koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのお祭り その5

ネパ-ルのお祭り その五回目

 一回目から四回目までは、ネパ-ルのダサイン大祭とティハ-ル祭をそれぞれ一回づつ写真で見てみた。

今回は第三回目に見たダサイン大祭の引き続きを、ダサイン大祭の二回目として写真で見てみる。

 

参考文献

ネパ-ル

アジア読本ネパ-ル

外務省在ネパ-ル大使館ホ-ムペ-ジ

地球の歩き方

 

ダサイン大祭の二回目

ダサイン大祭はヒンドゥ-教の神ドゥルガー神が邪神に勝利したことを祝うお祭り。

 ネパ-ル語でダサインを दशैंと書き、ビジャ・ダサミ विजया दशमी とも云う。このお祭りはネパ-ルだけでなく、ネパ-ルと地続きのインドの西ベンガル州ダ-ジリンやシッキム州・アッサム州・メガラヤ州、又ブ-タン国などでもお祝いされている。ネパ-ル国内のヒンドゥ-教徒以外の宗教や、ブ-タンは国教としてチベット仏教を信仰しているなど、ヒンドゥ-教徒以外の宗教でも行われるお祭り。

ヒンズー教の暦(ネパ-ル歴)によって毎年祭りの開始と終了日が決められる。ゆえに西暦では毎年開催日が変わることになる。

祭りが始まると学校や企業そして行政機関など約10日間の休みに入る。学校等の教育機関は2週間も休む。日本のお正月とお盆が一緒に来た様だ。

 

2016年のダサイン祭は、ガタスタパナ(鉢おさめ)が10月2日(月曜日)、フルパティが10月8日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)の日が10月11日(火曜日)。

ガタスタパナから七日目がフルパティ「Fulpaati」の日である。ネパールでは国王がいた時までは、この日にゴルカにある国王の実家からジャマラをカトマンドゥに持ってくる儀式の日であった。

2017年のダサイン祭は、ガタスタパナが9月22日(土曜日)、フルパティが9月27日で、ティカ(ビジャ・ダサミ)は9月30日(日曜日)。

 

ジャマラ

ダサイン大祭の初日は、ガタスタパナと云われる鉢おさめ儀式から始まる。初日にカラシュと云う儀礼などに用いる特別な容器の鉢に、砂を入れ聖水を注いで、大麦の種を蒔いて芽を出させる。この儀式以前は、家父長または司祭によって実行されていた。

十日ぐらいでこの種が5~10センチぐらいの黄色い苗に成長する。これがジャマラというものでティカの日に年配者から配られる。

最終日には大麦の芽のジャマラを男は耳に挟み、女性は髪飾りつける

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ダサイン大祭15日間の6日目、ダサイン大祭の伝統的な遊びのバンブ-スイングが、あちこちの町内会の空地で、大人も子供も遊び始める。バンブ-スイングとはダサイン・ピンと呼ばれている竹製のブランコを作って遊ぶこと。これは町々の町内会から依頼されて、若者のブランコ造り集団が二日目前くらいから作り始める。町内の空地に長い竹を持ち込んでブランコを作製する。このブランコ造り集団、空き地に寝泊まりしている。

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お祭り後半の10日間は色々な行事が続く。その7日目は旧王宮や街中のトゥンディ広場に、多くの人々が集まって神に祈りを捧げる。トゥンディ広場には、王様の時代には王様が列席した。現在は大統領などが出席して神に祈り国軍兵士による悪魔祓い儀式が行われる。私はネパ-ル王の時代に、国王列席のトゥンディ広場での儀式に参加したことがある。

ビレンドラ国王列席のトゥンディ広場  1991年

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今日のダサイン大祭の二回目はここまで。後日にダサイン大祭の二回目を写真で見てみたい

 

 

ネパ-ルのお祭り その4

ネパ-ルのお祭り その四回目

 前回の一回目は女性のお祭りティ-ジュ祭、二回目はお祭りでの各家庭のプジャのティカ儀式、三回目はネパ-ル全国で行われるダサイン大祭を写真で見た。

今回の四回目は、ティハ-ル祭を写真で見てみる。

 

