koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのお祭り その10 ティハ-ル祭の5回目

ネパ-ルのお祭り その十回目 ティハ-ル祭の五回目。

4月1日に下記の文書を書きました。

「ブログ会社に前々回と前回はブログ会社の不都合が発生。写真の掲載ができなくなった。今回、写真掲載手続が復活しているかどうか。試してみる。

 

    3月29日ごろ、ブログを継続して書き込んでいましたが、突然に写真のアップができなくなつたのです。

 友人があぁやったら良いのではないか、こうやったら良いなどと、色々とメ-ルで教えてくれていた。ブログ会社と写真掲載復活に向けてやり取りしていたら、これは突然です。何もしないのに回復したのです。

 それでは回復を記念して、4月1日と同文で写真アップを掲載する。このティハ-ル祭は次回の6回目まで続ける予定。

 

前回と同文を下記に掲載する。」

  

 私は10年前から私の女房と二人でネパ-ル生活をしながら、ネパ-ルの友人達とお付き合いしている。ネパ-ルの友人達は、日本人家族が数組と、そしてネパ-ル人のネワ-ル族とライ族、そしてグルン族の家族などと夕食を共にする付き合いだ。

そのライ族の友人の娘さんから、お祭りなのでぜひ遊びに来て、と誘われた。

 5階建アパ-トの最上階に住んでいて、その階の広いテラスで儀式の準備が整っていた。この家族の二人の娘さんの従兄妹(いとこ)が二人来ていて、総勢7名でティカの儀式が始まる。その後明るいうちの早めの夕食。

 儀式は七色のティカで始まり、私も儀式通りにティカをしてもらった。儀式はティカと、その後儀式としてヨ-グルトとゆ茹で卵を食べる。

 このティカの儀式、女性が男性にティカをする。ネパ-ルの最大のお祭りのダサイン大際では最初に最長老がティカを始め、次いで男女が入り乱れて行うが、ティハ-ルのティカは違う。私にはどうしてこのティカ儀式のやり方が異なるのか分からない。

 儀式の最後はティカを受けた側が、してくれた女性の足元にひざま就いて、ご祝儀を渡す。のだが、私は準備してなかった。この最後のご祝儀を渡すのは、ダサイン大祭でにぎやかに年長者が若い男女に渡すお小遣いと違い、厳かな儀式として行われるようだ。

 儀式には私の友人のお兄さんの子供(兄と妹)が来ていた。友人の二人の娘さんとは従兄妹にあたる。ここで日本とネパ-ルの違いを少し説明する。

 ネパ-ルでは親子関係の呼び方は日本と同様。兄弟も同様に兄・弟・姉・妹と呼ぶ。日本と呼び方が違うのは従兄妹や甥・姪の公称が違う。日本では親が兄弟でその子供同士は、従兄妹と呼ぶ。ネパ-ルではこの従兄妹と、親同からその親兄弟姉妹からの甥や姪を、いとこ・甥・姪とは呼ばないらしい。「いとこ」「甥」「姪」の言葉がないらしいのだ。その代わりなのか、年上の男を「ダイ」、年下を「バイ」と云う。女性は年上を「ディディ」、年下を「バヒニ」と呼ぶ。これらの呼び方は親戚同士に限らない。友人などの年上や年下にも共通になる。例えばレストランのウエィタ-やウエイトレスを呼ぶときにも、自分より年下に見えたなら、「バイ」や「バヒニ」と呼べば、振り向いてくれて「何か用事ですか」と応えてくれる。

 もう一つ、ネパ-ルでの呼び方で気が付いたことがある。世界の最高峰が聳えるエベレスト街道でのこと。このエリアにはシェルパ族が居住している。今ではインタ-ナショナル言葉として案内人を「シェルパ」と呼ぶ程に、ここに住むシェルパ族は世界的に知られている。戦前からイギリスがエベレストの初登頂を目指した時に、ここのシェルパ族を道案内人にしたことから、今日には国際語となった。

 ここの地域でトレッキングや登山をする時に、ロ-カルポ-タ-を雇い荷物を運んでもらう。このポ-タ-の女性を「シェルパニ」と云う。シェルパの後に「ニ」を付けるのだ。これは、年下の女性のを「バヒニ」と呼ぶのと同じになる。年上の男性は「ダイ」、年下を「バイ」と云い、その「バイ」の女性版が「バヒニ」で終わりに「ニ」を付けることで女性名詞となるのである。

