koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第6回

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第六回 アンナプルナヒマ-ル その六

 前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれた渓谷の、カリ・ガンダキ川を奥地のジョムソン村の10km上流の、カグベニ村から始まるジ-プに乗ってムクティナ-トへのトレッキングを写真で見てみた。

今回は、5月12日の第3回のレテ村に続いてカリ・ガンダキ川を下るトレッキング。

続きはレテ村に隣接するすぐ上の隣村、カロパニ村2520mから下りながらを写真で見てみる。

 カロパニ村とレテ村の中間にアンナプルナⅠ峰の北面ベ-スキャンプへ向かう道がある。私は1991年ポストマンス-ン季に、アンナプルナⅠ峰登山でポカラからジョムソンへ飛び、この道路から三泊四日のキャラバンをしてBCへ向かった。

 

カリ・ガンダキ川沿いの道路地図

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カロパニ村Kaiopani 2520m スイ-ユ-ロッジ

 カロパニ村の隣村レテのナマステロッジは自動車道路から数百m離れたために寂れて廃墟になってしまった。

 その代わりに、このスイ-ユ-ロッジが新たに新築された。ここでアンナプルナⅠ峰登山隊が地元のポ-タ-を雇用するまでスティし、車でトレッキング中のトレッカ-がアンナプルナⅠ峰を眺めるために下車する。

 このスイ-ユ-ロッジのサウジ(ご主人)は、2013年に道路を挟んだ向かい側にもロッジを新しく建設中。

(女主人はサウニと呼ぶ)

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ニワトリ売り

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カロパニ村からアンナプルナⅠ峰 AnnapurnaⅠ 8、091m 右のピ-クはファング峰Fang7,647m 

アンナプルナ अन्नपूर्णाサンスクリットで「豊穣の女神」の意味。ネパ-ルヒマラヤの中央に東西約50kmの山脈

第1峰(8,091m)、第2峰(7,937 m)、第3峰(7,555 m)、第4峰(7,525 m)

第1峰は8千m峰14座のうち世界第10位の高峰

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1991年北海道隊 アンナプルナⅠ峰北面

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カロパニ村から下る途中、つり橋を渡って旧道の生活道路へ

カリ・ガンダキ川とニルギリヒマ- 

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カリ・ガンダキ川沿いに 岩を砕いて造られた自動車道

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村の水道

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ソバ畑  日本の蕎麦は白い花 ネパ-ルの蕎麦は赤い花

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暖かい昼間 村の子供達は川で水浴び

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第5回

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その五

 前回は、カリガンダキ川上流のジョムソンからムクティナ-ト3798mへ向け、途中のカグベニ村Kagbeni2807mまで写真で見てみた。

今回はカグベニ村からジ-プに乗ってムクティナ-トへのトレッキングを写真で見てみる。

 私は2013年のポストモンス-ン季に訪れている。ここで使用する写真は、私の女房が1998年にネパ-ル絵画展の取材で訪れて写したものも交えてアップロ-ドしてみた。このころ1998年はまだ自動車道路が無く、距離20km車で一時間の所を二泊三日で歩いている。

 ここでのジョムソンから始まり最終地がムクティナ-ト3798mだが、それから奥地はアンナプルナヒマ-ル約15の高峰、50kmに及ぶ山脈を仰ぎ見辿るトレッキングル-トになっている。

 2014年10月13日~14日の大型低気圧による大吹雪でトレッカ-43人が死亡する遭難事故が発生。ムクティナ-トから約10km奥のトロンパスThrong pass5416m間とダウラギリBCなどでの出来事だった。

 私は丁度カトマンドゥ暮らしをしていて、テレビでインドの台風被害を見ていた。この台風はインド大陸に東側から上陸、大陸へ西行し、日本の沖縄へ向かった台風が九十度方向転換して九州方面に向かうのと同様だった。東から西方向へインド大陸を進んだ台風は、直角に方向転換してインドを北進、大型低気圧に変化してネパ-ルを横断、チベットへ抜けた。

