koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第43回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十三回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の四回目

 

前回はエベレスト街道の出発地ルクラ飛行場について見てみた。

いよいよ世界一多くの人が訪れるトレッキング地、ソルク-ンブヒマラヤを歩き始める。

 高地で体に支障をきたす高度障害や高山病を考えると、出発地のルクラで一泊か二泊すると、高度順応が順調に体得できるのだが。

 2840mのルクラを出発して、次の宿泊地のパグディンPhakding 2652mが少し高度を下げるので、多くのトレッカ-は飛行機から降りて、近くのレストランでチャイを飲んだら直ぐに歩き出す。

 カトマンドゥから一緒に着いてきたガイドは、お客様がお茶をしている間に、カトマンドゥから持ち込んだ荷物の不足分を各エ-ジェントがルクラにデポしてある倉庫から取り出す。だいたいトレッカ-の寝袋や簡単な調理器具などは、ルクラに置いてある。カトマンドゥ発ルクラ行のフライトが、搭乗者一人15kgと制限されているから。ガイド達は、皆荷物の重量を軽くするために、各自ヤッケなどを着こんで搭乗する。

 パグディンに早めに着いたなら、次の宿泊地のチュモアChumoa 2950mか、もっと先のモンジョMonjo 2835mを目指すのも良い。パグディンよりは次の日のナムチェまでの登り標高差600mの日の歩く時間を短くできる。

 このトレッキング、最終目的地はエベレストを麓から見上げる地、カラパタ-ルKala Pattar 5550mを目指す。

 

サガルマ-タ 8848m

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ルクラのゾッキョ  登山隊やトレッカ-の荷物を待っている

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マニ石 経文石

時計回りに歩く  仏教で右肩が尊いと云われているからか  

お釈迦様は母親マ-ヤの右わき腹から生まれたとされているからか 

経文はオム・マニ・ペメ・フム 私は泥の中に咲く蓮の花のようになりたい

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ドウド・コシ川をつり橋で渡る

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ドウド・コシのつり橋を渡る ゾッキョと一緒に

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パグディン村 2652m

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トレッキング最初の宿泊バティ(ロッジ)

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パグディンの朝 ヌプラ峰の朝焼け ア-ベントロ-ト

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第42回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十二回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の三回目

 

 前回はネパ-ルヒマラヤのトレッキングの高度障害や、エベレスト街道トレッキングにあたって、その計画と出発地ルクラを写真で見てみた。

 このルクラ飛行場、世界でも最も危険な飛行場で有名。現在はテンジン・ヒラリ-飛行場ネパール語でतेन्जिङ-हिलारी विमानस्थलと正式名称がつけられている。テンジンとヒラリ-は1953年に、エベレストに初登頂した、シェルパ族のガイドとイギリス隊の登山隊員のお二人のお名前。

 

世界で一番危険な飛行場

 ここのルクラ飛行場の滑走路は、ネパ-ルの他の山岳飛行場の滑走路の中でも特にデンジャラス。カトマンドゥから飛行時間35分。V字の渓谷を上流に向かって飛行し、九十度方向転換して、登り坂の坂道を駆け上りながら着陸する。この滑走路460mしかない。ランニングすると間髪を入れずに急ブレ-キをかけないと止まらずに上部の斜面に激突する。

 離陸でフライトする時は、下りの傾斜した滑走路を駆け下って飛び立つ。双発プロペラ機は滑走路の一番端に停まり、ブレ-キをかけたままエンジンを全開にして、ブレ-キを解除して一気に勢いをつけ、滑走路の端の断崖絶壁寸前で飛び立つ。そして、V字渓谷へ急ハンドルして飛び立つ。

ランニングに成功すると、搭乗者全員が「ホッ」として、パイロットに大きな拍手喝采。

 

全てのフライト予約者が飛ぶまで飛び続ける

 このルクラエアボ-ト、ネパ-ルの他のフライト事情とは異なる。カトマンドゥからルクラへのフライトをする会社は4会社。搭乗予約で断られることがない。普通のフライトは、事前にフライト時間が決まっていて、搭乗希望者は飛行機会社へフライト時間を指定して予約する。しかし、この飛行機のフライト出発時間は、早朝の日が昇る時間から始発となる。そして、その会社の飛行機台数にしたがって、飛び立つ時間差で二便・三便となる。

 ここからが他の飛行場のフライトと違うところ。ネパ-ルのエベレスト街道は、全世界の登山愛好者のトレッキングコ-スであり、また登山と関係のない人々の観光の憧れの地。世界で一番多くの人が訪れる山岳地なのだ。