 

では半月ぶりに写真でお祭りの儀式を見てみてる。

 

ティカの儀式用に用意されたもの

聖水

線香

花輪

7色粉末

お土産菓子

お土産リンゴ

ヨ-グルト

茹たまご

 

ティハ-ル祭のティカ儀式の準備が整う

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座布団を敷いてティカ儀式準備OK

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奥さんが私に七色ティカの儀式

この奥さん、生まれはインドのダ-ジリン。結婚前はダ-ジリンで花嫁学校の教授をしていた

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従兄妹の姉妹がティカ バヒニがダイに

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ヨ-グルトとゆで卵を食べる儀式

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従兄妹いとこ同士

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私の友人一家

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お土産の菓子など

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那須温泉ファミリ-スキ-場コ-ス外雪崩死亡事故 その2

那須温泉ファミリ-スキ-場コ-ス外雪崩死亡事故 その2

高校山岳部合同春山安全登山講習会 

4月7日にこの雪崩死亡事故の一回目を書いてみた。

 死亡事故から二週間以上経過。今回は前回触れなかった事柄で、新たに報道などで問題になっていることを考えてみたい。

 

雪崩死亡事故の概要

 2017年3月27日午前8時30分ころ、栃木県那須町那須温泉ファミリ-スキ-場のコ-ス外上部で雪崩発生。

 栃木県内の高校7校の登山部が参加して春山安全講習会を開催。講習会当日は7校を5班に分けて講習をしていた。

 参加していた指導員教師を含む48名が雪崩に遭遇。男子高校生7人と男子教員1人の8名が死亡。生徒と教師合わせて40名が負傷した。死亡したのは、県立大田原高校の生徒と教員。

 この雪崩、自然発生なのか人為的雪崩なのかは不明。雪崩発生の上部に登山者などの 人が居たかどうかも不明。

 前日26日からの積雪は30cmを超えていた。雪崩事故現場より上部は50cmの新雪とも云われている。

 二泊三日の日程で入山、スキ-場の下部にテントを設営して宿泊。事故当日は夜間の積雪があり、午前7時30分から予定していた茶臼岳春山登山を取りやめてラッセル訓練に切り替えていた。

 県立大田原高校の生徒と指導に当たった先生が一斑で、先頭で前日から積もった深雪をラッセルしながら進み、尾根上に上がってから全員が休憩している所に、その先の斜面から雪崩が押し寄せ、雪崩デブリに最大で2m埋没している。

 

登山を四季で区切った登山概念や登山活動があるのだろうか。冬山登山禁止をどのように考えれば良いのか。

 高校登山部の冬山登山禁止や春山講習会など、冬山や春山と云う登山の季節をどう捉えるかの議論があるようだ。

 前回のブログに高校教育委員会が冬山登山禁止したため、冬山の知識や技術の習得機会がなく、積雪期の特に雪崩の危険回避が困難、と書いた。

 高校生の登山は原則自由でなければならないが、高校登山部に限っての登山禁止を少 し考えてみたい。

 私は登山活動は原則自由だと考えている。憲法の保障する基本的人権としては、登山は権利として主張できるだろう。

 高校生は親の保護があり、経済的には親のお金で登山することになるので、親の承認が登山活動の前提となる。私は高校生から冬山登山を始めて、今日まで50年も冬山を楽しむことができた。白石区菊水の日量製パンでアルバイトをしていたので、冬山登山装備はアルバイトの賃金で購入していた。

 

冬山登山禁止は正当か

 文部省や地元の教育委員会が高校登山部の冬山登山禁止を決定し、各高校登山部へ通達するプロセスのようだ。登山活動を季節を区切って捕らえることがどうなのだろうか。

 季節は春、夏、秋、冬の四季節に分かれる。これを危険度の高い季節を選び出して、日本の場合は、冬山登山が危険と判断している。これは単に文部省や教育委員会が判断している。

登山を四季に分けて登山活動すること自体がおかしいのでは、と考えることもできる。

 冬に関しては確かに気象は、他の三シ-ズンと比較すると、寒さは一番寒い。しかし、雪はサラサラでヤッケなどから、その水分が体内に染入ることがなく、体を濡らす雨に比べると登山し易い様に思われる。寒さから身体を冷やす低体温症については、冬の低温と他の三シ-ズンの体を濡らす雨とは、雪と雨の違いがあって、どちらもどっちで危険が高い低いで比べられない要素のように思われる。

