koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第26回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十六

ランタンヒマ-ル・トレッキング 八回目

 前回は2002年当時のランタンヒマ-ルのトレッキングル-ト、キャンジンゴンパからランシサ・カルカまでを見る、と予定したが。行き着けなかった。

今回こそは、ランシサ・カルカまでを写真で見てみる。

 

キャンジンゴンパ周辺の山々

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キヤンジンゴンパからチベット国境に聳えるヒマラヤ

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キャンジンゴンパのチベット仏教

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キャンジンゴンパのバティのサウニ(女主人)

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ヤク 

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ランシサ・カルカ Langshisa Kharka 4125m

雪のテント場 食事作り

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早い雪に、放牧中のヤクは前足で雪をかき分け草を探す

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ランシサ・カルカに放牧のヤク

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チベット国境のヒマラヤの山々

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ランタン・ヒマ-ルのナキウサギ

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第25回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十五

ランタンヒマ-ル・トレッキング 七回目

前回は1981年当時のランタン村からキャンジンゴンパまでを写真で見てみた。

 今回はそれから21年後の2002年のランタン村からキャンジンゴンパと、そこから家が無いヒマラヤの奥地、チベットとの国境にそそり立つ6千m~7千mに迫るヒマラヤを眺望するランシサ・カルカまでを見る。

 

ネパ-ル語の「カルカ」は、放牧地の意味。

 

 ランタン村が3500m、キャンジンゴンパは3800m、ランシサ・カルカは4125m、ちょうど水牛とヤクを掛け合わせたゾッキョやヤクの生育できる標高。

 ランタン村では多くの家畜としてのヤクやゾッキョを飼っている。春になるとそこから家畜の餌の牧草を求めて標高700m近く登る。秋の降雪前にランタン村へ戻る。

 3800mのキャンジンゴンパは、わたしがトレッキングした1981年当時はただ一軒のチ-ズ工場の小屋があった。現在では、多くのトレッカ-を受け入れるバティ(ロッジ)が建てられ、町を形作っている。2015年4月25日のネパ-ル大地震では、上部のヒマヨラの山の氷河が崩落、ランタン村は全滅、キャンジンゴンパは半壊の家が多い。懸垂氷河が地震の震動で崩落、ヒマラヤの急傾斜斜面を転がり落ちる。ランタン村は、途中の土砂を巻き込んで落下。キャンジンゴンパは粉々の猛吹雪となって襲った。

 わたしは昨年の5月までNPO法人北海道雪崩研究会の会長をしていた。長い研究生活で、この氷河雪崩の速度は時速200km以上程度だと考えられる。

キャンジンゴンパを襲った雪崩については、次回に観てみる。

今回は2002年当時のランタン峪のキャンジンゴンパ周辺を写真で見てみる。

 

1981年のキャンジンゴンパ

ヤクやゾッキョのミルクから作るチ-ズ作りの小屋が一軒あるだけ

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2002年当時のキャンジンゴンパ

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キャンジンゴンパからのランタンリルン峰 Langtang Lirung 7234m

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ランタンリルン峰から流れ下る氷河

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ランタン川を渡るゾッキョやヤクの群れ

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キヤンジンゴンパ周辺の山々

下の写真 ドルジェ・ラクバ峰

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放牧中のヤク

ヤクは毛並で分かる

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バティ(ロッジ)の家族

男経営者をサウジ 女経営者をサウニと云う

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第24回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十四

ランタンヒマ-ル・トレッキング 六回目

前回と前々回はネパ-ルのランタンヒマ-ルを襲った大地震の被害を写真で見てみた。

今回は1981年ポストモンス-ン季のランタンヒマ-ルのトレッキングに戻ってみる。

 約10軒しかなかったランタン村は、当時バティ(ロッジ)は一軒も無く、素通りして目的地キャンジンゴンパまで歩いた。

 

ネパ-ル語のバティの意味は、日本の宿場とレストランを兼ねたロッジのこと。

 