 飛行機会社のルクラ飛行機全機が飛び立った後にも、多くのフライト予約者が待っている。折り返し運転で、全てのフライト希望者をルクラへ運ぶことになる。予約して登場できないキャンセルになる人は、日没による有視界飛行困難が原因に限られる。

 

天候悪化でフライトキャンセルが続く

 カトマンドゥ発ルクラ行のフライトは有視界飛行。悪天候ならフライトがキャンセルになる。一便は好天でフライトOKでも、次の便が飛べるわけではない。トレッキングシ-ズンに3日から4日続けてキャンセルなら、カトマンドゥやルクラでそれぞれ3千人も行き帰りの予約者が溜まるこになる。カトマンドゥから行く人は良い。帰りのルクラ初の人達は、カトマンドゥから自分の国へのフライト日を過ぎてしまうことになる。会社勤務など、困るを越えて大変なことになるのだ。

 天候悪化などでフライトキャンセルになったチケットの取り扱いはどうなるのだろう。次のフライトできる日の一番早い便に振り替えてくれる。一番機に予約していた人のチケットは、キャンセルチケットの振替後の便に自動的に変更になる。どの便が一番機かは、フライトの会社の人やパイロットしか知らないので、搭乗者たちは出発時間が遅れたらしいくらいしか分からない。

 

エベレスト街道の使用物資のほとんどを運ぶ飛行機

 機のフライトは有視界飛行なので、日が昇る時間から日が落ちる時まで、折り返し運転が続く。この飛行機、お客様の搭乗者だけを乗せるわけではない。貨物機ではないのだが、貨物専用機に変身もする。

 世界中から押し寄せるトレッカ-や観光客が、ルクラの町とそれより上部のエベレストの眺められる町村に滞在するのだから、その人達の衣食住を賄わなければならない。それらの衣食住の品々は、その殆どをカトマンドゥからフライトで運ぶことになる。飛行機一機の貨物室や乗客室が瓶ビ-ルで満載のフライトがあったりするのだ。

 

ネパ-ルの飛行機事故の歴史

過重飛行の事故で荷物重量制限

 カトマンドゥ発ルクラ行のフライト事故が発生した。事故調査の結果、一機に搭乗する人と荷物の合計が過重だったと判明。以後のネパ-ル国内フライトは、厳重な重量制限となり、搭乗前には一人ひとりの重量を計り、荷物の重量との合計が厳重に管理される規則となる。

 特に滑走路の危険なルクラ行のフライトは、預ける荷物と機内持ち込み荷物の合計重量が最大15kgになった。オ-バ-チャ-ジを支払っても15kg以上はダメ。

 運ぶ荷物が15kg以内の規則に、登山隊は大困りだ。ネパ-ルのエ-ジェントは、ルクラに倉庫を借りて、登山隊の必要品を事前に調達するようになる。

 

ネパ-ルの航空機事故歴史
 ここ20年間(1992年から2010年)でネパールは66回の航空機事故をおこしており、その42回はツインオッター、アブロ等の固定翼機によるもので乗客、乗務員の生命が奪われた。

ネパールの主な航空機事故

1950年 130年間の鎖国を解き開国、飛行機どころか車も数台しかなかった

 

1955年3月3日

DC-3

KalingaAir

ネパール北西部シムラ 

 

 

 

 

ネパールでの最初の航空機事故

 

1969年7月12日

DC-3

ネパール航空

南部ヘタウダ

死者35名

 

1992年7月31日

A310

タイ国際航空

カトマンズ北の山

死者113名

 

1992年9月28日

A300

パキスタン航空

カトマンズ近郊

死者167名

 

1999年10月0日

AVRO

ネコン航空

カトマンズ近郊

死者15名

 

2000年7月27日

ツインオッター

ネパール航空

ダレルドラ

死者25名

 

2002年9月29日

ツインオッター

シャングリラ航空

カスキ

死者18名

 

2006年6月21日

ツインオッター

イェテイ航空

ジュムラ

死者9名

 

2006年9月23日

MI-17ヘリコプター

シュリー航空

東ネパール

死者24名

 

2008年3月3日

MI-17ヘリコプター

国連

東ネパール

死者10名

 

2008年10月8日

ツインオッター

イエテイ航空

ルクラ

死者18名

 

2010年8月24日

ドルニエ

アグニ航空

東ネパール

死者14名

 

2010年12月15日

ツインオッター

タラ航空

東ネパール

死者22名

 

2011年8月25日

ツインオッター

ブッダ航空

カトマンズ

死者18名

 

 2012年9月28日カトマンズ空港をルクラに向けて飛び立った国内線が離陸直後"わし”と思われる鳥に右側のエンンジンに直撃され空港近くに墜落した。事故機はシータ航空のカトマンズ空港早朝6時15分発のルクラ行きで搭乗していたネパール人7名、イギリス人7名、中国人5名全員19名が死亡した。

 ネパールでの航空機事故は1946年以来46件683名が死亡している。ちなみに、ここ10年の9月に起こった事故は

1.