 乾季なのにネパ-ルの4千m以上に大雪をもたらす、10年に一回くらいある気象状況だ。私はこの13日に、アンナプルナ内院トレッキング中の友人夫婦に「動かないで」のメ-ルを発信した。返信に山中から発信され私の携帯電話受信には、バティ(ロッジ)前のトレッキング道路は河の様に大雨が流れた、と報告があった。14日、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルエリアに一日で120cmの降雪と猛吹雪が襲った。バティなどで停滞していたトレッカ-は全員無事だったが、行動中のトレッカ-43人が死亡。現地の家畜のヤクも多数死亡した。

ではジョムソンからムクティナ-トまでを写真で見てみる。

 

地形図 ジョムソン~

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ジョムソンから10kmのカグベニ村Kagbeni2807m

ニルギリヒマ-ルが聳える

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家畜の羊たち

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荒涼とした大地から、家畜のえさか、いやいや焚きつけか

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現地の子供達勢ぞろい

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ジ-プで ムクチナ-トMuktinath3798m着

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ムクチナ-トのお土産売り場の娘達

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ヒルトンホテルHillton Hotelとかいてあるが、ただのロッジ(バティ)

寝袋持参でないと泊まれない

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夕食 ダルバ-ト(ネパ-ル定食 おかず・ごはん・ダルス-プなどのおかわりあり)

インディカ米ごはん ダルス-プ おかず(バ-ト) カレ- ヨ-グルト きゅうりとトマト 一番手前のパパディ(少し辛い揚げ物)

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ムクチナ-ト→ジョムソンのジ-プチケット売り場 お祭りで大混雑

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遠くからお祭りで寺院を訪れた人達とトレッカ-が大勢

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ムクティナ-ト寺院(テンプル)入口

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ムクティナ-ト街

途中は森林限界と思われたが、大きな木がある

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ムクチィナ-ト寺院

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第4回

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その四

 前回は、アンナプルナヒマ-ルのマルファ村2632mからカリ・ガンダキ河を下りながらレテ村までのトレッキングを見た。

 今回は、トレッキングコ-スのふり出しに戻る。ポカラからジョムソンまで、フライトで25分、路線バスを二回乗り継いで11時間30分。到着したホテルやバティ(ロッジ)の並ぶポカラの町から、ずっと奥地のトレッキング。

 ここジョムソンからは1350年に王国を築いたロ-マンタンへと、更にはアンナプルナヒマ-ル約50kmを一周できるトロンパス5416mの峠越えへ向かう途中のムクティナ-ト3798mへのル-トがある。

 私は残念だが、ムスタンエリアのロ-マンタンへは行ったことが無い。それで、車で往復したムクティナ-トトレッキンを写真で見てみる。

 

ジョムソン着 ジョムソン空港

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空路でジョムソンへ 双発プロペラ機

CAキャビンアテンダントが綿の耳栓と飴玉を配る

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ジョムソンから頂稜に朝日のあたるニルギリ北峰7061m

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家畜のヤク

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寺院のマニ車とニルギリ峰

チベット仏教マニ車は、手で一回まわすとお経一ペ-ジ分を唱えたのと同じ徳を積むことになる

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ジョムソンから車で出発

広陵とした森林限界を超えた所にも、畑とリンゴの苗を植えている

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カリガンダキ川

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インド亜大陸が現在の中国チベット大陸へ盛り上がり、ヒマラヤ造山運動が

褶曲山脈を造る。この近くではエベレストを越える高さにまで隆起、その後水と風が削った、とされている

元々海だったのでカリ・ガンダキ川の河原でアンモナイトが採取できる

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カリ・ガンダキ川の地元の民 背にはドッコ

一本の紐を頭の額にかけて担ぐ

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車を使わないトレッキングや登山隊の荷物を運ぶドンキ-(ロバ)