参考文献

ネパ-ル

アジア読本ネパ-ル

外務省在ネパ-ル大使館ホ-ムペ-ジ

地球の歩き方

 

ティハ-ル祭 Tihar

ティハ-ル祭は5日間にわたって行われるネパ-ルの収穫祭。

 前回のダサイン大祭がネパ-ルで一番大きなお祭りと云われているが、私がここ10年間ネパ-ル生活をしていて感じた経験では、このティハ-ル祭の方が興味深い。

 各家庭でのお祭りの準備に時間やお金をかける。そして家庭で行われる行事や儀式は厳かであり、又楽しい。ネパ-ル語でディワリ-と云われる日に、ヒンドゥ-教ラクシュミ-女神を各家庭の戸口にマンダラを画き、家の中まで導きのトレ-スを描いて灯明を揚げ迎える具体的な儀式と、最終日の五日目に女性の守護力を男性に与えるティカの儀式が厳かに行われる。

 ティカの儀式は、ダサイン大祭の親戚一同が楽しく行うのに比べ、ティハ-ル祭のティカは7色ティカで儀式は丁寧だ。ガイド本などでは姉が弟をヤマ王から救う、と書かれたりしている。が、私が実際のティカを見た限りでは、年下の女性が歳上の男性に行っている。ダサイン大祭では男女が入り乱れてだが、ティハ-ル祭で女性にするのを見たことがない。

お祭りには色々な儀式がある。一日目はカラスのプジャ、二日目は犬のプジャ、三日目は牝牛のプジャ。四日目と五日目は聖なるキッチンの場で家族の健康や無事を祈る。五日目は男性を死の閻魔王(エンマオウ)ヤマ王の手から救い出すバイ・ティカの日。カラスや犬、そして女神の象徴の牝牛には花輪をかけ、ごちそうを食べさせる。

又、四日目は、ネパ-ルのカトマンドゥに多くが住むネワ-ル族の新年にあたる。街の中には新年を祝う横断幕が張られてお祝いする。

子供達のティハ-ル祭もあるバイリ-と呼ばれ、日本のお盆に子供達が家々を廻って、昔は「ロ-ソク出せ出せよ」とさけびながら、今は家々からお菓子をもらい歩くのと同じだ。ネパ-ルの子供達が家の前で歌を歌い、踊りを踊ってお小遣いを集める。

 

ティハ-ル祭プジャのバイ・ティカの儀式

まずは女性が線香を焚きお祈り

次いで女性が聖水と花を、儀式を行う部屋の一画に描いたマンダラに降りかけお祈り

糸を編んだものを男性の首にかける(名前不明)

赤色のティカをする

女性が器に4灯明を灯す

花輪を首にかける

花を何回も頭の上へかける

七色のティカ

女性が男性に贈り物

そして最後にテイカをしてもらう人がご祝儀を返す。ダサイン大祭ではティカをする年長者が若い人にご祝儀(お小遣い)を渡すが、ティハ-ル祭ではティカをしてもらった男性が、女性の足元にひざまずいてご祝儀をあげる。もらう方も厳かに受け取る。

儀式が終わると、私達のようなお客様を交えて食事。昨年は食事後に皆で花火をして遊んだ。

 

ヒンドゥ-教のティハ-ル祭

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道路は飾り付けられる

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四日目がネワ-ル族の新年

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主賓やお客様に掛ける花輪などのバザ-ル イヌなどの動物にも

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ティカの主賓やお客様へのお土産 パツクされたお菓子など

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お祭り二日前から街は買い物客で溢れる

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買い物の日 道路は渋滞

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七色のティカの粉

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ネパ-ルのお祭り その3

ネパ-ルのお祭り その三回目

前回の一回目は女性のお祭りティ-ジュ祭、二回目はお祭りでの各家庭のプジャのティカ儀式を写真で見た。

三回目はネパ-ル全国で行われるダサイン大祭を写真で見てみる。

 

ダサイン大祭 Dasain

ネパ-ルで最大のお祭り。

 ヒンドゥ-教のお祭りだったが、現在ではネパ-ル人全員のお祭りとしてヒンドゥ-教徒以外の他の宗教徒にも広がっている。

 私がネパ-ル暮らしをしていて、市民や友人から聞くと2週間続くと云う人と10日間の人がいる。確かなのは後半の7日間は官公庁が休日となり、商店やレストランが一斉に店を閉めてシャッタ-を下ろす。国中の働いている従業員が皆故郷へ帰るのである。