1992年9月26日

ネパール・エアーウエイ

ルクラ空港

負傷者

2.

1992年9月28日

パキスタン航空

カトマンズ空港南10km

167名死亡

3.

1999年9月05日

コン・エアー

カトマンズ空港西方数キロ

15名死亡

4.

2006年9月23日

シュリー・エアー

タプレジュン

24名死亡

5.

2011年9月25日

ブッダ・エアー

カトマンズ近郊

19名死亡

6.

2012年9月28日

シータ・エアー

カトマンズ空港500m

19名死亡

 

航空機事故
 ネパール航空のツイン・オッター機がジョムソン空港でオーバーランし滑走路の先のカリガンダキ川に転落した。乗客、乗務員等22名を乗せて早朝8時10分にポカラ空港を離陸したツインオッター機には日本人も8名乗っていたが5名が負傷した。幸いなことに死者はなかった。

 

2014年2月17日 航空機事故
 ネパール航空のツインオッター機がポカラからジュムラに向かっていたが行方不明になり森林に墜落しているのが発見された。同機には15名の乗客と3名の乗務員が搭乗していたが全員の死亡が確認された。

 

2015年3月4日早朝午前6時半 航空機事故

 一番機イスタンブールからのトルコ航空機A330が滑走路を外れ着陸に失敗した。幸い死傷者は無かったがそれから4日間にわたりカトマンズ空港は閉鎖された。ネパール政府は航空機の移動の為インド政府に機材の提供などを要請し、インド空軍の航空機が資機材を運びようやく4日後の7日午後7時過ぎに空港は開港した。このため、約50000人を超える出国者とニューデリーバンコク、ホンコン、ドバイ等の中継点ではカトマンズに向かっていた多くの観光客が立ち往生した。

 

2016年2月26日 航空機事故

ネパール西部カリコット地区で、乗客乗員11人乗りが墜落。操縦士2名死亡、乗客9名負傷。

 

2016年2月23日 航空機事故

 ネパール中部ポカラから早朝7時45分にジョムソンに向かったタラ航空(9N-AHH)がミャグデイ郡ルプスに墜落乗客20名と乗務員3人全員の死亡が確認された。乗客の内外国人は2名(中国人・クゥエ-ト人)であった。 新聞記事では、ポカラから南方に100km。

 

テンジン・ヒラリ-空港 ルクラ飛行場

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貨物機としてルクラ着

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第41回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十一回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二回目

 

 前回はネパ-ルヒマラヤのトレッキング、首都カトマンドゥ標高1350mに到着から、トレッキング出発地のルクラまでを写真で見てみた。

 そして、国立公園指定のソルク-ンブ地域について、日本や他国との国立公園の概念の違いや、高山病について触れてみた。

 

パッケ-ジの登山やトレッキング 

 わたしのヒマラヤトレッキングは、ネパ-ルのエ-ジェントに全てをパックで依頼することをしない。今回もカトマンドゥからルクラ往復のフライトチケットの手配。そして、ガイト一名をお願いするだけで、トレッキングに関するその他全てを自分でマネ-ジメントすることにした。わたしは一度もパッケ-ジされた登山やトレッキングをしたことがないので、その方法が分からない。

 日本国内やネパ-ルのエ-ジェントが企画する現在のネパ-ルトレッキングの全部は、最初からパッケ-ジされていて、日程や支払う料金が最初から確定している。ゆえに、自然が原因のアクシデントが無い限りは変更なく実施される。

 わたしのトレッキングはパックを使っていない。ほとんどの行動が自由なのが良い。今回のエベレストトレッキングも計画はキチント立案しているが、実行する途中では自由な行動をとった。

今回も高度障害

 ルクラの2840mに降り立った時から、頭が軽く思い感じだった。わたしは1981年と1982年続けてネパ-ルの高地に行く機会があったが、この両方共に高度障害に苦しんだ。幸い高山病まで重症にならず、今日まで元気に過ごしている。

 1982年には、今回と同じルクラから登山のためのキャラバンを開始。4300mのベ-スキャンプに入るやいなや、重度の高度障害で歩くこともままならない状態になってしまった。コック見習いのカンチャをしていたナムゲル・シェルパに背負われ、隊員が岩場をロ-プ確保してくれ、標高500mを降ろされた経験がある。わたしの若いクライマ-だった時代の苦い思い出だ。

 今回のトレッキングも、途中頭痛が直るかと考えながら、予定よりも2日間日程をずらしてゆっくり行動。それでも頭痛が直らず、4252mのペリチェ村で、国際診療所を開設しいてので診察を受け、ダイアモックスの利尿剤で回復した。