昔のトレッキングは大勢で、ガイドやポ-タ-達と一緒に行動していた

 1981年当時のネパ-ルヒマラヤのトレッキングは、ガイドを連れ、コックを連れて三食調理した食事を食べていた。食材はカトマンドゥを出発する時に多少は持参する。そして、トレッキング途中で地元の食材を買い足して、コックとカンチャと呼ぶコック見習が調理する。ですから、カトマンドゥから調理器具と食器を持って行くのだから、トレッキング出発地でのポ-タ-の雇用は多人数になる。

ガイドやコックなどは、自分の荷物はあまり持たずに、お客さんのわたしと同じ位の荷物しか持たない。宿泊地やお昼ご飯を食べる頃には、地元の農家などの庭先や取り入れが終わった農地で、コックが煮炊きをする。たき火の焚き木は、そこの農家から分けてもらいことになる。大きな町ではバティがあるので、そこに宿泊するときもあるが、昔のトレッキングは必ずコックの調理した食事をとった。バティに宿泊の時は、そこのレストランの調理場・台所を借りて調理していた。

 

最近のトレッキングのポ-タ-選びは大変

 最近のトレッキングは様変わりだ。一部カンチェンジュンガ峰エリアなどを除いて、ネパ-ルのトレッキングル-トは要所ようしょにバティが建てられている。なので、お客さんのわたし達はコックを連れずに最後まで歩くことができる。最近のエベレストコ-スを歩いた時は、私と女房の二人のお客さんに、ガイドが一人とポ-タ-が一人だった。

 ポ-タ-は、飛行機がルクラ飛行場に着くと多くのポ-タ-達が雇ってくれと云って集まるが、わたしは地元の農家の息子をあえて雇った。ガイドが一人の場合は、そのガイドは身元の分からない何処のだれか分からないポ-タ-だと、ポ-タ-の担いだお客さんの荷持が心配で付きっきりになる。要するにわたし達お客さんのガイドは二の次になる。そして、地元の職業ポ-タ-は、歩いている途中でポ-タ-賃金の値上げを言い出すのだ。

 わたしは、ポ-タ-選びについて、プロのポ-タ-よりも身元のしっかりした素人でも良いと思っている。普通はネパ-ル人のガイドがポ-タ-を探してくるのが仕事なのだが、わたしはトレッキングの出発地を歩き出す時間が少し遅くなったとしても、一緒に歩いてくれるポ-タ-を探すように、ガイドに指示する。トレッキングの最良のシ-ズンは、農家が農作物りの取り入れを終えた後の乾季なので、荷担ぎのポ-タ-は農家の息子か娘が良い。こずかい稼ぎには丁度良いだろう。

 

 では、ランタン村から、ヤクやゾッキョの牛乳から作るチ-ズ工場が一軒あるだけのキャンジンゴンパへ。写真で見てみる。

 

ランタン村の子供達と

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標高3500mは高山植物の宝庫

エ-デルワイス 薄雪層

モンス-ンの雨季に花が咲き、ポストモンス-ン季には押し花みたいな枯花

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そのまま家まで持ってきたエ-デルワイス

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キャンジンゴンパ Kyangjin Gompa 3800m

ランタン・リルン峰をバックに総勢11名

左後列の4人と右の女性2人はポ-タ- 一家で荷担ぎ

真ん中の前列はコックとカンチャ

真ん中後列はガイド

ポ-タ-二人とカンチャはまだ子供

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テント設営

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放牧されているヤク(左)とゾッキョ(中)

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ランタン川を挟んでランタン・リルン峰 Langtang Lirung 7234m

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ナヤ・カン峰 Naya Kang 5844m

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第23回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十三

ランタンヒマ-ル・トレッキング 五回目

 タイトルは楽しいトレッキングなのに、大地震で多くの犠牲者が出て、残酷なランタン・トレッキングになった。

 前回は1981年にトレッキングしたランタン村が、2015年4月25日のネパ-ル大地震で壊滅・全滅した状況を写真で見てみた。多くの住民と家畜のゾッキョが死亡した。。他方、世界中からランタントレッキングに詰めかけていたトレッカ-達も犠牲になった。

