、親しく日本語で話し合うのだが、どう云う訳なのか分からないが、英語で通しているらしい。

 5年ほど前、登山中にクレパスを飛び越えるのに足を捻挫。自分を雇ってくれた日本人に申し訳なく、又自分の60歳の年齢を考えて、以後はトレッキングガイドになってしまった。

 

クワンデ北壁新ルート

 タ-メ村からはナンボ・ツァンポ川を挟んで、向かい側にはクワンデ峰が聳えている。このクワンデ峰6,011m(6,187m)北壁に新ル-トを開いた札幌登攀倶楽部の中川博之と伊藤仰二がいる。2002年11月14日~12月25日(12月7日~15日登攀)の記録は、このブログの2016年11月30日(水)「ネパ-ルの世界自然遺産 エベレストエリア その5」で見てもらおう。北海道勤労者山岳連盟創立40周年記念誌より

 

ペンパツエリン宅にて  左・ペンパツエリン・シエルパ  右・息子次男

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ペンパツエリンの野菜畑

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アンナプルナヒマ-ル マルファ村のロッジ 左がペンパツェリンさん

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タ-メThame 村から奥地に聳えるテンギリ峰

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タ-メThame 村からクワンデ峰Kwangde

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クワンデ北壁の登攀

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第50回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その五十回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の十一回目

 前回は、「ロ-カルポ-タ-とハイポ-タ-」、「ガイトよりも高給のポ-タ-」「高度順応と高度順化」などのネパ-ルヒマラヤトレッキングについてのことに触れてみた。

今回は多くのトレッカ-が高度順応のために、連泊して4千m以上の高度を楽々と歩けるように滞在するナムチェバザ-ルを写真で見てみる。

 

ロ-カルポ-タ-の雇用はオプション

前回の「ポ-タ-」で云い忘れたこと

 日本国内で募集しているネパ-ルヒマラヤ・トレッキングの代金には、ネパ-ルで雇用するポ-タ-の賃金は入ってない。

 日本人のヒマラヤ・トレッキングは、安短(あんたん)が普通。より安く、そして職場の休暇が短く、そして欲張って楽しいトレッキング。これが落とし穴になっている。募集している間に決定している空港使用料などが、トレッキング代金に入っていない。

そして、現地で雇用するポ-タ-の賃金も入っていないのだ。トレッキング代金を安く見せる方法なのだろう。

 高度が3500mを超えるトレッキングでは、高度順応が必ず必要になる。単に高度順応と云うが、ヒマラヤ登山やトレッキングを何回も経験して、初めてその知識や順応方法を知り、身に着く。個人差もあって、一概に多数が一緒の方法とは限らない。

 昔、登山隊員にベ-スキヤンプまでのキャラバン中に、20kg以上のザックを背負わせたボッカを強いた登山隊があった。登山隊長の知識として、ボッカが順応の近道との認識だったのだ。これが大失敗だった。

 気圧や酸素が少なくなる環境に身体を置くのだから、より多くの空気を吸い多くの酸素を肺に入れなければ身体が動かなくなるのは、誰にでも理解できるだろう。その反対の行動を登山隊員に強いた。トレッキングでも、より軽やかに、背には必要最低限の物を入れたザックにしなければならない。

 日本の旅行業者の企画するヒマラヤ・トレッキングは、出発地で自分の荷物を背負うポ-タ-を雇用するのは、参加者の任意になっている。オプションなのだ。安かろう悪かろうの典型と云える。

 日本国内の登山では、楽々と20kg以上の荷を担いで登山している人が多い。その延長でヒマラヤ・トレッキングに行くのは大間違い。空気の少ないヒマラヤで、ヒ-ヒ-云いながら歩き、安いトレッキングを望んでいる人は、途中で高度順応に失敗して一人、バティに取り残されて他のメンバ-から置いてけぼりにされる。高山病で死ななかっただけでも良いとしなければ。

カメラとカサだけとはいかなくても、ポ-タ-を雇ってなるべく多くの荷物を担いでもらおう。

 

ナムチェバザ-ルより上部の地形図

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ナムチェバザ-ルの町Namche bazar  とクワンデ峰Kwande6011m(6186m)

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夜明け前

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クワンデ峰北壁

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ナムチェバザ-ルの町Namche bazar

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ストゥパ(仏塔)とクワンデ峰

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ナムチェの町の上部 仏教

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町の上部の大マニ石 教文石

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町の上部には、墜落ヘリコプタ-・軍の施設とその上部にエベレスト登山博物館

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墜落し大破したヘリ

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町の中をヤクが通る 

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第49回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十九回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の十回目

 以前はエア-ポ-トのあるルクラから世界自然遺産エリア入口まで。そして前回はそこから高度順応のために連泊するナムチェ町までを見た。

今回は、ヒマラヤのトレッキングにつき物(者)のロ-カルポ-タ-を写真で見てみる。

 