 4350mのデインボチェ村に滞在していたのを、30分くらい下ってペリチェに移動した。団体パッケ-ジのトレッキングではこうはいかない。たぶん一人残されて、他のメンバ-は予定通りの行動をするのだろう。

 

 今回は、エベレスト街道トレッキングにあたって、その計画と出発地ルクラを写真で見てみる。このブログには、登山計画や日本から持ち込む装備やネパ-ルで仕入れる装備などもアップしてみる。

 

1982年当時はルクラ飛行場でソフトボ-ル試合

 わたしはルクラにフライトで降り立った最初は1982年ポストモンス-ン季だった。その時のルクラは数軒の農家があり、エアポ-ト施設も小さく、飛行機が降り立つランニングバ-ンは草地で石ころだらけの坂道だった。その時は、ク-ンブヒマラヤの西隣ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mの登山で訪れた。登山を終えてルクラへ戻り、兵庫県の登山隊とルクラ飛行場でソフトボ-ルの試合をしたのを想い出す。坂道の飛行場だったので、バッタ-は坂の下りへ打ったらアウトにした。打ったボ-ルをとりに走るのが大変なのだ。

 

ネパ-ルヒマラヤ・エベレスト街道トレッキング計画

期間 10月9日~11月5日(予備日11月7日まで)

行動計画

 10月09日(日)NH(全日空)1718便・千歳発18時50分――関西空港着21時00分

    10日(月)TG(タイ航空)673便・関空発01時25分――バンコク着08時20分(時差2:00)

          TG319便・バンコク発10時30分――カトマンドゥ着12時35分(時差1:15)

    11日 (火) トレッキング準備

12日(水)YA109便・カトマンドゥ発08時30分――ルクラ着09時10分     

ルクラ(Lukla)2804m――パクディン(phakding)2610m

    13日(木)パクディン――チュモア(chumoa)2950m――ナムチェバザ-ル(namche)3440m

        14日(金)ナムチェ―3h-シャンボチェ(ピストン)

    15日(土)午前中バザ-ル ナムチェ――キャンヅマ(kyamjuma)

    16日(日)キャンヅマ――タンボチェ(tyangboche)3867m

    19日(水)タンボチェ――パンボチェ(pangboche)3985m――ディンボチェ(dimgboche)4350m)

    21日(金)ディンボチェ――トゥクラ(tukla)4620m――ロブチェ(lobuche)4930m

    23日(日)ロブチェ-4h-ゴラクシェプ(gorakshep)5150m

    24日(月)ゴラクシェブ―1h30-カラパタ-ル登頂(kala pattar)5545m――ゴラクシェプ――ロブチェ

    25日(火)ロブチェ――トゥクラ――ペリチェ(periche)4252m

    26日(水)ペリチェ――タンボチェ

    28日(金)タンボチェ――ナムチェバザ-ル

    30日(日)ナムチェバザ-ル――モンジョ(monjo)2835m 又は チュモア(chumoa)2950m

    31日(月)――ルクラ

 11月01日(火)YA108便・ルクラ発09時00分――カトマンドゥ着09時40分

    02日(水)~ ルクラ・フライトキャンセルの場合のフライト待ち 4日(金)まで

04日(金)TG320便 カトマンドゥ発13時50分――バンコク着18時15分

          TG622便 バンコク発23時59分

    05日(土)関空着07時10分

          JAL(日本航空)2503便 関空発11時05分――千歳着12時55分

 

 

ネパ-ル・ソルク-ンブヒマ-ル トレッキング装備表 

 

パスポ-ト                  カメラフイルム3

パスポ-ト写真                カメラ三脚

航空券                    

現金(円 $)

海外旅行保険証                トレッキング用

住所録                    地図

ガイドブック                 長袖シャツ

電卓                     下着上下

トランプ                   靴下 2

ウオ-クマン(MD) スピ-カ-       ヤッケ 羽根毛服

折り紙                    ズボン 2

割り箸                    トイレットペ-パ-

地図(カトマンドゥなど)           手袋 2

筆記具・絵画用具               雨具

 スケッチブック(含パステル)        帽子

 色鉛筆 練りゴム 固形水彩         日焼け止めクリ-ム・クレンジングクリ-ム

筆(大小)  ロトリング          ザック ザックカバ-

油性マジック パステル           トレッキンググシュ-ズ サンダル

半・長袖シャツ                ガスヘッド ガスカ-トリッジ(ルクラ)