どこへも行く予定のない人は、事前に一週間分の食料を買いだめしなければならない。

 

10日間を説明。

 初めの日は麦のから付きを買い求め、器にすなを入れて麦を蒔く。毎日水を入れて発芽させ、最終日に10cm~20cmに伸びた、黄色のモヤシの様なのを髪飾りとして髪に刺す。この黄色の麦芽はドゥルガ-女神の恵み。

 7日目は旧王宮や街中のトゥンディ広場に、大統領などが出席して神に祈り国軍兵士による悪魔祓い儀式が行われる。私はネパ-ル王の時代に、国王列席のトゥンディ広場での儀式に参加したことがある。

 9日目、生け贄としてニワトリやヤギ・水牛などを屠り、神に捧げた後家族が揃って肉の多い食事となる。戦いの神ドゥルガ-女神にヤギや水牛を捧げるのが、街中で見られる。友人の家でもニワトリを生け贄として、その血を自家用車の車輪にかけて祈りをささげる様子が見れた

 10日目、勝利の女神ドウルガ-神のお祭りらしく、戦いの勝利の日として、親戚一同の最長老からの祝福のティカ儀式を行う。実際には長老は親戚一同の代表者にティカを行い、その後は男女入り乱れて楽しくティカを付け合う。なぜか、最長老だけはティカを受けない、その理由は分からない。

 

ライ族の友人からダサイン大祭のプジャにご招待され

ティカの儀式を書いてみる

 ネパ-ルのダサイン大祭が10月1日から始まった。8日目から本格的な行事が繰り広げられる。日本のお正月とお盆が一緒にくるみたいなもの。その中でも最重要な日、ティカの日が10日目。田舎のある人は田舎に帰り、カトマンドゥから外に出ている人は帰って来る。

友人の家には、私と友人のお兄さん夫婦、妹一家と友人の家族3名の総勢9名が集う。

 ティカの儀式のティカはヒンデゥ-教徒が額を赤くしているのを見かける、あれである。9年もネパ-ルて過ごしている私にも知らないことが多くある。赤いのがティカとばかり思っていたが、じつは白も良いのだそうだ。この日は米を炊いたご飯に赤色を付けて、それを額に付(着)けるのだけれど、赤色を付けなくとも良いのだそうだ。友人の説明では要するに好みの問題。モンゴロイド系が昔、いろを付けずにごはんをそのまま額に付けていたのだそうだ。友人親戚一同は色を付けずに行っていた。

 では誰が誰に付けるのか。これも誰でも良いのた。ただし異性でなければならない。男が女性に、女が男性にだ。この日は一番の長老が誰か、から始まった。一番の長老が付ける側に回り、自分は付けてもらわないのだ。勿論私が最年長だから付けまくるだけの係になるはずだが、そこは家族や親戚一同の輪を乱す訳にはいかない。私が自ら願い出て辞退するしかない。友人のお兄さんが付ける側以外は、男女入り乱れてのティカの儀式が始まった。

 まず女性二人が儀式用のカ-ペットに胡座をかいて坐り、男性がごはんのティカを額に付ける。その後にご祝儀が渡される。封筒に幾らかRSルピ-が入ったものを手渡す。儀式だから両手で封筒を持ち、拝みながら渡す。渡される側も丁寧にお辞儀をしながら額の前で受け取る。このご祝儀はティハ-ルのお祭りのとは逆になっていた。ティハ-ル祭の時には年下の女性が歳上の男性にティカを付けるだけの儀式で、付けてもらった男が年下の女性の足元に頭を垂れて祝儀を渡すのである。今日は最後にティカにした米を頭の上からぽろぽろと拝みながらかける。かけられる側も神妙にである。