 低山では、冬以外の三シ-ズンでは登山道以外の登山が困難さを増す。登山道以外を歩いたり攀じったりでは、藪や森林帯や崖などの困難がある。それに比較すると冬山は、積雪で藪や森林帯が自由歩行が可能になる、利点となる。

 それでは今回の事故の原因である雪崩について考えてみよう。雪崩は積雪期に限られる危険。なので、冬山登山禁止の条件にはならない。秋山登山でも標高の高い高山は、降雪があって積雪状況になる。春山は勿論低気圧の通過時や通過後には降雪があり、冬山に戻る。勿論残雪が残っている。

 こうして登山と季節について視てみると、こと雪崩の危険に関しては雪の無い夏山を除いては、秋山・冬山・春山の三シ-ズンがダメということになる。

 ここで、冷静に考えてみる。文部省や教育委員会は、どうして冬山登山だけを禁止にしたのだろうか。

 私は今日までNPO法人北海道雪崩研究会に所属して約23年間、専門的な雪や雪崩の研究を続け、毎年北海道雪崩講習会の講師をしている。現在研究会内には講習会講師が40人ほど居て、専門的な知識と技術を身に着けている。

 私は、山に雪のある残雪期は全期間に雪崩の危険があると思っている。するとたぶんだが、文部省や教育委員会が冬山登山だけを禁止するのは、雪崩以外の冬に限っての危険回避を目的としいるのだろう。それとも、文部省や教育委員会は秋山や春山には絶対雪崩は発生しないと間違った知識の人達が「冬山登山禁止」を決めていることになる。

 登山や雪崩に関する知識を持った人が居ない文部省や教育委員会が、登山禁止の指示をする前提の判断をしていることになってしまう。仮に雪崩の知識と雪崩回避の技術を身に着けた人が文部省や教育委員会に居て、その人が登山禁止の判断をしていたのなら冬山だけを禁止にしたのは間違っていたことになる。高校の登山部活動として雪崩の危険を100%回避するためには、秋山や春山も冬山と同様に登山禁止にすべき。

 

 私は考える。本当に高校生達を登山の危険から守りたいのであれば、四季を通じた登 山活動の危険回避の知識と技術を身に着けさせる講習会が必要と思う。

 登山活動は自由に行えるのに、高校登山部だけ「冬山登山禁止」の現実がある。私が高校生だった時の様に、今の高校生達は、親の承認のもと個人や仲間で冬山には入れる。その登山や危険回避の知識と技術取得の機会に恵まれていないのである。

 

ネパ-ル登山の四季

海外の登山情報としての四季登山を見てみたい。

 私が知っているのはネパ-ルの登山。ネパ-ルには世界の8千m峰14座の内8山が鎮座している。神々の山々と呼ばれている。

 日本での積雪期を考えると、秋から雪が降り春の残雪期までになる。世界最高峰のエベレスト8848mが聳えるネパ-ルの積雪期を考えてみる。どうなるのだろう。一年中雪が積もっていて、雪が消えないで積もり続ける結果として氷河の氷になってしまう。そう雪崩は一年中発生していることになる。

 ネパ-ルの雪崩は二種類ある。日本と同様の雪の雪崩の表層雪崩全層雪崩が一つ。他の一つは氷河雪崩。

氷河は氷の河と書くように、刻々と一枚の氷が水の川が流れるように流れ下っている。       その氷河にも懸垂氷河と云われるものがあり、急傾斜斜面に張り付いている氷が、せり出す部分が折れて崩れ落ちる。日本の雪崩は雪が崩れるのだが、ネパ-ルの氷が崩れるのも雪崩と云う。