元々は、自動車道路完成前この街道はドンキ-と人がポ-タ-

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ジョムソンから5kmのエクリバッティ村2780m

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ジョムソンから10kmのカグベニ村Kagbeni2807m

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第3回

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その三

 前回は、アンナプルナヒマ-ルの奥地ジョムソン2743mから下りながらのトレッキング、マルファ村を見てみた。

今回はマルファ村2632mからカリ・ガンダキ河を下りながらのトレッキング。

 

カリ・ガンダキ河沿いに新しい自動車道路

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ニルギリヒマ-ルを眺めながらのトレッキング

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バン村到着 車道からダウラギリⅠ峰を眺望

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バン村ロッジ 標高2520m ダウラギリⅠ峰 8167m

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ダウラギリⅠ峰8167m 南東稜 8千m峰の麓から見上げる(前回のブログでは東稜と説明・間違ってゴメンなさい)

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ダウラギリⅠ峰8167m 南東稜

1978年群馬県山岳連盟隊員18名がアタック 4人の犠牲を出しながらも登頂

稜線上の長大なナイフリッジ

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道路標識とダウラギリ峰

ここから次はラルジュン村。ポカラに近い路線バスの乗り継ぎの町ベニへ

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村の家にはネパ-ルの外梯子

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チョット上ってみる

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自動車道路から離れ、つり橋から昔からの旧道地元生活道路へ

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トレッキング街道のレストランのある村コックタンティへ到着

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ネパ-ル定食のダルバ-ト ダルス-プと野菜の漬物 ジャガイモのカレ-煮など

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自動車道路のない旧道  ジョムソン町以外にもツ-リストチェックポスト

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オフイサ-政府係官のチェック

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トレッキング街道の村の子守

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1991年 レテ村 ナマステロッジ 自動車道路のできる前

 アンナプルナⅠ峰登山隊の最終人家での宿泊場 登山隊はここから三泊四日のベ-スキャンプへ向かう

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2013年 レテ村 ナマステロッジ

自動車道路から外れたためにさびれたロッジの廃墟跡

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この続きは次回

 

 

 

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第2回

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル その二

 前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれたカリ・ガンダキ河沿いの新道路に沿ったトレッキングを見てみた。

 今回はアンナプルナヒマ-ルの奥地ジョムソンから下りながらのトレッキング。マルファ町からを見てみる。

 ジョムソンから奥地のロ-マンタンは、1350年頃にチベットから移り住んだ人達が王国をつくっていた。ジョムソンから下ったマルファの町はいつ頃から人が住むようになったのだろうか。日本の明治時代から日本人が、チベットへの侵入を伺うための一時滞在の町になった。

 1990年代から道路建設が進み、2000年代からここに住む多くの住民の生活が良い意味で一変する。徒歩でしかカトマンドゥを往復できなかった環境が、待ちに待った自動車道路完成。

 しかし、1950年代から続いた、この地アンナプルナヒマ-ルの美しいヒマラヤを眺める外国人のトレッキングは自動車道路開通で衰退。と同時にトレッカ-をあてにして生計を立てていた一部のネパ-ル人の生活も一変する。

 現在は、秘境ロ-マンタンの外国人入域禁止が解け、多くのトレッカ-が訪れていたのだが、2008年のネパ-ル王政廃止に伴うロ-マンタン王退位や、同時に自動車道路開通で自動車の砂埃の道路を歩くトレッカ-は敬遠。結果、自動車でロ-マンタンへの訪問者が多い。

私達高齢者は、歩かずともヒマラヤの8千m峰を眺めれる地になっている。これはこれで感謝だ。

それでは、カリ・ガンダキ河のマルファ町から下りを写真で見てみる。

 

マルファの街

さすが美しい白壁の町を通る道路の拡幅はせず、自動車道路は街の左側100mに新道を造った

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マルファの町 標高2832m

白壁で有名  バティ(ロッジ)が沢山ある

明治時代に日本の僧侶河口慧海が、チベットの経典を求めて長期滞在した

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バティ(ロッジ)

