koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの道路と道路工事 その5

ネパ-ルの道路と道路工事 その五

 ネパ-ルの道路と道路工事の写真を、5月5日から9日まで4回に亘って写真で見てみた。カトマンドゥ市内の私が住んでいるラジンパット地域の幹線道路、とラジンパット道りの道路拡幅工事を見てみた。

そして、ヒマラヤの生活道路と自動車道路についても見てみた。

 ネパ-ルの道路は何といってもエベレストが聳える国の山岳道路だろう。ヒマラヤの村から村へ縫うように造られている道。ネパ-ルの山間部には、いつごろから付けられたのか分からないくらい昔からの道路がある。チベットとインドの交易には、ネパ-ルを経由しなければならなかったし、独自のネパ-ルとチベットの交易に道路が使われた。

 ネパ-ルの山岳道路の写真を見ているうちに、5月11日~18日にネパ-ルのヒマラヤトレッキングの写真に入れ替わってしまった。「ネパ-ルヒマラヤの楽しいトレッキング」を8回写真で見てみた。ネパ-ルのトレッキングは、1981年と1985年の昔の写真を今後見てみたい。自動車道路建設前のネパ-ルだ。

今回は、その前にネパ-ルの道路と道路工事に戻って、道路工事を写真で見てみる。

 

私の借家フラットの前が工事現場

4軒並びの家の前は、牛が一週間に一回は草を食む広場になっている

そこが突然、フライテントが張られ、草地に大きな穴が二つ掘られた

ラジンパット通りまで歩いて5分400m程の道のアスファルト舗装工事始まる

トヨタのハイエ-スが運転上手な運転手しか通れないほどの狭い道路

大きなドラム缶がトラックで運ばれてくる。砂利も、たき木も

ネパ-ルは、味のある手作り品が多い。その理由は簡単、機械生産よりも人手生産が安価だからだ。

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初めは何をしているのか分からなかった

古いアスファルト舗装していた道路の、傷んだ部分をはがしていた

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アスファルト造りの砂利

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まずドラムカンを熱して中のアスファルトをどろどろにする

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穴の上に鉄板を敷き、穴の中でダウラ(木)を燃やす。その上に大ドラム缶に入ったアスファルトを流し、砂利を入れてかき混ぜる

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どろどろのアスファルトと砂利を混ぜ、アスファルト出来上がり

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運搬用のトラクタ-まで運ぶ

どうしてトラクタ-を横付けしないのだろうか

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日本では、砂利とどろどろアスファルトを混ぜる過程を見たことがない。たぶん機械の中で混ぜるのだろう

トラクタ-が道路まで運ぶ

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工事現場と化した普段は牛の草を食む広場

青いフライシ-は、作業員の休息場

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焚き木 ネパ-ル語でダウラ

この白い塀、私が一階のフラットを借りている家、右側の鉄の扉から出入りする

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これは日本の道路工事と同じ。アスファルト舗装完成

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第8回

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第八回 アンナプルナヒマ-ル その八

 前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれた渓谷の、カリ・ガンダキ川沿いの自動車道路からつり橋を渡って、旧道の地元の生活道を歩いてみた。続いて又自動車道路に出て、タトパニ村まで貸し切りバスを止めて乗り込み、温泉地タトパニまでを写真で見てみた。

 今回は、タトパニ村から路線バスの乗り換え地ベニ町を経て、トレッキングの振出地ポカラまでを写真で見てみる。

 ベニからは路線バスに乗り換えてポカラ市までだが、ベニでは多くのタクシ-運転手に囲まれた。運ちゃんにポカラ、カティと尋ねる。カティパルサはネパ-ル語で「いくらですか」。すると1、900RSルピ-(1RS=1円)と値段の応え。

 私はネパ-ルで値段の交渉をしないことにしている。ネパ-ルでは特に日本人と見ると、特別に高い値段を吹っかけてくるからだ。ネパ-ルでの買い物やタクシ-乗車では、欧米人は最初からお金に厳しい態度を取っていて、あまり吹っかけるのを見かけない。日本人はお金で済むことなら、と、特にネパ-ルの物価が日本の数分の一なので、気にもかけていないのだ。

 私はタクシ-運ちゃんに1000RSと一言。すると、運ちゃんは1800と言い出す。いつものことで、互いに少しづつ増減額して中間の金額で手を打つのだ。私は絶対に交渉はしない。私はネパ-ル人ガイドと他のメンバ-を引き連れて、路線バスへと移動する。すると毎度のことで、運転手は駆け寄ってきてOK1000RS。私はネパ-ルではいつもこのようにしてタクシ-に乗車する。タクシ-メ-タ-で走る価格をだいたい知っているので、時にはメ-タ-値段よりも安く乗ることがある。ネパ-ルの経済をダメにしているのはたいがい日本人なのだ。日本人一人一人は、世界的には特段の金持ちではないのに。