ロ-カルポ-タ-とハイポ-タ-

ポ-タ-は、普通ホテルの荷物運びで知られている。ヒマラヤでも、同じ意味で呼ばれている。

 登山隊やトレッカ-が現地の出発地で雇用して、目的地まで荷物を運んでもらうのがロ-カルポ-タ-。ハイポ-タ-は登山隊が高地で、ベ-スキャンプから上部キャンプへ荷物を運んでもらうポ-タ-のこと。

 小人数のトレッキングでは、ガイドが一人しか居ないので、現地のポ-タ-だと荷物が目的地までしっかりと運ばれるかどうか心配になり、ガイドがポ-タ-に付きっきりになる。ガイドの役割はお客様の現地ガイド。この様な場合は、カトマンドゥから知ったガイドをポ-タ-として同行する場合が多くなった。

 わたしはこの場合には、現地の出発地のプロのポ-タ-を雇わない。出発地でまずチヤ-など飲みながら、ガイドに地元の農家の息子や娘を探させ、トレッキング終了までの期間の雇用をする。若い現地の青年が、果たして荷物を担げるのかの心配が、実は杞憂なのだ。山岳の農家育ちの子供達は、幼少の頃から家の手伝いなどで、重量の重いものをドッコに入れて、日常的に生活として担いでいるのだ。

 プロのポ-タ-でないので、歩き始めても次の宿泊地目指して一人先を急いで行ってしまうことがない。わたし達とガイドと一緒の行動になる。わたしのトレッキングは、初めて訪れる村や町に見る物が多い場合は、宿泊の予定でなくとも一泊したり連泊する。ポ-タ-が一緒に歩いてくれるのが前提のトレッキングなのだ。ちょうど良い。

 農家は雨季が終わり、ポストモンス-ン季に入り、肥料を入れる仕事が残っている。だが、現金収入になり、プロのポ-タ-の専属仕事にありつけるのだ。嬉しくて、家族も喜んで送り出してくれる。

 わたしの雇用した農家の17歳の青年は、ナムチェの土曜バザ-ルで、家族の着る衣服を購入していた。勿論わたしが払う賃金で支払っていた。2840mのルクラで育った青年は、高度順化している。2840mが私たちの0mなのだ。目指す5550mまで、一切の高度順応がいらない。なんと羨ましい限り。エベレスト街道に定住しているシエルパ族が、現在でもトレッキングや登山のガイドをしている理由の一端が、この高度順化がある。

 

ガイトよりも高給のポ-タ-

 普通のロ-カルポ-タ-は、自分の食糧を持参で来る。お客の荷持つの上に自分の食糧を乗っけて、宿泊地のバティの台所を借りて調理している。

 ガイド達は、コック連れの場合はお客の食事の調理と一緒に食事を作る。バティなどに宿泊して、そこのレストランでの食事の時は、代金をお客持ちで定食(おかわり有りのダルバ-ト)を食べる。ゆえに、食事を自分持ちのポ-タ-の賃金の方が高くなる。

 わたしが今回雇った農家の青年ポ-タ-は、プロでなく食糧を持参できない事情で、ガイドと一緒の条件の賃金となった。

 トレッキング中のガイドとポ-タ-の宿泊費は、バティ(ロッジ)の食堂やガイド専用部屋に泊まるので、宿泊費はかからない。

 

 

高度順応と高度順化

高度順応と高度順化は、全くその意味は異なる。

 4千m以上の高地に行く場合、高山病に罹らないために高度順応が必要。軽い高度障害の症状が出るような歩き方で、高山病にまで至らない歩き方をする。一日の登る高度は500mを越えない。宿泊地に着いたら、そこ以上の高い所まで登って、引き返して寝るのが理想的な高度順応になる。気圧の低い、酸素濃度の低い場所に身体を曝して、寝るのはそこよりも気圧や酸素の濃い所。順応を早くできる。赤血球ヘモグロビンを急いで増やすのだ。気圧や酸素の濃い所に戻って寝ている間でも、低気圧や酸素濃度の低い場所に居て刺激されたことを、体が覚えているらしい。

 高度順化はわたし達にはできない。叶わない。高高度の所に、先祖代々から生活していて、その高度に順化した身体になっているのだ。

 

 ポ-タ-を写真で見てみよう。ほとんどのポ-タ-は竹を編んで造ったドッコを担いでいる。ドッコの後ろに輪になった一本のひもを掛け、自分の額に全重量のひもを掛ける。

女性のポ-タ-をシェルパニと呼ぶ。

 

ロ-カルポ-タ-とドッコ

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ドッコ

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肉を運ぶ 何kgだろうか

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一本とる休憩時は杖をドッコの下に立てかける

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ガスボンベのシリンダ- 中身の入ったシリンダ- 何kgか 

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女性のポ-タ-・シェルパニ ダウラ焚き木(松ポックリ)を運ぶ

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自分の食糧は荷物の上に

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第48回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十八回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の九回目

 このブログの前回までの3回分は、エベレスト街道のトレッキングが、世界自然遺産エリアの入り口にかかったため、ネパ-ルの世界遺産について写真で見てみた。チトワン自然遺産、ルンビニ文化遺産カトマンドゥ盆地文化遺産など。