 これらのことが入り乱れながら、それも楽しそうに顔は常に笑顔だ。写真を撮っても良いかと聞いたが、初めから皆お互いに写真を取り合いながらなのだ。楽しそうに顔は常に笑顔なのはお祭りなのであたりまえ。ティハ-ルのティカの儀式の時に、私もテイカを付けてもらったことがあるが、その時のティカの色も違うしやり方も異なった。ダサイン大祭は楽しいお祭りなのだ。

 ここで、友人一家は4人家族で、オ-ストラリアのサロジャさんをスマ-トホ-ンで呼び出してのティカの儀式も始まった。オ-ストラリアでは儀式用の麦の芽の植物も買いそろえて行っていた。夫と二人の儀式。私とサロジャ・スェタ-姉妹とは9年も付き合っているので、スマ-トホ-ンで私の顔を見て、なぜティカが付いていないのか不思議だと応答がある。この二人の姉妹は、9年前には母親が経営するレストランでモモ(ギョウザ)作りを小さな子供二人が手伝っていた。

 儀式が無事終了し、宴会だ。これが男尊女卑の典型で、男だけが飲み食いする。男の飲み食いが終わって、初めて女性が食べるのだ。ヒンデゥ-だからなおさらなのだ。日本人の私には理解ができない。

 

宴会はトンバのお酒から

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お酒の後はダルバ-トの食事

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お父さんから娘と甥へティカの儀式とお年玉

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ダサイン大祭 カトマンドゥ旧王宮にお参り

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ダサイン大祭には生き神様クマリが練り歩く

カトマンドゥ旧王宮のクマリの住む館 クマリの館

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ロイヤル・クマリを載せて練り歩く山車

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カトマンドゥ市内の三人のクマリ地域

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キラガル・クマリ

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生き神様のキラガル・クマリ一家が参拝に

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ネパ-ルのお祭り その2

ネパ-ルのお祭り その二回目

 前回の一回目は、ネパ-ルのお祭りは一年の間その数が多いことを書き、女性のお祭りティ-ジュ祭を写真で見た。

 ネパ-ルのお祭りは、札幌で6月に行われる札幌祭り(北海道神宮祭)に街中を練り歩く山車ダシと似たものがある。西暦10月のダサイン大祭には、生き神様のクマリが街中を練り歩く。このクマリ、カトマンドゥ旧王宮のクマリの館に住み、普段は館(寺院)に住んで参拝者の健康祈願などに応えている。

 又、4月~5月に行われるパタン市のマチェンドラナ-ト祭では、山車巡行際を行っている。この山車、大きな車輪の台座の上に木の葉の付いた10mぼどの柱を立て、木製の車を廻してパタン市内を練り歩く。

 ネパ-ルの主なお祭りの特色は、各家庭で各々が礼拝のプジャの儀式を行い、そのプジャ中に祝福のティカの儀式を行う。

 私は10年前からネパ-ル暮らしをしていて、お祭りの日にネパ-ル人宅のプジャに招かれている。このお祝いの日に行われるティカについて、私の感じたティカ儀式を少し説明する。

 ティカは人の顔の額に指や棒で印をつける儀式で、お祭りにあたっての祝福の儀式。私が観たところでは二種類。一つは米粒を額に塗りつける物。この米粒は、煮た米をそのまま額に付けるものと、米粒に赤色を付けての二種類ある。ネパ-ルの友人の話では、どちらも正解で、カ-ストや人種によって異なる時もあるが、今では人種やカ-ストに関係なく、その時に家長かその場に集まった最年長の男性が決めたり。家によっては、かかあ殿下の家では奥さんが決めても良いようだ。

 米粒を額に塗りつけるのだから、少量なら良いのだが、額一杯に米粒を塗り付けて額全体が真っ赤になったりする。この米粒のティカ、誰が誰に着けても良い。親戚一同が集まり、まずお酒とつまみを食べながら和気藹々と過ごしながら、ティカの用意をする。そして、一対一でも良いし、数人対数人でも良く、する側とされる側の位置は変わらない。男女も入り乱れて、写真を取り合いながら皆楽しく祝福し合う。海外に住む家族とは、スマ-トホ-ンで互いに顔を見ながら、ティカの儀式の映像を送っている。私の招かれた一家では、オ-ストラリアに住む娘夫婦とやり取りしながら笑いが溢れる儀式だった。オ-ストラリアでもネパ-ルの儀式に使われる品々と同様に買い揃えてプジャが行われていた。