私は、自分よりも貧しい人を見て、自分は幸せと思う比較幸福論は嫌いだ。

 ブログの話が横道を歩き出してしまった。元に戻して楽しいネパ-ルヒマラヤのトレッキングを写真で見てみる。

 

 

アンナプルナヒマ-ル ポカラ周辺の地形図

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温泉地レテ村から早朝に路線バスで出発

荷物はバスの上。赤いヤッケを着たポ-タ-。ジョムソンで雇って、これから徒歩で戻るのだろう。ネパ-ル人は3分の一か4分の一のバス料金なのでバスかも。バスパ-クに見送りに来てくれた。

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バスの中で。ネパ-ル女性の腕輪

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ベニ町のモモ屋さん。ネパ-ルのモモはギョウザのこと

モモ専門店では、小さなモモ10個で50~70RS

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1900RSを1000RSに値切ったタクシ-

約60kmの山道を1時間20分でポカラ市に到着

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ポカラ市リバ-パ-クホテル着

私がポカラ滞在で定宿にしている

サウジは日本で6年間、サウニは日本で7年間の出稼ぎ

日本で長女を出産

6年・7年間で貯めたお金で、ポカラの借地にホテル建設

ここで10年間営業し、貯めた資金を頭金にしてホテル新館建設。2014年新館完成

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ホテル旧館の手前に新館建設中

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ホテルのサウジ社長プラカシ・パンシィさんと

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ポカラ市内 山岳博物館

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ポカラ市のフェワ湖サイドの外人街からマチャプチャレ峰6993m

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羊の群れ ポカラ郊外で、お祭り近くになると街に売りに出る

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早朝 ポカラ郊外の丘サランコットでヒマラヤを眺める

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ポカラの食堂でお酒 トンバ

アワやヒエを麹で発酵させる

ストロ-で飲み、お湯をそそいで3杯くらい飲める

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お酒の元アワが見れる

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ポカラからカトマンドゥまではフライトで

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ポカラエア-ポ-ト

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第7回

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第七回 アンナプルナヒマ-ル その七

 前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれた渓谷の、カリ・ガンダキ川沿いの自動車道路伝いに下るトレッキングのカロパニ村2520mから下りながらを写真で見てみた。

 今回は自動車道路からつり橋を渡って、旧道の地元の生活道を歩いてみる。これがネパ-ルヒマラヤの本当のトレッキングの楽しさだ。

 

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水牛が飼われている。ここには6頭もいた

標高が高く涼しいが、昼間は直射日光で暑く水の中で涼んでいる

ネパ-ルでは、牛は第三の眼を持つシヴァ神の妻パ-ルヴァティ-神の乗り物。

牛は神ではないが、神の乗り物で神聖さは神と同等に扱われていた

水牛や標高3千m以上で飼われていヤクは牛と区別されている

水牛とヤクの混結牛はゾッキョと呼ぶ

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どこの家でもニワトリを飼っている

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養蜂の箱

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ブタも飼われている

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再度、旧生活道路から自動車道路に出て一本、一息

ここで、路線バスを待つ

私達は貸し切りバスを止めて強引に乗車

ここから徒歩なら3時間のタトパニ村まで

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道に戻ると羊

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ジ-プや路線バス

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貸し切りバス内

巡礼でムスタンかムクチナ-トの帰りだろうか

貸し切りなのだが、巡礼パ-ティのサウニ(女リ-ダ-)にチャッカリと乗車料金を取られた

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温泉の町タトパニ村  タト(暖かい)パニ(水)

温泉の場所が道路になって、少し湯船の位置が移動していた

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タトパニの温泉

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タトパニのバスパ-ク

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タトパニ村のホテル

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第6回

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第六回 アンナプルナヒマ-ル その六

 前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれた渓谷の、カリ・ガンダキ川を奥地のジョムソン村の10km上流の、カグベニ村から始まるジ-プに乗ってムクティナ-トへのトレッキングを写真で見てみた。

今回は、5月12日の第3回のレテ村に続いてカリ・ガンダキ川を下るトレッキング。

続きはレテ村に隣接するすぐ上の隣村、カロパニ村2520mから下りながらを写真で見てみる。

 カロパニ村とレテ村の中間にアンナプルナⅠ峰の北面ベ-スキャンプへ向かう道がある。私は1991年ポストマンス-ン季に、アンナプルナⅠ峰登山でポカラからジョムソンへ飛び、この道路から三泊四日のキャラバンをしてBCへ向かった。