ヒマラヤの山腹の氷河が地震で崩れ、氷河雪崩となり途中の土砂を巻き込んで襲った。

 丁度この時に、近くのランタン・リ峰のアタック中の友人がいた。地震直後、その友人が奥さん宛てにネパ-ルの携帯電話で国際電話連絡したものを、奥さんが私にPCメ-ルで届けてくれものが下記の文書。

又、カトマンドゥ在住の友人は、カトマンドゥの停電が回復してから、次から次と連絡をくれた。

 わたしはこの時点で、7年前から一年のうち数ケ月をネパ-ルで生活をしていたので、友人達からは「無事か」のメ-ルが多数入ってきた。

 

○○千恵子

2015/04/26 (日) 19:59

小山様

こんばんは

いろいろご心配かけています。

留守にしていたのですが本日夕方5時すぎに英樹さんより留守電が入ってました。

・・・・・元気にしている、ヘリが飛ぶまでベースキャンプにいる・・・・・

後ろのほうでは笑い声が聞こえてましたので皆で酒盛りでもしてるのかも?

 まずは一安心です。

 

From: Fumi

Sent: Wednesday, April 29, 2015 5:59 PM

To: koyama kenji

Subject: Re: 皆さん無事でしようか  小山

小山 様

皆無事です。

昨日から会社電気がきましたのでPCも見ること可能となりました。

地震直後からの停電でインバーターの畜電気も終わってしまっており電話の充電も出来ない状況出した。

登山隊、トレッキングチ-ムの全員の無事も確認出来てホットしております。

これから皆様の帰国の手配が始まりますが、まずカトマンズに戻って頂くべく走り舞っておりますがヘリはレスキューで政府が全部使っていますし、カトマンズ空港もレスキューの飛行機の離着陸で国内線はフライト出来ない状態が続きています。

もうひと踏ん張りしませんとなりません。

取りあえず全員無事です。

会社も倒壊免れていますがスタッフの家は沢山倒壊してしまっています。

コスモ関係者に死亡者が出なかったのが幸いです。

こてつの建物はひびが入り立ち入り出来なくなっております。

スタッフの人的被害は分かりません。

○○夫妻は日本に帰国中です。

○○二三子

 

From: Bochi-Bochi Trek Pvt Ltd.

Sent: Wednesday, April 29, 2015 3:41 PM
To: 'koyama kenji'
Subject: Tika's family of everyone, or trying to be the safe?
  koyama

Dear Koyama Kenji San,

Namaste

Writing on behalf of Tika Sir.  

Thank you for the mail and so nice of your concern. 

Due to power cut couldn't be able to reply you earlier. Mostly the electricity poles are destroyed. Electric power came just before (after 4 days only for a limit time) therefore writing to you. 

We are safe. But some of our field staffs  villages  have been affected by the earthquake.

Tika Sir is working as helping hands (volunteer) to support the victims and the injured people.  

We are sending the attachment of our bank account hoping  of support. 

Thank you.

Regards

Shard 

 

 

5月2日

98〇○です。ご心配をお掛けしました、すみません。今はインチョン空港です、今日、帰国します。

自分の誕生日、6月25日11時56分にランタン・リ峰BC・5250mで地震に会いました、天気が悪くレストしてました。かなりの揺れでテントの外に出てからすぐ爆風に襲われましたが、キッチンテント等が壊れただけですみました。恐ろしかったです。ヘリでレスキュウされましたが、キャンジンゴンパの村をを見て唖然としました。更にランタン村は壊滅で雪に埋まっていて死者は300人くらい、内、外国人のトレッカーは100人くらいといわれていますが、分からないというのが現状です。何時もながら自分は運が強いようです。早く山に復帰したいと思います、よろしくお願いします。では。

 

 

地震前のランタン・リ峰南壁と地震後のランタン・リ峰南壁

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ネパ-ル大地震前と地震直後

カトマンドゥ市内 ダルバ-ルスクエア-(旧王宮広場)

シヴァ寺院(左)(右端)シヴァ パ-ルヴァティ-寺院

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第22回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十二

ランタンヒマ-ル・トレッキング 四回目

前回はランタンヒマ-ルのトレッキング開始。

 昔のトレッキング。自動車道路がまだない時代だったので、路線バスの終着町トリスリバザ-ル町から歩き始める。途中三泊してランタン村を通過して最終目的地のキャンジンゴンパを目指した。