 私が1991年ポストモンス-ンにネパ-ル・アンナプルナヒマ-ルのアンナプルナⅠ峰8091m登山の際に遭った雪崩は、この氷河雪崩だった。標高差2千m、距離5千mを駆け下った氷雪崩は、途中で氷が砕け散り、私達が日向ぼっこをしていたベ-スキャンプを猛吹雪となって通り過ぎて行った。東京ド-ムの何分の一かのハンググレッシャ-の一枚氷がグラ-と墜ちる様子を見ていた登山隊員達は、その恐怖を感じて一目散に逃げた。幸いにBCまで何十秒間の余裕が有り時速数百キロmの速度で襲いかかる猛吹雪の雪崩から、BC背後に林立する岩場の影に身を隠すことに成功した。この雪崩の様子は、氷雪崩発生直後から迫りくる寸前まで八ミリカメラが捉えていて映像が残っている。

 

ヒマラヤの雪線は何メ-トルか

 気象を勉強すると、高度が100m高くなると0.6度C気温が低くなることを学ぶ。この算数式からだと、標高0mで20度Cの気温だと、0度Cになる標高は約3300mになる。札幌が20度の温度なら、空高く3300mでは氷点下だ。パキスタン・インド・ネパ-ルなどの亜熱帯の国は、冬期間では平地でも20度C以下にはならないから、ヒマラヤの山々の3300m以上では雪になる。ネパ-ルのエベレスト街道の玄関口ルクラ(テンジン・ヒラリ-)飛行場2800mも冬には雪が降つて、飛行機の離着陸ができずにフライトキャンセルになる。キャンセルが数日続くとルクラの村には、カトマンドゥに帰れない人々が数千人にもなって、国際線の帰国日が迫り十数人乗り双発機チケットの争奪で喧嘩沙汰が見られるようになる。片道50万円のチヤ-タ-ヘリコプタ-がジャンジャン飛ぶ事態になる。

ネパ-ルの山の氷河は4千m位まで流れ下っていて、雪が現れるのは5千m位。

 

話がじゃんじゃん横道に入っているので戻ろう。

 ネパ-ルの四季登山はどうなっているのか。ここまでの説明の通り、ヒマラヤの雪崩の危険に四季はないのが分かるだろう。ヒマラヤは一年中なだれる危険に満ちている。ここでちょっと余談だが、私は雪崩を名刺での表記は「雪崩」と書き、動詞はひらかなの「なだれ」と書くようにしている。書物の小説でも作者によっては、私と同様に名詞と動詞の表記を変えて書く人がいる。

 ネパ-ルの観光省登山局の登山法律によれば、四季についての規則があり、登山者がネパ-ル政府に納付する登山料が四季によって異なっている。

ネパ-ルの登山料は下記のようになる。

外国人クライマー一人あたりのドル支払の登山料 (1チ-ム15まで)

    山  域            春季       秋季     冬季

1. エベレスト ノ-マルル-ト 11,000ドル  5,500  2,750

2. エベレスト ノ-マルル-ト以外 10,000  5,000  2,500

3. エベレスト以外の8千m以上山   1,800    900    450

4. 7501m~7999m        600    300    150

5. 7000m~7500m        500    250    125

6. 6501m~6999m        400    200    100

7. アマダブラム峰(6812m)     400    400    200

8. 6500m以下の山          250    125     70

パキスタンやインドでもネパ-ルと同様の登山料規則がある。

     

日本の文部省や教育委員会は登山を四季で区切って考えている。私はこの考え方を理解するのは難しいと思っている。「冬山登山禁止」についても、禁止する内容が判らない。冬は危険だからとの理由なのだろう。

 

ブログのトラブルで写真掲載できなくなっている。

今日も写真を掲載したいのだが、後日直ってから写真掲載再会する。

 

 

那須温泉ファミリ-スキ-場コ-ス外雪崩死亡事故

那須温泉ファミリ-スキ-場コ-ス外雪崩死亡事故

高校山岳部合同春山安全登山講習会 

残念な雪崩事故になってしまった。

まつたくかわいそうで、若い高校生が登山の講習会事故で死亡するなんて。

自分に何が起こったのか、訳が分からないうちに亡くなったのだろう。

ご冥福を祈るだけで、何もできない。

 

雪崩死亡事故の概要

 2017年3月27日午前8時30分ころ、栃木県那須町那須温泉ファミリ-スキ-場のコ-ス外上部で雪崩発生。

 高校山岳部の春山安全講習会に参加していた指導員教師を含む48名が雪崩に遭遇。男子高校生7人と男子教員1人の8名が死亡。生徒と教師合わせて40名が負傷した。

死亡しのは、県立大田原高校の生徒と教員。

 この雪崩、自然発生なのか人為的雪崩なのかは不明。雪崩発生の上部に登山者などの人が居たかどうかも不明。

 前日26日からの積雪は30cmを超えていた。雪崩事故現場より上部は50cmとも云われている。

 二泊三日の日程で入山、スキ-場の下部にテントを設営して宿泊。事故当日は夜間の積雪があり、午前7時30分から予定していた茶臼岳春山登山を取りやめてラッセル訓練に切り替えていた。