 

カリ・ガンダキ川沿いの道路地図

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カロパニ村Kaiopani 2520m スイ-ユ-ロッジ

 カロパニ村の隣村レテのナマステロッジは自動車道路から数百m離れたために寂れて廃墟になってしまった。

 その代わりに、このスイ-ユ-ロッジが新たに新築された。ここでアンナプルナⅠ峰登山隊が地元のポ-タ-を雇用するまでスティし、車でトレッキング中のトレッカ-がアンナプルナⅠ峰を眺めるために下車する。

 このスイ-ユ-ロッジのサウジ(ご主人)は、2013年に道路を挟んだ向かい側にもロッジを新しく建設中。

(女主人はサウニと呼ぶ)

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ニワトリ売り

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カロパニ村からアンナプルナⅠ峰 AnnapurnaⅠ 8、091m 右のピ-クはファング峰Fang7,647m 

アンナプルナ अन्नपूर्णाサンスクリットで「豊穣の女神」の意味。ネパ-ルヒマラヤの中央に東西約50kmの山脈

第1峰(8,091m)、第2峰(7,937 m)、第3峰(7,555 m)、第4峰(7,525 m)

第1峰は8千m峰14座のうち世界第10位の高峰

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1991年北海道隊 アンナプルナⅠ峰北面

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カロパニ村から下る途中、つり橋を渡って旧道の生活道路へ

カリ・ガンダキ川とニルギリヒマ- 

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カリ・ガンダキ川沿いに 岩を砕いて造られた自動車道

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村の水道

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ソバ畑  日本の蕎麦は白い花 ネパ-ルの蕎麦は赤い花

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暖かい昼間 村の子供達は川で水浴び

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第5回

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その五

 前回は、カリガンダキ川上流のジョムソンからムクティナ-ト3798mへ向け、途中のカグベニ村Kagbeni2807mまで写真で見てみた。

今回はカグベニ村からジ-プに乗ってムクティナ-トへのトレッキングを写真で見てみる。

 私は2013年のポストモンス-ン季に訪れている。ここで使用する写真は、私の女房が1998年にネパ-ル絵画展の取材で訪れて写したものも交えてアップロ-ドしてみた。このころ1998年はまだ自動車道路が無く、距離20km車で一時間の所を二泊三日で歩いている。

 ここでのジョムソンから始まり最終地がムクティナ-ト3798mだが、それから奥地はアンナプルナヒマ-ル約15の高峰、50kmに及ぶ山脈を仰ぎ見辿るトレッキングル-トになっている。

 2014年10月13日~14日の大型低気圧による大吹雪でトレッカ-43人が死亡する遭難事故が発生。ムクティナ-トから約10km奥のトロンパスThrong pass5416m間とダウラギリBCなどでの出来事だった。

 私は丁度カトマンドゥ暮らしをしていて、テレビでインドの台風被害を見ていた。この台風はインド大陸に東側から上陸、大陸へ西行し、日本の沖縄へ向かった台風が九十度方向転換して九州方面に向かうのと同様だった。東から西方向へインド大陸を進んだ台風は、直角に方向転換してインドを北進、大型低気圧に変化してネパ-ルを横断、チベットへ抜けた。

 乾季なのにネパ-ルの4千m以上に大雪をもたらす、10年に一回くらいある気象状況だ。私はこの13日に、アンナプルナ内院トレッキング中の友人夫婦に「動かないで」のメ-ルを発信した。返信に山中から発信され私の携帯電話受信には、バティ(ロッジ)前のトレッキング道路は河の様に大雨が流れた、と報告があった。14日、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルエリアに一日で120cmの降雪と猛吹雪が襲った。バティなどで停滞していたトレッカ-は全員無事だったが、行動中のトレッカ-43人が死亡。現地の家畜のヤクも多数死亡した。

ではジョムソンからムクティナ-トまでを写真で見てみる。

 

地形図 ジョムソン~

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ジョムソンから10kmのカグベニ村Kagbeni2807m

ニルギリヒマ-ルが聳える

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家畜の羊たち

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荒涼とした大地から、家畜のえさか、いやいや焚きつけか

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現地の子供達勢ぞろい

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ジ-プで ムクチナ-トMuktinath3798m着

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ムクチナ-トのお土産売り場の娘達

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ヒルトンホテルHillton Hotelとかいてあるが、ただのロッジ(バティ)

寝袋持参でないと泊まれない

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夕食 ダルバ-ト(ネパ-ル定食 おかず・ごはん・ダルス-プなどのおかわりあり)