 他の一方のティカは、七色の粉末を水で溶いて、一色一色を丁寧に額に付ける儀式。七色の塗り付ける順番があるのかどうか判らない。

 上記の米粒を使うティカはダサイン大祭。七色の色を額に付けるのはティハ-ル祭で行われている。ティハ-ル祭のティカはダサイン祭と異なり、普通は年下の女性が年上の男性にのみ行われる。私が見た限りでは、ティハ-ル祭では七色ティカと赤一色のティカもあって、年下の女性が居ない場合は年上の女性がしていたこともある。

 私は友人の奥さんにしてもらった。私がフラットを借りている大家さんは、毎年妹さんにしてもらうために、カトマンドゥから200kmも離れたポカラ市まで往復している。

 このティカの儀式はお祭りに限らない。私がカトマンドゥ旧王宮広場内の寺院で経験したのは、お寺に現金を寄進した時に、お坊さんが赤色をティカしてくれた。寺院へのカンパは功徳を積む一つになる、そのお返しの意味を込めた祝福のティカだと思われる。タイ国のお坊さんに食べ物を寄進する光景をテレビなどで見かけるが、これも徳を積むことになる。ヒンドゥ-教では徳を多く積み重ねることで、輪廻転生で又人間に生まれ変わりたい希望が叶えられるらしい。人間以外の動物や昆虫には生まれ変わりたくないのが普通の人間の思いだ。

 

そもそもティカの儀式はどうして行われるようになったのか。

これはネパ-ル人に聞いた話。

 ネパ-ルの国王が戦争に勝って、その勝利を祝ってティカをしてもらった。国王はこのティカをしてもらったことに大いに感激。その後このティカを祝福の儀式として国民に広げた。

 今回はお祭りの時の、プジャのティカ儀式を記述してみたが、現在のネパ-ルではティカが祝福の儀式として定着している。私がネパ-ル人友人の甥の結婚式に正式にご招待してもらった時、新郎の母親が大勢の招待客に一人ひとり丁寧なティカをしてた。

 新婦がカトマンドゥ市内に住み、新郎が地方から出て来て、夕方からの披露宴会場のホテルに招待客が勢ぞろいしてのティカ儀式だ。

 

お祭りのプジャに集まるお客様へはお土産付き。

 お祭りのティカの儀式の日には、親戚一同がどこかの家に集合する。この時はティカの儀式を司るための色々な品物が必要になる。それと親戚や友人などへのお土産も買い求める。お祭りに因っては家々を飾り、道路も飾り付けられる。

 日本のお祭りは関係者と寺院などが準備から実施まで行い、普通の家庭では特別のご馳走を食べお酒を飲むくらいで、正式なお祭り儀式は無い。

 ネパ-ルのお祭りには、祝福する主賓のお客様へ掛ける花輪、儀式のお祈りに必要が端や米や線香やロウソク、お供えする果物や菓子、ティカの色粉末、そしてお土産。これら多くの品物がお祭り前日までに買い揃えられる。それもネパ-ル全国の家々での話。

 これらの品物を売るバザ-ルが、既存の店舗とあちこちに臨時の店舗ができる。そして市民が一斉に買うのだから、道路はバイクと車と人々で溢れることになる。

 

お祭りに必要な品物を買い求める市内

バザ-ル周辺の道路はこの有様

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主賓やお客様に掛ける花輪などのバザ-ル

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お客様へのお土産 パツクされたお菓子など 母親は男の子供へ

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お祭りの準備 買い出しで街は人々で溢れる

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お祭り 女性の一団がお通り

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七色のティカの粉末

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バクタプ-ルの山車

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チャングナラヤンの小さな山車

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結婚式の招待客へ祝福のティカ 新郎のお母さんから私に

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七色のティカの儀式を終えてお土産

お母さんからお客様へ

姉から弟へ

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お父さんから娘と甥へティカの儀式とお祭りのお小遣い 米粒だけのティカ