 講習に参加した高校生全員を、たぶん高校別に班編成している。県立大田原高校の生徒と指導に当たった先生が一斑で、先頭で前日から積もった深雪をラッセルしながら進み、尾根上に上がってから全員が休憩している所に、その先の斜面から雪崩が押し寄せ、最大2m埋没している。

 

春山講習会という理由で雪崩装備の携行せず

 講習会参加者全員が冬山の雪崩関連装備の三種の神器のプロ-ブ・雪崩ビ-コン・シャベルを持参していなかった。春山であり、過去の冬山の雪崩場所が分かっていた。トレ-スの予定ル-トはなだれない場所を訓練場所にするので不携帯だった。残雪期の山での雪崩は、一定以上の傾斜斜面ではなだれない保証はない。いつでも条件が揃えば雪崩れることが分かっていなかった。雪や雪崩の知識がなかったことが覗える。指導に当たった先生はもとより、講習会参加の高校生達も雪崩の知識がなかった。登山愛好者であれば、雪山では「ラッセルの知識と技術」以前に「雪崩の知識」取得を優先するか、又同時取得であってほしいものだ。

 

事故直後から警察の過失者探し

 雪崩事故から10日が過ぎた。この間の情報としては、報道によると前述した以外の新しい事柄はない。目立つのは警察が犯人捜しのごとく、過失を求めて奮闘と云おうか騒わがしいのが目につく。日本の山岳事故で最初に大きく取り扱われる「自己責任」は、最初から今日までどこを探しても出てこないし目につかない。以前、警察が関わったある山岳事故では、警察自ら死亡事故者本人の責任が100%と主張していたのだが。さすが高校生達が相手では、高校生の自己責任とは言い出せないのかもしれない。            

 私は、山岳事故についてその責任が、事故車本人に100%あるとは考えていない。その理由は色々ある。社会的には、登山を登山文化とも云い、その登山行為は一人一人の市民の生活を豊かにするものと、私は考えている。ゆえに、社会全体で山岳事故や遭難を防止する活動をすべき、と考えているのだ。

 

雪崩埋没から15分以内に救出すると90%以上の確率で生存

これは過去の雪崩事故での生存率統計で、雪崩事故では初期捜索が大切なのだ。

 今回の雪崩事故については、一部が雪崩のデブリに埋まった人や、先頭集団でない雪崩に遭遇しなかったパ-ティ-(班)のメンバ-が、埋没した人達を捜索したのかどうか不明のままだ。どうしてなのか、捜索したのかしなかったのかを聞き取り調査が行われていないのだろうか。これは不可解だ。普通に考えて、目の前で雪に埋まった仲間がいるのに、手をこまねいているだろうか。シャベルなど無ければ手袋を履いた手で必死に探すのが普通なのではないか。高校1年生と2年生にもなって、もう身体や頭脳は大人になりかけで、埋まっている仲間を救おうとするだろう。まだまだ子供なので、為すすべもなかったと云えばそれまでだが。

 私ごとになるが、私の高校生時代は、もう冬山を高校の仲間と一緒に登っていた。山岳部や同好会などの組織はなく、先生や大人の指導を仰ぐこともなく。一月の冬休みに札幌近郊の冬山。春香山の銀嶺荘に一週間分の食糧を荷揚げして、山荘と山頂の間の大斜面を毎日滑って遊んでいた。

 高校生は大人ではないかもしれないが、冬山を企画実行するくらいの知識と行動力はある。いっぱしの登山愛好者に加えても良い。今回の雪崩で多くの犠牲者を出した県立大田原高校山岳部の生徒は、県のインターハイ予選会(第1位のみ全国インターハイ出場)  8連覇中。関東大会予選会(第6位まで関東大会出場) 3連覇中で、全国インターハイ(全国高校登山大会) 8年連続出場と、登山の実力高になっている。これは県立大田原高校のホ-ムペ-ジに掲載されているもの。