下着上下                   サングラス

靴下                     シュラフカトマンドゥ) コッヘル

ズボン(予備)                ヘッドランプ

ハンカチ・バンダナ              万能ナイフ

ティッシュ                  目覚まし時計

洗面用具 タオル大小             予備腕時計

 せっけん シャンプ-            磁石 高度計

 歯ブラシ 歯磨き粉             ライタ- 4個

薬品 点耳曹 風邪薬             ストック 1

 下痢止 胃・頭痛薬             テルモス 水筒

 睡眠剤 傷ナンコウ             双眼鏡

 綿棒 体温計 マスク            カップ

 フルコ-ト ピンセット           空気まくら

 筋肉痛止め 目薬              マット(カトマンドゥ

 ガ-ゼ 包帯 傷バン            

 消毒剤                   梅干

かさ                     ヨ-カン

ビニ-ル袋                  飴 コンペ-ト

アイマスク                  チョコレ-ト

洗濯石鹸・ロ-プ・ばさみ           黒糖

裁縫用具                   ポカリスエット

つめ切り                   アルファ米(五目・山菜)

帽子                     カステラ

電池単3 50本               紅茶(ティ-パック)(カトマンドゥ

電池充電器

変圧器・プラグアダプタ-

デジタルカメラ 簡易カメラ

 

ルクラからナムチェバザ-ル

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ルクラ2840mのヒラリ-・テンジン飛行場

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ブレ-キをかけ、エンジンを精いっぱい吹かして、ブレ-キ解除

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レスキュ-ヘリ  カトマンドゥ→ルクラ→負傷者へ

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ルクラの街

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ルクラのバサン病院

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現在はオ-トバックス店などがある

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街道沿いにバティ(ホテル・ロッジ)やお土産屋など

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ルクラの 肉屋と靴直しと青年

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第40回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤ)

 

 今回からネパ-ルのソルク-ンブヒマラヤ・トレッキングを多くの写真で見てみたい。世界のテッペン、エベレスト8848mは勿論、6千m峰7千m峰など、天を突く尖峰の数々を数百枚の写真で見てみたい。

 山岳のトレッキングは、多くの人々が世界中を歩いている。日本でもNHKテレビで「日本のトレッキング100」を放映しているくらいだ。

 世界中からトレッキングを目的で訪れる人達が一番多い地域が、ネパ-ルのソルク-ンブエリア。ネパ-ルの首都カトマンドゥから陸路で訪れる人は少ない。大多数の人々はカトマンドゥから35分のフライトで、ヒラリ-・テンジン空港へ降り立つ。飛行機に乗らずに陸路だと、標高の低い地域を約一週間歩く。そして飛行場のあるルクラへ到着する。フライトしで往復だと二週間の日程が節約になる。

 登山やハイキングをしている人なら、一度は見たいエベレスト。エベレストはネパ-ルではサガルマ-タ。サガルマ-タ地域はネパ-ルのナショナルパ-クになっている。そして、国際連合世界自然遺産に登録されている。

 日本では国立公園だが、日本以外の「ナショナルパ-ク」の定義は少し違う。日本の国立公園では利用と保護の両方が定義づけの中にある。「利用と保護」と云う相反する定義を一緒にする疑義がいつもついて回る。ネパ-ルやアメリカなど他国の国立公園指定は、一定地域の保護が目的になっている。

 日本以外の他の国との現実の違いを見てみると。例えばアメリカのヨセミテ国立公園と日本の相違点で見ると。ヨセミテ国立公園高所にあるキャンプ場のトイレは、ヘリコプタ-つり上げ式の便槽になっている。ヨセミテの全てのキャンプ場使用者は、トイレ以外の糞尿処理を禁止されている。日本の大雪山国立公園を見てみると、国立公園管理事務所はトイレの設置を管理不能を理由に認めていない。その為に登山者の糞尿は、いたる場所で行われ、高山植物に被害が出るに至った。日本のし尿処理の考え方は、札幌市内の大道公園や中島公園に、管理人の人件費が掛かるのでトイレを設置しない、と云ってる様なものだ。

 日本の国や登山愛好者たちは、登山者のし尿を自然保護段階の知識や知見で取り扱っているのが一番いけないのかもしれない。アメリカでは、単純に糞尿処理を衛生問題と捕えていて、その解決にはお金も労力もかけるのである。日本では多くの人が利用する場所ではトイレを設置して管理も行われるが、利用者が登山者のみの少数だと設置されない。人間が生活する場所の衛生問題として捉えれば、利用者の多い少ないは関係ない事、と私は考えるのだが。

ナショナルパ-ク・国立公園の問題から、大分横道を歩き出してしまった。元に戻そう。

 カトマンドゥからエベレスト街道のトレッキングに陸路でいくのか、またはフライトで行くのか。、今日までこの二週間の短縮のために、多くの命が高山病で失われている現実がある。ルクラの標高が2840mで、カトマンドゥを飛び立って午前中にルクラへ降り立つ。たいていのトレッカ-はすぐに歩き出す。そして、次の日には標高3440mに滞在するのである。カトマンドゥの低地から二日後には3440mなら、だいたい普通の人なら、3440mに着いたとたんに高度障害に襲われる。