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ネパ-ルのお祭り

ネパ-ルのお祭り

 ネパ-ルのお祭りは多い。私は10年前から札幌とネパ-ルを行ったり来たりしてネパ-ル生活をしている。一年中次から次と行われるネパ-ルのお祭りは、ネパ-ル暮らしに退屈さを感じさせない。

 代表的なお祭りはダサイン大祭。その他にティハ-ル祭やティ-ジュ祭などがネパ-ル全国のお祭り。ダサイン大祭は二週間、ティハ-ル祭は五日間続く。

 この他にも歴史の古い小地方都市に限られる多くのお祭りが行われている。特にカトマンドゥ盆地には、華々しいネワ-ル文化と共に栄えるお祭りも多い。ほとんどのお祭りは宗教的で、ヒンドゥ-教が多く、仏教やチベツト仏教徒のお祭りもある。

ビスケ-ト祭、マチェンドラナ-ト祭、シヴァ・ラ-トリ-祭、シュリ-・パンチャミ-祭、インドラ祭、ブッダ・ジャヤンティ祭、ホ-リ-祭、等々。

 多くのお祭りを祝う国民性があるので、クリスマスも祝うし、お祝いに近い形の行事としてのメ-デ-や民主主義の日・共和制記念日・子供の日・民主記念日、などの祝日がある。

 インドとチベツトに囲まれたネパ-ルなので、インドと共通のお祭りがある。ダサイン大祭やティハ-ルなど。世界的なヒンドゥ-教寺院のパシパティナ-ト寺院の祭りは、インドからバスを連ねてインド人が参拝する。

 また、カトマンドゥ市内から25km離れたパナウティのマゲ・サンクランティ祭は、12年に一度冬至を祝うお祭りで、ネパ-ル中から数十万人が押し寄せる。寒い1月~2月に沐浴する姿が見られる。

 これら多くのお祭りの日を決めるのは、そのほとんどが太陰暦に従うので、暦通りに毎年決まった日にちではない。

 そして、全国的祭日は官公庁がお休みになる。日本のお正月やお盆の様に職場の従業員が故郷に帰ることから、レストランや商店が一斉にシャッタ-を下ろして休む。レストランでの食事を予定していて食べれないことになる。事前に食材を買い込まなければならない。またこの間食品工場が休むのでス-パ-マ-ケツトなど再開しても、しばらくはパンなどの食材が品切れが続くので注意しなければならない。

これらネパ-ルのお祭りを写真で見てみる。

 

 

ティ-ジュ祭

ヒンデゥ-教のシヴァン神にお参りする女性のお祭り  

9月のモンス-ン明け近く三日間続く

女性がたくさん食べてダンスをする

次の日には、断食してシバ神にお祈りする

寺院に集まった女性が踊り出す  数少ない男性は見物

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ネパ-ル中三々五々、サリ-を着飾った女性がヒンドゥ-教寺院にぞろぞろと行列をつくって向う

赤色のサリ-姿は既婚女性

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ぞくぞとヒンドゥ-教寺院に参拝

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バクタプ-ル

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ネパ-ルの世界遺産  カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の7回目

ネパ-ルの世界遺産 

 カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の七回目以下のカトマンドゥ盆地内の古い寺院や仏塔などを写真で見てみる。 

①パナゥティ-   

②ドゥリケル    

③ティミ    

④サク-    

⑤ブダニ-ルカンタ    

⑥キルティプル 

 

今回は⑥キルティプル

 キルティプル町は、カトマンドゥ中心街からカトマンドゥ市街を取り囲む様に走っているリングロ-ドを横切り、その南西側約5km。

 カトマンドゥ市の隣のパタン市の一部として12世紀に建てられた。一時ここの地域だけ独立した時期の歴史がある。人々の住む家々も古いレンガ家が家並みを作っている。

カトマンドゥ市内から見上げる様な丘の上の町になっていて、市内の眺めが良い。

街の下部には国立のトリブヴァン大学のキャンバスがある。

 

マッラ王朝時代のカトマンドゥ盆地3王時代

13世紀 バクタプル王国

1450年頃 バクタプル王国からカトマンドゥ王国が独立

1619年カトマンドゥ王国からパタン王国が独立し、カトマンドゥ盆地3王時代

この時代1619年からキルティプル町が誕生。

 それから約150年後、1769年・カトマンドゥから西に約100kmの小高い丘の上に王宮がある第10代シャハ王のプリトゥビ・ナラヤン・シャハが、カトマンドゥ盆地3王を武力で勝戦。マッラ王朝からシャハ王朝時代に歴史を進める。