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マルファで偶然にカトマンドゥで友達付き合いしている友人達と出会う

左端はシェルパ族でエベレスト街道近くに住んでいる

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河口慧海ハウス ミユ-ジアムになっている

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河口の使ったキッチンと食器など

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一時チベット人 Tibetan になっていた河口慧海のパスポ-ト  

秘境チベット鎖国していた

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河口慧海の写真

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河口のカメラ

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河口慧海が旅行に使用

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マルファ町の高台に仏教僧院・寺院

手前にリンゴ園

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マルファ町周辺には蕎麦畑 刈取り風景

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ソバのごみ取り

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道路脇の仏典岩

オム・マニ・ペメ・フム 

私は汚い沼に咲く美しい蓮の花になりたい

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ニルギリ峰に朝日

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カリガンダキ河の右岸に自動車道路 ダウラギリⅠ峰8167m

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家畜・水牛のエサか トウモロコシを運ぶ女性

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 

ネパ-ルの楽しいトレッキング アンナプルナヒマ-ル

前回は、昔からあるネパ-ルヒマラヤの生活道路と1990年代に建設された自動車道路を見てみた。

今回は、この最近建設された自動車道路のあるヒマラヤのトレッキングを見てみたい。

 アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれたカリ・ガンダキ河沿いに新しい道路が完成した。

 昔からある自転車も通れない階段の上り下りのある道路を、むりやり自動車道路建設した場所がある一方。新道路から脇に逸れ迂回する、昔からの道路のトレッキングもある。この自動車の通り過ぎるホコリから逃れての旧道トレッキングは、昔からのヒマラヤやそこに住む人々に出会える楽しさがある。

それではカリ・ダンガキ川沿いのトレッキングを写真で見てみる。

 まずはカトマンドゥから車で、飛行場のある町ジョムソンへ。そこから徒歩のトレッキングでレテの町まで引き返す。

 

カトマンドゥ発ポカラ行 グリ-ンバス Greenne 7時間かかる

片道25ドルのノンストップバス  ミネラルウオ-タ-1本と昼食付

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トレッキングはポカラ発から始まる。ジョムソンまで11時間30分

まずポカラからタクシ-でベニまで。約60km 1000RS(1RS=1円)

ベニからガサまで路線バス。30km 私達はネパ-ル人料金で

ガサからジョムソンまで路線バス。25km

ポカラの街はずれからアンナプルナ南峰(左)・ヒルンチュリ峰・マチャプチャレ峰

10月のポカラは水田の季節

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ポカラ~ジョムソン間の新しい自動車道路

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ジョムソン着  チェックポストで係官から、アンナプルナ自然保護区入域許可書とトレッキング許可書のチェック

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 TIMS(Trekker's Information Management System トレッカー情報管理システム・トレッキング登録制)エベレスト・アンナプルナ・ランタン方面に適用。

登録料は  1.トレッキング会社経由の場合は 一人10USドル
2.個人で申請する場合は     一人20USドル

 

 2014年10月14日 インドからの台風崩れの大型低気圧がネパ-経由でチベットへ抜ける。アンナプルナ山域の上部4千m以上で猛吹雪、一日で120cmの降雪。トレッカ-43人が死亡。 多くの家畜のヤクも死んだ

このTIMSシステムで、チェックポストでの入山者の確認が行われた。

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自然保護地域入域許可書

CONSERVATION AREA 自然保護地域

 

1

ANNAPURNA CONSERVATION AREA

RS.2000

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飛行場のあるジョムソンの町 

ホテルやバティ(ロッジ)は自動車道路の建設前は町が無かった

古くからの住民はここから500m離れた所に住んでいる

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飛行場からニルギリヒマ-ル

ニルギリ北峰 7061m

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ムクチナ-トへの標識 

ジョムソン2743m→ムクチナ-ト3798mまで15km

歩くと一日、ジ-プで一時間

カグベニ2807mからムスタン方面へ

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ジョムソンからダウラギリⅠ峰  धौलागिरीサンスクリット語で白い山) 8167m