 高山病は、脳浮腫や肺水腫などが重篤になり、回復しない場合は死に至る。高度障害は個人差はあるが、一定の高度に達すると二日酔い程度の症状が現われる。高山病とは区別されるが、軽い高山病と考えると分かるだろか。

 多くの人が死亡している、と書いたが、本当に多いのだ。信じられない程の多さだ。この文書の最初に、一生に一度はエベレストを観たいと書いた。楽しいはずのネパ-ルトレッキングでなければならない。登山隊が遭難したり事故で隊員が死亡したら、すぐにテレビや新聞報道されるのだが、わたしにはどういう訳か分からないがトレッカ-の死亡は報道されない。ネパ-ルでもこのエベレスト街道に限っては特述するほど、楽しさと悲しさが表裏になっている。

 フライトを利用しないで陸路で歩けば、一日の標高差は少しになる。一気に2840mにはこれないので、高度順応が自然とできる。人間の赤血球・ヘモグロビンは、一週間から十日間くらいで、約二倍に増加する。3440mのナムチェバザ-ル町まで一週間から十日かけて歩けば、赤血球は二倍になる。ヘモグロビンは、呼吸した空気を肺から酸素を取り込んで血管から体内へ運ぶ。ヘモグロビンが二倍だから、二倍の酸素を運ぶことになる。高所の5500m位が、低地の約半分の気圧で、酸素も半減する。3440mの気圧の刺激では二倍までは増えないにしても、高山病に至ることはないのだ。

高度順応や高度障害・高山病に触れたが、では楽しいエベレスト街道トレッキングを始めよう。

 

タイエア-でカトマンドゥのトリブバンエア-ポ-トに到着

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機内からカトマンドゥ市内を見下ろす

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カトマンドゥの三ツ星ホテル インタ-ナショナルゲストハウス

南国の木 ブ-ゲンビリアがお出迎え

5階建てのホテルに届く

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カトマンドゥ トレッキングに出発

トリブバン飛行場・国内線へ

エ-ジェントのガイド二名が荷物を押して見送りに

わたし達は一人5kgほどの荷物だけ

一緒に行くガイドは、預ける荷物の重量を少なくするためにヤッケを着て

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カトマンドゥ発ルクラ着の国内フライトからエベレストを望む

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ヒラリ-・テンジン空港 ルクラLukla 2840m飛行場

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世界の危険な飛行場に指定

有視界飛行で峪状から尾根にブブブ-ンと進路変更

坂道の滑走路を下から登る様に入る

急ブレ-キ

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無事に着陸すると、乗員のお客全員の拍手

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ルクラの飛行場

カトマンドゥのお客でごった返す

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第39回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その三十九

カンチェンジュンガエリア・トレッキング 番外編 十一回目

インド紅茶の産地ダ-ジリン地方

 カンチェンジュンガエリアのトレッキングを計画した時に、インドのダ-ジリンに滞在することを予定していた。

 ネパ-ルのカンチェンジュンガ峰は、インドとの国境に聳える世界第3位の高峰。ネパ-ルの一番東端のトレッキングなので、国境を越えてインドへ入り、国境近くのダ-ジリンまで足を延ばすことにした。

 ダ-ジリンは世界の誰でもが知っている紅茶の産地。インドの紅茶生産量の三分の一がダ-ジリン産。

 ネパ-ルの国境にある町カ-カルビッタから国境を越えると、インドのスィリグリ-町に入る。ここの標高は300mくらい。ダ-ジリンの町は標高2千mにある。この標高300mから2000mまで、ずっと茶畑が続く。インドのスィリグリ-に入ると直ぐに茶畑が現れる。スィリグリ-はインドのタライ平野にある町で、滞在したのは3月~4月にかけて。亜熱帯気候で暑いのなんのって、昼間は40度Cを超える。札幌から行ったわたし達は夜間でようやく生活できる気温になる。

 続く茶畑は途切れることはあるが、距離で70km、標高差1700mに広がる茶畑は、なんと云おうか果てしない。この広大な畑から取れる茶葉だが、インドでの栽培茶葉の三分の一でしかない。

 ダ-ジリンの茶葉の取り入れ日は4月1日から始まる。わたし達がダ-ジリンに滞在したのは、丁度4月1日だった。それで、これ幸いと茶葉の刈取り風景や紅茶生産工場などを見学に行った。茶葉の取り入れは、お茶の木の枝の先、その先の若葉三枚を一度に収穫する。