 このシャハ王朝、1990年ころからのネパ-ル民主化で最後は絶対君主制ではなかったが、2008年のネパ-ル王政廃止まで続く。おおくの血が流されたネパ-ルの民主化は、王政廃止とヒンドウ-教の国教廃止に辿り着く。

 この時の1769年の戦い、3王敗戦するがここバタン王エリアの一部キルティプル町兵士は、6ケ月間も戦いを持ち堪えたと云われている。

 

キルティプル町新入口 kirtipur

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旧入口

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チランチョ・ビハ-ル Chilancho vihar  仏塔を小4仏塔が囲む

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ナラヤン寺院

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バグ・バイラ寺院 Bagh bhairav mandir

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ウマ・マヘシュワ-ル寺院 Uma maheshwar mandir

1673年建立のヒンドゥ-教寺院

シヴフ神とその妃のパ-ルヴァティ-神を祀っている

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 寺院前のこの像、馬の鞍同様の鞍がつけられている。ゾウのお腹に鞍を括り付ける紐が回されている。ゾウの背に子供など乗って遊び、落ちて負傷するのを防止している

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奥に博物館

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丘のキルティプル町から眺めるカトマンドゥ市内

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キルティプルの古い家々の街並み

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ネパ-ルの日本食レストラン

ネパ-ルの日本食レストラン

 3月16日の夕方、ネパ-ルのカトマンドゥ市内で日本食レストランを営んでいるオ-ナ-の友人から電話がきた。

電話は今釧路から、明日札幌に入るので一緒に食事でも。

 私がカトマンドゥ暮らしをしていて、彼と奥さんとで札幌に遊びに来たら美味しい北海道の魚でも食べましよう、と相談していた。

 早速17日にススキノの寿司処西鶴で4ケ月ぶりに、再開を祝して乾杯。元の大阪の職場の仲間など8人も集まる。

 彼のレストランは12年前に開店し、カトマンドゥの市街から少し離れたパニポカリ町にある。パニはネパ-ル語で水。カトマンドゥ水道局の道路を挟んで向いのビルの2階。

 2015年4月25日のネパ-ル大地震でビルの一部にヒビが入って、やむなく一週間ほど休業。その後2016年1月に市の中心部のホテルビルの2階に引っ越して営業を続けている。

 この日本食レストラン、魚類は全て大阪から冷凍でネパ-ルへ輸出して使用し、肉も神戸牛を持ち込み、本格的な日本食の料理を出している。カトマンドゥには7、8軒の日本食レストランがあるが本格的なのはここだけ。私はネパ-ル食を食べるためにネパ-ル生活をしている訳ではないので、週に何度かはこのレストランで食事をしている。

 ご夫婦は北海道から大阪に帰ってから、今月末にはカトマンドへ帰る予定で、その時もお二人で180kgの魚を持参する。

 この荷物は預け荷物と機内持ち込みで、勿論無料。オ-バ-チャ-ジは取られない。普通のフライトの場合は、例えば大韓航空なら預け荷物20kgと機内持ち込み荷物12kgの合計32kgまで無料でOK。日本とネパ-を行ったり来たりしていると搭乗回数が多くなり、一定数を超えると預け荷物一人二個で50kgとプラス12kgで62kgまで無料で運べる。彼の場合、大韓航空でなく他の飛行機会社で、預け荷物60kgと機内持ち込み荷物30kgの合計90kgまでOKとのこと。

 すごい重い荷物を運び、なんと一年に13、14回往復している。荷物は全て冷凍なのだが、ドライアイスなどを入れないそうな。完全冷凍にしてプラスチック包装など工夫すると、約24時間は大丈夫。よく融けないものだ。

 

ホテルビル 2階に日本食レストラン

ビルの左奥にイギリス大使館

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超満員の日本食レストラン店内

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お昼のランチボックス 600RSルピ-  1ルピ-=1円

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