 昔の1981年当時のランタン村は、十数軒の家があるだけで、宿泊するバティ(ロッジ)もなかった。そして、通過後数時間歩くと、ヤクのミルクから作るチ-ズ造りの家が一軒だけ、ポツンと立っているキャンジンゴンパに着く。

 ランタン村の少し手前くらいから、待望のランタンヒマ-ルに聳える尖峰の山々が見えだす。ネパ-ルのトレッキングは初めて。カトマンドゥから出発して、途中食事が喉を通らない食べ物のカルチャ-ショックを味わいながら。本当は1982年遠征の山を見に来たガッカリ感も失せるほどのヒマラヤ絶景だ。

 前回ランタンの写真で、2015年4月25日のネパ-ル大地震について、少し触れた。わたしの友人や知人の写した写真を加えながら、このネパ-ル大地震の被害を見てみたい。

 ネパ-ル大地震震源地は、首都カトマンドゥと第二の都市ポカラとの中間のゴルカ地方。このゴルカの王様は、カトマンドゥ盆地の三人の王様を戦争で破り。そしてネパ-ルを統一した王様の王宮がある町。

 

ネパ-ル全土で9千人の犠牲者を出した大地震

ランタン村についてのニユ-スは次の様に伝えられた。

 村民666人の内178人が死亡・行方不明。外人トレッカ-100人以上行方不明。ヤクと水牛の合い子のゾッキョ(ゾモ)を上部草地の放牧前で、多くの村民とゾモが犠牲になった。生き残った村民は、カトマンドゥのスワヤンブナ-ト近くのイエロ-パゴダへ避難。ランタン村の上部のキャンジンゴンパは氷河雪崩の爆風被害。

 

ランタン峪には多くのトレッカ-が詰めかけていた。前年の2014年10月14日の台風崩れの大型低気圧がネパ-ルを貫通し、一日で積雪120cmの猛吹雪。アンナプルナヒマ-ルのトレッカ-43名死亡。トレッキングの聖地アンナプルナを敬遠したトレッカ-はランタンに詰めかける。予約しないと泊まれないくらいの大混雑が伝えられていた。

ティルマン(H・W・Tilman)が云った「世界一美しい谷」ランタン峪はその上部のヒマラヤ山脈の氷河雪崩で大規模に破壊された。

ランタンの村と氷河雪崩後の状況を写真で見てみる。 

 

2015年4月25日大地震震源地ゴルカの町

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ゴルカの絵図

下の町にはミユ-ジアム

丘の頂上には旧王宮

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左に博物館 

右に1769年カトマンドゥを征服した第10代ゴルカ王、プリトゥビ・ナラヤン・シャハ王像

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下の町から見上げると丘の上に旧王宮が見える

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プリトゥビ・ナラヤン・シャハ王像と旧王宮

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ゴルカの土壁作りの農家の家、地震でどうなったろうか

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丘の上の旧王宮

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2014年10月14日 インド大陸に上陸し、北上した台風は大型低気圧となってネパ-ルからチベットへ抜ける

ネパ-ルのテレビ  

アンナプルナヒマラヤの大遭難を伝える

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1981年当時のランタン村 10軒ほどの家

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氷河雪崩後の旧ランタン村

一軒の家も無い

飛ばされたか氷と土砂の下か

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1981年当時の村は写真の右上に在る

ここは2002年の写真、トレッキングル-トにバティ(ロッジ)などと民家。手前には農地とカルカ(ゾッキョの放牧)

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氷河雪崩後の2002年当時の家々は無い

畑とカルカの跡が分かる

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ランタン村の下を流れるランタン川に氷河雪崩の氷と土砂が堆積

雪崩直後は川の対岸にまでせり上がっていた

2年後の2017年の写真でも、まだ氷と土砂が残っている

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第21回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十一

ランタンヒマ-ル・トレッキング 三回目

 