今回からは、ネパ-ルの楽しいトレッキング・エベレスト街道に戻る。

エベレスト街道の世界自然遺産管理事務所チュモア(chumoa)2950mから歩きだし、今日の宿泊地ナムチェバザ-ル(namche)3440mを目指す。

 

隠れ場所から初のエベレストを眺望する。

 チュモアからドウドコシ川をつり橋で渡り、そして標高差600mの急な登りを歩き始めると、チョツトしたポ-タ-達が一本取る場所がある。ポ-タ-が担いだ荷物を下に下ろすことをしなくとも良い腰掛けのある小広場。ここの奥から見上げると、エベレストの頂上を遠望できる。ここはネパ-ル人のガイドでも知らない秘密の場所。私の秘密の場所。

 エベレスト街道で初めてエベレストを観れるのは、ここの他にはナムチェから3時間ほど歩いたシャンボチェまで行かないとエベレストを見ることが出来ない。シャンボチェに着いた時に天候が悪くて、エベレストが見られなかったら、この小広場で見れるエベレストをぜひ写真に収めておこう。

遠望なのでカメラの望遠レンズが必要。

 日本発着9日間や11日間などのネパ-ルヒマラヤ・トレッキングでは、せいぜいナムチェの町までしか行けません。そこから高度障害で動けない人を置いて、3時間登ってエベレストを見る。これが普通の日本人のヒマラヤ・トレッキング。

 私がエベレスト街道のトレッキングをしたのは、まだサラリ-マンで会社の勤務がある時だったが、札幌の発着28組日間だった。

 会社を定年退職したリタイヤ-の人でも、これらの日本の旅行業者の企画する日本発着11日間や14日間のトレッキングにしか参加しないのは理解不能だ。そもそも、自分自身でトレッキングの日程予定を企画したり、どこを観て周るのかを考えたりしなくて済むパック旅行やパック・トレッキングのどこが良いのか、わたしには理解できない。これらの旅行業者の企画実行するトレッキングには、特に2840mにフライトするエベレストコ-スの危険には注意したい。

 

トレッカ-の高山病

 多くの日本人のトレッカ-が、このコ-ス・エベレスト街道で死亡している。ナムチェの次の宿泊地タンボチェ(tyangboche)3867mまで日本発着14日間のトレッキングなどに参加して高山病になるケ-スだ。

 ヒマラヤ登山の場合の死亡事故には、テレビや新聞で大騒ぎするのだが、なぜかトレッキングの死亡事故・遭難は掲載されない。日本のトレッキングを企画する会社は、死亡者を出した企画なのに、反省をしたのかどうか、毎年同じ企画で募集している。

 

高度順応のために連泊するナムチェバザ-ルへ

 普通のトレッカ-は、例えば札幌からエベレスト街道を歩く人達は、0mから歩きだし、フライトで2840mのルクラに降り立ったとしても、高度障害や高山病の症状を4千mで味わうことになる。最初の高度順応が必要なのが4千m前後。ここで高山病を発症するとアウト。この4千m以前の高度で順応して、楽に4千mを通過するために、最低限一週間の日数をかける。

 人間の体は高度に順応する様に造られているらしい。赤血球ヘモグロビンは情況によって二倍に増加する。身体が高度を感じると一気にヘモグロビンが増加する。札幌の0mからカトマンドゥの1350m、そしてルクラの2840mに身を置くと、身体は高度にビックリしてヘモグロビンを増加させる。4千mに近づくと増々だ。その速度は二倍まで一週間から10日と云われている。

 ヘモグロビンが二倍に増加すると、血液中の酸素を二倍運ぶことになる。酸素濃度が二分の一になるのは標高5500mくらい。4千mから5500mまでに10日をかけて歩けば丁度良い。

 3440mのナムチェは、高山病が出る高度。このナムチェに到着すると、ほとんどの人が頭痛など二日酔いと同じ症状がでる。これが高度障害。この高度障害が高山病に変わる前に順応をしなければならないのだ。

 

チベットから移住したシエルパ族の定住地ナムチェバザ-ル

 ナムチェの町は、大昔からチベツトとインドの交易路の中心町で、土曜日には大掛かりなバザ-ルが開催される。遠くから売りたいものを担いで集まり、遠くから買いたいものを見つけに多くの人々が集まってくる。

 世界中から押し寄せる登山者とトレッカ-の衣食住を満たすために、多くの、特にシェルパ族達がバティ(ホテル・ロッジ)を営み、お土産屋を開いている。そしてお客の荷持運びのポ-タ-やヤクドライバ-が住んでいて、定住している住民達がバザ-ルへ買い求めに集まる。

 

ナムチェバザ-ルへドウドコシ川を渡る

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エベレストが最初に眺められる休憩場所小広場

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小広場から望遠レンズでエベレストを撮る

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ナムチェバザ-ル入口に到着

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ソナ-・ロッジ

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ロッジのキッチンには地酒トンバの器が並ぶ

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ナムチェの町全景

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ナムチェ町とク-ンブヒマラヤとロ-ルワリンヒマ-ルの境に聳えるクワンデ峰6011m

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