 インドのスィリグリ-からダ-ジリンまではねトイ・トレ-インと云われる蒸気機関車が運行されている。この蒸気機関車は、イギリスの植民地だった時代から、イギリス向けの紅茶栽培と収穫した紅茶の、イギリスへの運送のために鉄道を敷いた歴史がある。トレッキングを終えたわたし達は、ジ-プに乗ってダ-ジリンまで登るが、この蒸気機関車を追い越し追い越されの、楽しい道中だった。

 ダ-ジリンは標高2千m、この冬季以外一年中涼しい気候環境で、インドを支配していたイギリス人や、インド人達の避暑地となっていた。

ネパ-ルのダブルビザ

 日本からネパ-ルに入国時には、ネパ-ルのビザが必要。わたしは普通には、ネパ-ルのイミグレ-ションでビザの申請をしている。今回はネパ-ルから一度インドへ国境越えして、再度ネパ-ルへ入国するので、最初にネパ-ルのイミグレ-ションで手続する時に、ダブルビザの申請をした。係官からは、ダブルOKだけど、何時出ていつ戻るの、聞かれる。日程の書かれた日本語で書かれた計画書を提示すると、係官は見たのかどうか、分かったふりして手続完了。こうしてダブルビザを取っておくと、ダ-ジリンからの帰りに、ネパ-ル入国時に新たな手続きが不要となる。

ネパ-ルのイラムからカ-カルビッタへ行く商店主に、頼み込んで車に同乗させてもらう。

お腹がすきカ-カルビッタでバナナ

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インドの国境、イミグレ-ション

西ベンガル州・スィリグリ-町

まだまだダ-ジリンまで遠いが、このイミグレ-ション名は「ダ-ジリン」

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ネパ-ルの出国イミグレ-ションからインド側のイミグレ-ションまでは輪タクで移動

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ネパ-ルのダブルビザ

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インドビザ

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トイ・トレ-イン ダ-ジリ鉄道

機関車に人  坂道上りで空回りしない様に砂を線路にまく

線路の幅は62cm

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ダ-ジリンの街からカンチェンジュンガ峰Kanchenjunga8586m

峰の頂上の左側はネパ-ル。右側はインド・シッキム州

ダ-ジリンの左隣の町は国境を挟んでネパ-ルのイラム町、続く茶畑に国境の線は見えない。イラムの西隣ダンクタ茶も売出し中。

ダ-ジリンの北側のインド・シッキム州にもダ-ジリンのお茶の木が移植され、栽培されてい。移植された茶樹なので、味が似ている。

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「ヒラリ-自伝」より

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ダ-ジリンの街

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ダ-ジリンで一番大きなお茶屋さん

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国境を越え、インドに入ってすぐのバグドグラ町の茶畑

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ダ-ジリンの茶畑

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4月1日から茶葉の取り入れが始まる。ダ-ジリンの紅茶工場見学

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第38回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その三十八

カンチェンジュンガエリア・トレッキング 十回目

ネパ-ル紅茶の産地イラム地方

 

カンチェンジュンガエリアのトレッキングを終え、帰りのフライトをキャンセルして路線バスで下山を決める。

 飛行場のあるタブレジュンからビラトナガ-ルへのフライトだったが、インド国境の町カ-カルビッタまでバスで移動なのだが、途中のイラム町のインド国境にイミグレ-ション(税関)があることを知る。この税関からインドへ国境越えすると、目的地のインド・ダ-ジリンまで一時間で到着できる。タライ平野まで降りて、カ-カルビッタからインドのスイリグリ-に国境越えして、ダ-ジリンまではまる一日を要する。

ネパ-ル国内の紅茶の全ての需要を賄っているティ-の産地、イラムを目指す。

 イラムに着いてから、イミグレ-ション(税関)に行って手続を取ろうとして残念。確かに係官が居て建物もある。しかし、わたし達外国人のパスポ-トに押す出国スタンプが無いと云う。ここのイミグレ-ションは、インド人とネパ-ル人が行き来するだけの役割しか果たしていないのだ。元々インド人とネパ-ル人は、国境を越えるのにパスポ-トの提示はいらないし、ビザの申請もない。国境に線が引かれている訳でもなく、自由に行き来している筈。

又、路線バスでタライ平野の国境の町まで下らなければならなくなった。

 

 わたしは10年前から、一年のうち数か月をネパ-ルで過ごしている。ネパ-ルで生活する理由は、特別には無い。札幌への帰りには必ず香辛料と紅茶を購入して、輸入税は支払わない程度の量を日本に持ち込んでいる。