インディカ米ごはん ダルス-プ おかず(バ-ト) カレ- ヨ-グルト きゅうりとトマト 一番手前のパパディ(少し辛い揚げ物)

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ムクチナ-ト→ジョムソンのジ-プチケット売り場 お祭りで大混雑

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遠くからお祭りで寺院を訪れた人達とトレッカ-が大勢

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ムクティナ-ト寺院(テンプル)入口

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ムクティナ-ト街

途中は森林限界と思われたが、大きな木がある

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ムクチィナ-ト寺院

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第4回

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その四

 前回は、アンナプルナヒマ-ルのマルファ村2632mからカリ・ガンダキ河を下りながらレテ村までのトレッキングを見た。

 今回は、トレッキングコ-スのふり出しに戻る。ポカラからジョムソンまで、フライトで25分、路線バスを二回乗り継いで11時間30分。到着したホテルやバティ(ロッジ)の並ぶポカラの町から、ずっと奥地のトレッキング。

 ここジョムソンからは1350年に王国を築いたロ-マンタンへと、更にはアンナプルナヒマ-ル約50kmを一周できるトロンパス5416mの峠越えへ向かう途中のムクティナ-ト3798mへのル-トがある。

 私は残念だが、ムスタンエリアのロ-マンタンへは行ったことが無い。それで、車で往復したムクティナ-トトレッキンを写真で見てみる。

 

ジョムソン着 ジョムソン空港

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空路でジョムソンへ 双発プロペラ機

CAキャビンアテンダントが綿の耳栓と飴玉を配る

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ジョムソンから頂稜に朝日のあたるニルギリ北峰7061m

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家畜のヤク

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寺院のマニ車とニルギリ峰

チベット仏教マニ車は、手で一回まわすとお経一ペ-ジ分を唱えたのと同じ徳を積むことになる

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ジョムソンから車で出発

広陵とした森林限界を超えた所にも、畑とリンゴの苗を植えている

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カリガンダキ川

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インド亜大陸が現在の中国チベット大陸へ盛り上がり、ヒマラヤ造山運動が

褶曲山脈を造る。この近くではエベレストを越える高さにまで隆起、その後水と風が削った、とされている

元々海だったのでカリ・ガンダキ川の河原でアンモナイトが採取できる

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カリ・ガンダキ川の地元の民 背にはドッコ

一本の紐を頭の額にかけて担ぐ

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車を使わないトレッキングや登山隊の荷物を運ぶドンキ-(ロバ)

元々は、自動車道路完成前この街道はドンキ-と人がポ-タ-

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ジョムソンから5kmのエクリバッティ村2780m

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ジョムソンから10kmのカグベニ村Kagbeni2807m

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第3回

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その三

 前回は、アンナプルナヒマ-ルの奥地ジョムソン2743mから下りながらのトレッキング、マルファ村を見てみた。

今回はマルファ村2632mからカリ・ガンダキ河を下りながらのトレッキング。

 

カリ・ガンダキ河沿いに新しい自動車道路

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ニルギリヒマ-ルを眺めながらのトレッキング

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バン村到着 車道からダウラギリⅠ峰を眺望

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バン村ロッジ 標高2520m ダウラギリⅠ峰 8167m

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ダウラギリⅠ峰8167m 南東稜 8千m峰の麓から見上げる(前回のブログでは東稜と説明・間違ってゴメンなさい)

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ダウラギリⅠ峰8167m 南東稜

1978年群馬県山岳連盟隊員18名がアタック 4人の犠牲を出しながらも登頂

稜線上の長大なナイフリッジ

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道路標識とダウラギリ峰

ここから次はラルジュン村。ポカラに近い路線バスの乗り継ぎの町ベニへ

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村の家にはネパ-ルの外梯子

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チョット上ってみる

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自動車道路から離れ、つり橋から昔からの旧道地元生活道路へ

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トレッキング街道のレストランのある村コックタンティへ到着

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ネパ-ル定食のダルバ-ト ダルス-プと野菜の漬物 ジャガイモのカレ-煮など

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自動車道路のない旧道  ジョムソン町以外にもツ-リストチェックポスト

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オフイサ-政府係官のチェック

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トレッキング街道の村の子守

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1991年 レテ村 ナマステロッジ 自動車道路のできる前

 アンナプルナⅠ峰登山隊の最終人家での宿泊場 登山隊はここから三泊四日のベ-スキャンプへ向かう

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2013年 レテ村 ナマステロッジ

自動車道路から外れたためにさびれたロッジの廃墟跡

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