左下への稜線は東稜  中央の稜線が登山のノ-マルル-ト北東稜

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ジョムソンとその下の町マルファでは、長野県人の指導でリンゴの栽培

ここで買うと運送費分の一番安価 

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リンゴの苗が植えられ、家畜の被害防止でカルカになっている

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りんご園

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ネパ-ルの道路と道路工事 その4

ネパ-ルの道路と道路工事 その四

 前回は、カトマンドゥ市内の私が住んでいるラジンパット地域の、幹線道路ラジンパット道りの道路拡幅工事を見てみた。

 

ヒマラヤの生活道路と自動車道路

 ネパ-ルの道路なら、何といっても山岳道路。ヒマラヤの村から村へ縫うように造られている道だろう。ネパ-ルの山間部には、いつごろから付けられたのか分からないくらい昔からの道路がある。前々回はアンナプルナヒマ-ルの奥地の車の通れない道路を見た。

 アンナプルナヒマ-ルは、ジョムソン村を中心に、今ではネパ-ルの第2の都市ポカラからジョムソン、そしてジョムソンからロ-マンタンやムクチナ-トへの道。1995年くらいまでは車が通れない、バイクもダメな道路だった。それが1990年代後半から、中国などの援助で車道の建設が始まり、2000年に入って、アンナプルナ方面のカリガンダキ河沿いに、そしてランタンヒマ-ル方面に自動車道路が完成した。

 私達外国人は、登山やトレッキングでヒマラヤを訪れる。決して車の通る道路をトレッキングするためにネパ-ルへ行くわけではない。ので、この道路は素晴らしい景色のヒマラヤを眺める目的では、幻滅の道路と云える。

 

秘境ムスタンまで延びた自動車道路

 昔から急ぐ場合は奥地の飛行場までフライトした。しかし、アンナプルナ方面に限っては、現在ではその最奥地チベットの国境地帯のロ-マンタンやムクチナ-トまで自動車道路が完成している。ムクチナ-トは標高3798mでロ-マンタン(ムスタン)は3730mで、車で一気に入ると高山病になってしまう。

 ムスタン地区の首都ロ-マンタンを少し説明。1350年にチベツトから移住したチベット人によって王国ができる。第二次大戦後の中国共産党による中華人民共和国の設国と、それに伴う仏教弾圧と独立国チベットの中国併合に伴うチベット動乱以後は外人入国禁止。1991年10月にようやく外人の入国開放。この間に一人だけ外国人が入国している。それは、カトマンドゥのトリブヴァン王の許可書を持参したスイス人のトニ-・ハ-ゲンさん。

 昔のロ-マンタンは王様の居る小自治王国で、それが、なんと2008年10月7日ネパ-ルの王政廃止(藩王制廃止)に伴ってこの小国の王も一市民となり、自動車道路でアッという間に訪れることができることとなった。

1350年から続いたムスタン王制の、最後の王はジグメーパルバル・ビスタ王。

 昔の秘境であるムスタン地区ロ-マンタンまでトレッキングをしたい場合。昔と現在を比較してみよう。

 

トレッカ-にとっては幻滅の自動車道路、現地の住民の足

 まず昔の場合。ポカラ市までバスかフライトで。そして日数に限りのある人は、ポカラからジョムソン2743mまで25分のフライト。ポカラからジョムソンまで歩くと7日間はかかる。そしてジョムソンからロ-マンタンまで徒歩7日間。全行程徒歩だと14日間。

 現在だと、ポカラから飛行機を使わず全行程を車で。私が2009年10月にジョムソンを往復した時は、ポカラを朝の朝食も食べずに7時に立ち、路線バスで途中二度乗り換えして夜になりそうな午後6時30分にジョムソン着。そこからは一日でロ-マンタンに着くので、全行程2日間で着いてしまう。