 昨年も9月から11月までネパ-ルで暮らしていて、帰りにチャイ(ミルクティ-)用の紅茶を仕入れた。いつもはインドのアッサム産のチャイ用小粒のティ-と、同じくアッサムのチャイ用の茶葉を買う。この二種類をブレンドして使用している。小粒の紅茶を2に対して茶葉を1。いつも買うネパ-ルティ-ハウスのおやじが、今回はいつもと違う良質の茶葉が入ったから買えと云ってくる。

 新しく入荷した茶葉は、なんとネパ-ルの最東端のイラム地方の紅茶だった。カンチェンジュンガエリアからバスで戻る途中にある町イラムなのだ。

 これがバカ高い値段。わたしがネパ-ルでいつも買う紅茶の値段は、アッサムティ-やダ-ジリンティ-の中で最高級の一番高い値段のを買う。ネパ-ルティ-ハウスで売っている一番高い値段の紅茶は、ダ-ジリン産の二番茶、セカンドリ-フだ。一キロ8000RSネピ-。セカンドリ-フでない一番茶や三番茶以降のお茶の一番高いのは2000RSルピ-だから、ダ-ジリン産のセカンドリ-フが高級品なのが判るだろう。1ルピ-=1円

 インドのダ-ジリンは戦前から戦後の少しまでは、大英帝国イギリスの植民地だったことで、今日でもイギリスの大手紅茶専門会社が一番の仕入れ先となっていて、このセカンドリ-フを一番先に買い占めるのだ。それで、世界中のダ-ジリン産の二番茶、セカンドリ-フが高騰する。

店主の勧めてくれたチャイ用のイラム産茶葉の値段を聞いてびっくりする。1kg5500RSルピ-もする。ネパ-ルの紅茶の物価水準ではありえない値段。茶葉を見せてもらった。日本のお茶でも高級品は、紅茶の木の枝が入ってなく、葉っぱだけが丁寧に作られているのを見かけるが、それと同じだった。いつも購入するアッサムの茶葉と比較すると、嵩(かさ)が多い。それで、いつもは小粒の紅茶を2に対して茶葉を1だったのを、。小粒の紅茶を4に対してイラムの茶葉を1にすることとした。

 ちなみに、アッサム産の小粒の紅茶や茶葉の値段は、両方共に同じ1kg800RSルピ-だった。800が5500RSルピ-に大化けした。

カトマンドゥで1kg800ルピ-で購入する小粒茶葉は、札幌で買うと50g1000円。1ルピ-=1円

 

バスで尾根を越え谷を越えして、ネパ-ルのイラムの紅茶畑が現れる

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ネパ-ル紅茶で有名なイラム

隣町のインド・ダ-ジリンへの国境、イミグレ-ション(税関)

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国境・ネパ-ル側

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直径1mm~2mmのアッサム小粒ティ-とイラム茶葉のミックス

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カンチェンジュンガエリアからイラムに向かったのは3月

これからの写真はネパ-ルの雨季のイラム(雨季は5月中ごろから始まる)

ネパ-ルの雨季は、あっちこっちで車が動かなくなる

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ネパ-ル全土の紅茶の需要を満たしているイラムの茶畑

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かごのドッコに茶つみ

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イラムのお茶工場

摘んだ茶葉を蒸して発酵、ロ-ラ-で揉む

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第37回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その三十七

カンチェンジュンガエリア・トレッキング 九回目

 

 ネパ-ルのカンチェンジュンガエリアのトレッキングは、飛行場のあるタブレジュンから始まる。このコ-スも九回目、振出のタブレジュンに戻ってきた。

 トレッキングの最奥地ラミテ峠3500mで、大雪に行く手を阻まれ引き返してきた。予定よりも3日間も早く戻ってきた。取りあえず、タブレジュンからのフライトをキャンセル。路線バスで下ることにした。

 タブレジュンは大きな町で、映画館がある。毎日開催されているのかどうか不明だが、大きななんでもバザ-ルが開かれていた。時間がどっさりあるので、映画館に入り、インド映画を観る。サンスクリット語の映画は、詳細な内容が判らない。だが、いつものインド映画だ。主演の男優が、多くの女性たちに囲まれて、踊りに踊る映画。

バザ-ルは大規模で、何でも手に入る様な、野菜・果物・肉類・乾物・塩、等々なんでも売っている。

 

帰路のフライトをキャンセルして、路線バスに変更。

 事前の計画では、タブレジュンからフライトしてビラトナガ-ルへ。そこから陸路でインドの国境のカ-カルビッタへ移動して、インドのスイグリ-へ国境越え。そして、標高300mからジ-プで標高2000mのウエスト・ベンガル州のダ-ジリンだった

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タブレジュン町のバザ-ル風景

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肉屋と塩屋 塩はゴルフボ-ルより少し小さい丸い塩を積み上げている

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