 この春山安全登山講習会に参加した数校の高校山岳部は、山岳部として冬山登山禁止されていたとしてもだ、仲間が雪に埋没しているのだから、生き残った者たちが救助をしたのかどうか。どうも誰も行動をしていないのなら残念。

 

高校生の冬山登山禁止

今回の春山講習会参加校山岳部・クラブの全ては、冬山登山を禁止されている。

高校生の冬山登山禁止は、文部省が定めているのか、又は各地の教育委員会なのかは不明。

 高校生が登山をするのを止めることはできない。それが夏山であろうと冬山であっても。禁止する理由が見当たらないからだ。

 この「冬山登山禁止」の理由は、危険だからだろう。それでは登山の危険は、夏と冬ではちがうかの様なのだ実際はどうだろう。夏山での遭難や事故は、冬山と変わらないとするのが私の考え。登山をただ安全や危険でとらえること自体がおかしい。私達が生活するいわゆる街中では、交通事故などを除いてはそれほどの危険を感じることは少ない。それと比較して山岳は、街の生活し易い環境と比べて全くの自然の世界と云う危険が存在する。例えば急峻な崖などを登らなければならない危険だ。

そして、気象遭難と云われる通り、家に居る安全と比べて山での悪天気による事故が考えられる。

 夏山と冬山の違いは何だろう。気象では夏よりも冬の方が寒いし、雨でなく雪が降る。しかし、氷点下で雪が降る気象環境は、危険度を計る上での度量にはならないだろう。それなりに服装や装備を準備することで、危険をなくすことが可能だ。山に雪が積もることで、夏には歩けなかった場所が冬には容易にル-ト選択や歩行が容易になるなど、冬山の利点もある。急傾斜斜面には固雪や氷壁になって、アイスバイルなどを使用して登り易くなる。

 冬山の危険で決定的なのは雪による雪崩だろう。これは雪のない夏山には絶対にない危険。今回の高校生春山講習会の死亡事故もこの雪崩事故だった。

私は高校生の冬山登山禁止が招いた雪崩事故ではないかと危惧している。

 文部省や教育委員会が制定する「高校山岳部の冬山登山禁止」は、決して高校生の冬山を禁止している訳ではない。年齢に関係なく登山する自由や権利はある。高校にある山岳部や同好会などのクラブ活動としての冬山登山を禁止しているだけ。高校生がクラブでなく自分で冬山を登山することを禁止している訳ではない。それでは、高校生はどこで冬山登山の知識と技術を学習すれば良いのだろうか。冬山に登りたい高校生は、学習する機会に閉ざされている現実が日本にはある。本人に登山の意欲がある場合は、社会人山岳会での学習しかないのだろう。

 社会人山岳会のには、大学の山岳部部員が会員として活動している。大学生には山岳部活動で「冬山登山禁止」はない。勿論社会人は登山活動の自由や権利は保障されている。大学山岳部員は大学と社会人の両山岳部(会)に二重加入することで、登山の知識と技術を習得している。雪や雪崩についての知識も同様。社会人山岳会では、大学生の会費を安くしているところが多い。

 現在の社会人山岳会では、ほとんどの山岳会やクラブでは雪崩講習会などの学習を行っている。高校を卒業した社会人には、雪崩に遭わないための知識と技術を身に着ける機会が保障されているが、現状の高校生には無い。

 高校の山岳部などのクラブが、もしも「冬山登山禁止」でなく夏山と同様な活動をしていたなら、社会人山学会と同様な雪崩の危険を回避する知識と技術の指導も行われていたと思われる。私の「登山」の考えでは、教育委員会の冬山登山禁止の定めが、今回の高校生雪崩事故の要因であることを指摘したい。教育委員会が絶対に「冬山登山禁止」にしたいのであれば、高校生に社会人山岳会への入会を勧める手立てをも同時に定めなければダメだ。高校教育委員会自身が高校生に登山教育をしたくないのであれば、他の教育手段の紹介くらいはすべき。

 今回の高校生雪崩死亡事故は、禁止だけでは高校生達の雪崩事故を防ぐことができないことを示唆したている。

 