 トレッカ-が幻滅と思うこの自動車道路、現地の村々に住む人達にとつては、待ちに待った自動車道路。そして、外人でも高齢者にとっは、全くありがたい道路だった。私と女房、そして親戚と友人の足が悪く長距離歩けないメンバ-含めて四人。2014年ジョムソンまで飛んで、そこから車を利用して、なんと徒歩の最長歩いた距離はたったの100m。それで7千m峰や8千m峰を麓から見上げるようにしてトレッキングを行うことができた。カトマンドゥから4泊5日の歩かないトレッキングだった。このトレッキング、際どいフライトにも挑戦してみた。

 

旅行代理店がダメです、という一日で飛行機の乗り継ぎ

 カトマンドゥからジョムソンまで、途中ポカラで飛行機を乗り継いでのフライト。カトマンドゥのエ-ジェント(トレッキング代理店)は、一日での乗り継ぎフライトチケットは手配できません、ときた。私も確かに分かる。カトマンドゥ発が遅延してポカラ発に間に合わなかった場合は困る。仕方がない。自分でトライすることにした。フライトがポカラに着陸。即ネパ-ル人ガイドに、「次の日のジョムソン行チケット5人分で、今日中のポカラ発ジョムソン行フライト空き席」調べを指示。

 私達のガイド、エベレストに7回登頂のシェルパ族ガイドは、「次の便のフライトに空きがあった」「今出発します」と走ってくる。普通のフライトは、お客さんの機内持ち込み手荷物と預け荷物の重量を計るのだが、急いで乗り込むので軽量をパス。ヒマラヤ最奥のジョムソン飛行場への小さな双発飛行機の乗客は私達5人だけの貸し切りだった。そして、普段は綿の耳栓と飴玉を配るのだが、それが無い。聞いてみると、帰りのジョムソン発のフライトは満席で帰って来るのだそう。

 ジョムソンに着いてから、エ-ジェントに電話。そして、ポカラに宿泊の手配をしていたホテル・リバ-パ-クのプラカシ・パンチィ社長にも電話。ポカラのホテルは私が良いホテルを探していて見つけたところ。定宿にしている。社長が日本に6年間、奥さんは7年間出稼ぎで滞在。日本で長女が誕生している夫婦。日本で稼いだ資金で、ポカラの借地にホテル建設。そこで約10年間儲けた資金を頭金にしてホテル新館を2013年に完成している。トレッキング行に宿泊するのを帰りに一泊多く泊まるから、と電話で伝える。

 

多くのトレッカ-や登山者はパッケ-ジ。私はフリ-

 私は1981年からネパ-ル通いをしている。その間ネパ-ルのエ-ジェントにはパックで登山やトレッキングをお願いしたことはない。今回はフライトの手配とガイド一人を頼んだだけ。フライトは値段が高いが、フライトしないトレッキングなら、エ-ジェントパック料金の三分の一の費用でできる。2009年に女房と二人でカトマンドゥ発着10泊11日のトレッキングで総費用700$ドルだった。最近では私がガイドをして、ネパ-ル人ガイドは専ら通訳をしてもらっている。

 

次回はアンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルの中間を流れ下るカリガンダキ河のトレッキングを写真で見てみたい。

 

カトマンドゥ発ポカラ行 グリ-ンバス Greenne

片道25ドル ミネラルウオ-タ-1本と昼食付

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ポカラ~ジョムソン間の新しい自動車道路

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ジョムソンの町 自動車道路の建設前は町が無かった

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カリガンダキ河の右岸に自動車道路 ダウラギリⅠ峰8167m 

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自動車道路から離れ、旧道の地元生活道路へ

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ポカラ~ジョムソン間の自動車道路

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カトマンドゥ~ポカラ ブッダエア-

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チャレンジ 一日でフライト乗り継ぎ成功 シムリックエア-ライン

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貸し切りの機内

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