ランタンヒマ-ルのトレッキングは2コ-ス

1981年のポストモンス-ンにネパ-ルのランタンヒマ-ルにトレッキングした。

 トレッキングル-トのランタンは、2コ-スある。昔のコ-スは自動車道路がなかったので、ヒマラヤが見えるまで何日か地元の家々の前の歩道を歩く。わたしが歩いた時期には、ホテルやバティ(ロッジ)などほとんどなく、お土産屋さんもなかった。テント持参で、食事はコックが一緒に歩いて3食作ってくれた。

 わたしが歩いたコ-スは行き止まりコ-スで、起点となるトリスリ村から東北方面へ向かった。チベットとの国境に聳えたつ6千m~7千m級のヒマラヤを眺めてピストンする。

 他のコ-スは、トリスリバザ-ルから歩き始めるのは一緒。途中のドゥンチェ1950mまで同じコ-スを歩いた以後は南方向へ歩き、小さな湖があるゴサインクンド4380mを目指す。

 ゴサインクンド・レイクのここから引き返すトレッカ-がほとんどだが、このまま南へ進んで、4610mのラウルヒナヤク・パスの峠を越えてカトマンドゥ盆地へと下るコ-スがある。起点のトリスリまでカトマンドゥから路線バスで一日の行程なので、そこを歩くのだから、長期間のトレッキングを覚悟しなければならない。

 わたしの女房が、わたしの歩いたル-トとカトマンドゥへのル-トの2コ-スを一度で歩いている。札幌で開催している絵画の個展のためのスケッチ旅行だ。

では三回目のランタン・トレッキングを写真で見てみる。

 

ドゥンチェ村Dhunche1950mから 段々畑とヒマラヤ

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リバ-サイドロッジからヒマラヤ

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墜落したヘリコプタ-の残骸

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羊飼いが牧草を求めて

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ドッコを背負ったポ-タ-達が行く

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ランタン村L angtang 3500m 1981年当時

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1981年当時のランタン村は右上に見える

2002年のランタン村  

バティ(ロッジ)など、大きな村が造られた

 この二つの村、2015年4月25日のネパ-ル大地震で、右上部からのヒマラヤ氷河雪崩でほぼ全滅する

 2014年10月14日のビッグ低気圧通過がアンナプルナ・ヒマ-ルに一日で120cm積雪の大吹雪・トレッカ-43人死亡の被害

 この日以降多くのトレッカ-がアンナプルナエリアを敬遠し、ここランタンに詰めかけた。ここランタン村に滞在のトレッカ-たちが地震の被害で多くの犠牲者をだす

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ランタン村近く  標高が高くなり家畜のヤクの群れ

このヤク、標高の低い場所に降りると死ぬそうな

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第20回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十

ランタンヒマ-ル・トレッキング 二回目

 前回は、1982年ポストモンス-ン季にロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mアタック、のための偵察山行のために初のネパ-ル訪問。だったのだが、目的地ルクラへのフライトが三日間続けてキャンセルになった。ネパ-ルはエベレストの聳えるヒマラヤの国。ロ-ルワリンヒマ-ルの位置は、有名なエベレストのあるク-ンブヒマ-ルの西となりになる。

 キヤンセル続きのフライトで、エ-ジェントと相談。一人職場の休暇の取れるメンバ-をフライト待ちさせて、3名がランタンヒマ-ルのトレッキングとなった。

では、写真を見る。

 

路線バスでカトマンドゥ発  トリスリバザ-ルへ

途中、バスが故障 運転手と助手がバス下に潜り込んで数時間

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夜にトリスリに到着、水田にはホタルが飛び交う

朝、水力ダム発電所のあるトリスリでテント撤収

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ガイドが5名のポ-タ-を連れて来た

荷物をポ-タ-に振り分けて出発  

一家で来たポ-タ-  

まだ子供がドッコを担ぐ

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トリスリ町の学校 220名の生徒に12名の先生

この前写真の少年ポ-タ-は学校に行けないの

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歩き出して桜の花

ポストモンス-ンは日本の秋

カトマンドゥの桜の木も、春と秋に花が咲く

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穀物脱穀

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羊の毛で機織

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トレッキングパ-ミットのチェックポスト

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ヒマラヤに咲く花 岩ぶくろ?

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