実際の登山でも、講習会でもだが、登山は楽しくなければならない

登山は、自然環境の中で行うもの。科学的な知識と技術を身に着けて安全登山をしてほしい。

一つひとつ、一歩いっぽと色々なことを体得してこそ楽しい登山となる。

 一人ひとりの高校生が体得すること、経験する過程も楽しい登山であってほしいと願っている。

 

 このブログに、私が高校生だった頃の冬山登山の写真を貼りつけようとトライしたが、先月の月末近くから写真をアップできなくなった。

どなたか、写真を付けれなくなった壊れたブログの修復方法を教えてほしい。よろしく。

 

 

ネパ-ルのお祭り その10 ティハ-ル祭の5回目

ネパ-ルのお祭り その十回目 ティハ-ル祭の五回目。

 前々回と前回はブログ会社の不都合が発生。写真の掲載ができなくなった。今回、写真掲載手続が復活しているかどうか。試してみる。

前回と同文を下記に掲載する。

 

 私は私の女房と二人でネパ-ル生活をしながら、ネパ-ルの友人達とお付き合いしている。ネパ-ルの友人は日本人家族が数組、そしてネパ-ル人のネワ-ル族とライ族、そしてグルン族の家族などと夕食を共にする付き合いだ。

そのライ族の友人の娘さんから、お祭りなのでぜひ遊びに来て下さい、と誘われた。

 5階建ての最上階に住んでいて、その階の広いテラスで儀式が行われる。この家族の二人の娘さんの従兄妹いとこが二人来ていて、総勢7名でティカの儀式が始まる。その後明るいうちの早めの夕食。

 儀式は七色のティカで始まり、私も儀式通りにティカをしてもらった。儀式はティカと、その後ヨ-グルトとゆ茹で卵を食べる。

 このティカの儀式、女性が男性にティカをする。ダサイン大際では最初に最長老がティカを始め、次いで男女が入り乱れて行うが、ティハ-ルのティカは違う。私にはどうしてこのティカ儀式のやり方が異なるのか分からない。

 儀式の最後はティカを受けた側が、してくれた女性の足元にひざま就いて、ご祝儀を渡す。のだが、私は準備してなかった。この最後のご祝儀を渡すのは、ダサイン大祭で年長者が若い男女に渡すお小遣いと違い、厳かな儀式として行われるようだ。

 

今回も前回と同様に、この下側に写真をアップすることができません。

どうもこのブログは一部分に正常でない操作できないものがあるようです。

今回はここで終了とします。

 

 

 

ネパ-ルのお祭り その10 ティハ-ル祭の5回目

ネパ-ルのお祭り その十回目 ティハ-ル祭の五回目。

前々回はティハ-ル祭のプジャの ③ネワ-ル族のティカ儀式の様子を見た。

 前回は前々回と同様にティカの儀式を記述したが、ブログ会社の不都合が発生。写真の掲載ができなくなった。今回、写真掲載手続が復活しているかどうか。試してみる。

前回と同文を下記に掲載する。

 私は私の女房と二人でネパ-ル生活をしながら、ネパ-ルの友人達とお付き合いしている。ネパ-ルの友人は日本人家族が数組、そしてネパ-ル人のネワ-ル族とライ族、そしてグルン族の家族などと夕食を共にする付き合いだ。

そのライ族の友人の娘さんから、お祭りなのでぜひ遊びに来て下さい、と誘われた。

 5階建ての最上階に住んでいて、その階の広いテラスで儀式が行われる。この家族の二人の娘さんの従兄妹いとこが二人来ていて、総勢7名でティカの儀式が始まる。その後明るいうちの早めの夕食。

このティカの儀式、女性が男性にティカをする。ダサイン大際では最初に最長老がティカを始め、次いで男女が入り乱れて行うが、ティハ-ルのティカは違う。私にはどうしてこのティカ儀式のやり方が異なるのか分からない。

 儀式は七色のティカで始まり、私も儀式通りにティカをしてもらった。儀式はティカと、その後ヨ-グルトとゆ茹で卵を食べる。

 儀式の最後はティカを受けた側が、してくれた女性の足元にひざま就いて、ご祝儀を渡す。のだが、私は準備してなかった。この最後のご祝儀を渡すのは、ダサイン大祭で年長者が若い男女に渡すお小遣いと違い、厳かな儀式として行われるようだ。

 

今回も前回と同様に、このブログ会社のブログ作成プロセツに不都合がある様で、写真の投稿ができません。

写真つきブログは新たに次回に掲載を試みてみます。

 

 

ネパ-ルのお祭り その10 ティハ-ル祭の5回目

ネパ-ルのお祭り その十回目 ティハ-ル祭の五回目。

前々回からティハ-ル祭について、5日間のプジャを写真で見て来た。

前回はティハ-ル祭のプジャの ③ネワ-ル族のティカ儀式の様子を見た。

今回は前回に続いてティカの儀式を見てみる。

 私は私の女房と二人でネパ-ル生活をしながら、ネパ-ルの友人達とお付き合いしている。ネパ-ルの友人は日本人家族が数組、そしてネパ-ル人のネワ-ル族とライ族、そしてグルン族の家族などと夕食を共にする付き合いだ。

そのライ族の友人の娘さんから、お祭りなのでぜひ遊びに来て下さい、と誘われた。

 5階建ての最上階に住んでいて、その階の広いテラスで儀式が行われる。この家族の二人の娘さんの従兄妹いとこが二人来ていて、総勢7名でティカの儀式が始まる。その後明るいうちの早めの夕食。

 儀式は七色のティカで始まり、私も儀式通りにティカをしてもらった。儀式はティカと、その後ヨ-グルトとゆ茹で卵を食べる。

 儀式の最後はティカを受けた側が、してくれた女性の足元にひざま就いて、ご祝儀を渡す。のだが、私は準備してなかった。この最後のご祝儀を渡すのは、ダサイン大祭で年長者が若い男女に渡すお小遣いと違い、厳かな儀式として行われるようだ。

 

 

ティカの儀式用に用意されたもの

聖水

線香

花輪

7色粉末

お土産菓子

お土産リンゴ

ヨ-グルト

茹たまご

 

 

 

 

ここまでブログを書き込みましたが、この下に写真をアップするために貼り付け作業中に、作業がストップ。

理由不明なので、今日はここまで。

次回に写真をアップする予定。

 

 

 

ネパ-ルのお祭り その9 ティハ-ル祭の4回目

ネパ-ルのお祭り その九回目 ティハ-ル祭Tihar の四回目。

前回からティハ-ル祭について、5日間のプジャを写真で見て来た。

前回はティハ-ル祭の②女神ラクシュミ神を迎え入れる家などを電球で飾る様子を見た。

今回の第九回目は、ティハ-ル祭プジャのティカの儀式の様子を見てみる。

 ティハ-ル祭のティカ儀式は、ティカをしてもらう男性の健康や商売の成功を祈って行われる。元々のティカは、戦争で勝利した王様にティカをして、そのことを大層に喜んだ王様が、広めたことが始まりとされている。ティハ-ル祭がお金の女神ラクシュミ神を祝うお祭りのため、このお祭りの目的に合った商売繁盛を願うティカの儀式を行う。

 私のネパ-ル人の友人で、ティハ-ル祭で一杯飲むのでいらっしゃいと招かれたのは、ネワ-ル族とライ族の友人。ティカの儀式は同じだが、それぞれを写真で見てみたい。今回はネワ-ル族の友人宅にお呼ばれした、その内容を見てみる。

 

ティハ-ル祭プジャのティカの儀式

まずは女性が線香を焚きお祈り

次いで女性が聖水と花を、儀式を行う部屋の一画に描いたマンダラに降りかけお祈り

糸を編んだものを男性の首にかける(名前不明)

女性が器に4灯明を灯す

花輪を首にかける

花を何回も頭の上へかける

七色のティカ

女性が男性に贈り物

そして最後にテイカをしてもらう人がご祝儀を返す。ダサイン大祭ではティカをする年長者が若い人にご祝儀(お小遣い)を渡すが、ティハ-ル祭ではティカをしてもらった男性が、女性の足元にひざまずいてご祝儀をあげる。もらう方も厳かに受け取る。

儀式が終わると、私達のようなお客様を交えて食事。昨年は食事後に皆で花火をして遊んだ。

 

男性二人にティカの儀式  お母さんと妹の女性が準備

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弟が姉二人から

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一か所に4灯明を灯す

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ティカの儀式

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お土産

お母さんからお客様へ

姉から弟へ

 

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一階のフラットの借家に暮らしている、国際銀行カトマンドゥ支店勤務のアメリカ女性にもティカ

 

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七色のティカ

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